炭田 coalfield
[ 炭田 | 北海道炭田の特徴 | 北海道の炭田 | 参考文献 ]
炭鉱が閉山され、その周辺にはボタ山(coal slag))が残されている。廃鉱跡地における生態系復元(特に、森林再生)に関する研究が、(温暖化抑制のためにも)必要である。
炭田
ボタ山 (ズリ山)
ボタ山 |
(coal-)slag heap, or spoil heap | 炭鉱で、ボタを捨ててできた山。ズリ山。 |
|---|---|---|
ボタ(ズリ) |
coal slag | 石炭を掘る際まじってくる岩石や、質の悪い石炭塊。主に九州地方でいう。ズリ。
とは書いてあったが、常磐炭坑でもボタ山とも、ズリ山とも呼んでいたような気がする。 |
| 採炭 | coal mining | 石炭を掘り出すこと。 |
| 掘進 | drilling, boring, | 土地や石炭などを掘って進むこと。
新明解国語辞典(第5版) (1997)より 採炭と掘進を北海道通商産業局の本は分けて扱っているが、北海道開拓記念館の報告書の方では1つにまとめている。 |
採炭方法
(主に北海道開拓記念館 1978, 北海道通商産業曲1993を元に作成途中)
この2つの本の採炭法分類が全く違うので合わせた表を作る意味はあまり見出せていないが...
| 採炭方法 | 内容 | 年代 |
|---|---|---|
| 手堀 | ツルハシ、唐鍬等を用い人力のみにより石炭を採掘
露天
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北海道において石炭採掘は、安政4(1857)年、釧路白糠での手堀が初 明治末まで |
| 残柱式・柱房式 | 炭層を碁盤目状に坑道を掘進し、残柱を残すか、炭柱割を行って採炭 | 明治末まで? |
| 発破 | 茅沼で最初に行われた時には黒色火薬
明治末期(輸入): ゼリグナイト、サムナイト 大正(国産): 梅印ダイナマイト、硝安爆薬 |
慶応3(1867)年に茅沼にて行われたのが最初 |
| 長壁式(longwall) | 木柱支保、部分充填
緩傾斜長壁式/偽傾斜全充填式 |
昭和初期-昭和22年 |
| 鉄柱・カッペ(機械採炭) | カッペ(鋼製自在支柱) - 採炭方法の大変革
コールカッター/ホーベル |
1949年以降 |
| 急傾斜 | 日本(北海道)では少ない | |
| コールピック | 圧搾空気によりコールピック先端の鏨を炭壁に打ちつけ石炭を崩す | |
| 水力採炭 | 圧力水を高圧鉄管で採炭切羽に導き石炭を崩す
炭田が硬すぎる所、地盤が悪い所、水補給できない所ではできない |
本岐炭鉱が1962年3月から使用 |
北海道炭田の特徴

図. 北海道の炭田・含炭地分布 (北海道通商産業局 1993)
| 石狩炭田 | |
|---|---|
| 2億年前 (中生代ジュラ紀) | 北海道周辺 = 海 |
| 1.4億年前 | 北米プレートとユーラシアプレートの接近始まる
各プレート先端にオホーツク古陸と西方古陸が出現 - 森林発達 |
北海道の炭田
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| 三笠 (2003年7月19日)。植被の低いところがボタ山。クロフォード公園で、花壇の手入れをしていた方に伺ったところ、数年前までは、ほとんど植物がついていなかった、とのこと。
「北海道炭鉱の祖, 北炭幌内」のページに移っているボタ山は同じものだのだろうか。だったら、すごいけど。* |
美唄 (2003年7月20日)。炭鉱メモリアルパークの立坑櫓。この公園に着いた時には他に誰もいなかった。 | 美唄。炭鉱メモリアルパークの裏に回る。この近くに小学校があったらしい。黒い部分は、石炭の山。現在も小規模ながら露天で採炭はされている。 |
* 北海道旅情報 井手口さんに伺うと、「写真のボタ山は三笠市本町の道道岩見沢桂沢線の脇を通る国鉄幌内線の車窓で北から南に向け1985年7月に撮影。当時は炭鉱は稼動しズリ山捨て線も使われていたと思われる。目標物として写真に現存する立坑があり場所特定できるのではないか。昭和44年閉山の 本岐炭鉱のボタ山 はまだ黒々しているのと対照的で、自然発火が続いているか否かが原因として考えられる。」(改変 - 文責は当然露崎)とのこと。冬には、基礎資料を集めよう。 (忘れとる!)
まったく関係ないが、「着信アリ2」という映画の中で、台湾の炭鉱という設定が出てくるのだが、その場面を見ると、後ろにオオイタドリが、若干枯れ上がってはいたが、繁茂していた。ということはロケ地は北海道だよなー、と思って最後のテロップを見ると、ロケ協力地に、三笠市と夕張市の名前が...
参考文献
- coalfield
- 北海道通商産業局(編). 1993. 北海道の石炭. 北海道通商産業局, 札幌 428 p. (+10 図版)
- 鉱山跡地における植物群集動態