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(2002年1月19日 「同情するなら...」部分アップロード (2015年12月31日更新) [ 日本語 | English ]

同情するなら職をくれ






有珠山 / サロベツ泥炭採掘跡
1986年, 2006年の有珠山火口原. ワタスゲ・エゾカンゾウ

はじめに



 幾つかコメントを頂きました

当時の心情を思うに、北大が美化されてる以外に起こったことは 事実 です。
だから期限付き助手は反対なのです。
期限付き助手」は、他に「期限制助手」、「任期付助手」、「任期制助手」と呼ばれ、身分も呼称も保証されてない。

大学職組新聞等に(無断)転載されてるようですが、転載自体は大歓迎です。
1996.5.22. こぶし. 高知大学教職員組合機関紙. 33号 P

北大時代からこれまでの思い出つれづれ P


平成7年度 北海道大学理学部同窓会 誌 (1995) pp. 32-33
露崎史朗 (1984年度卒業、植物学専攻課程)

 「同情するなら職をくれ!」と安達祐実風に私は叫んでいた。現在私は新潟大学大学院自然科学研究科の一応の助手ではある。しかし、この助手は変則的で新潟大学大学院自然科学研究科規定集の新潟大学大学院自然科学研究科助手専攻内規「大学院科学研究科に所属する助手の選考についての申合せ事項」に「概ね3-5年を目途として各学問分野のローティションとする」と書かれており、公にできない期限付きの助手らしい。この怪しい期限を理由に先日、日本学術振興会の日米科学協力事業共同研究*を申請したら「来年も当研究科に所属することを前提とした科研申請は認められない」のだそうで、私の知らない間に講座主任(ここに実名をいれても誰も知らないでしょうから止めておこう)の判断とかで申請が取り下げられていた。
 ということは、新潟に来てからはや5年が経過しているわけだ。私個人としては、別に来年もここに居るつもりではなく、大学を移れば移動届を出せばそれで済むことだし科研の採否の判断は学振がすることであると思うのだが。「こんなの研究妨害だ! いつか文部省に訴えてやる。しかし、まずはこういう腐った所は出るべきだ。」と思っていた矢先に同窓会の原稿依頼がやってきた。
 *: 2000年に日本学術振興会に、その時の内容を元に申請すると採択され、2001年夏には何の妨害もなく無事研究を行うことができました。どこぞの大学教員軍団とは全く違う、日本学術振興会のスタッフの方々には心から感謝いたします。

 この話には続きがあるので、ここに記します。 新潟大学職組 新聞掲載の一部分(この原稿と重複する部分を省略)

「同情するなら職をくれ!」 その後 - 研究妨害とはこのことだ P


新大職組新聞 467: 3-4

 この原稿aを書いたときは、まだ新しい職のあてもなく、心底「職をくれ! 」状態であった。そして、この原稿が印刷されたのは11月位で、なんとか1月には引っ越せる状態になったときである。自分は何もしなくても、なぜかこの同窓会誌のコピーがあちこち出回っているらしく、さまざまな反響が私の知らないところで起こっているらしい。そんな関係で、この原稿を依頼された次第である。ここでは、この出来事の詳細を私の知る限りでお伝えしたい。なお、これは私サイドからの見解であり、これに対する反論bをいずれ期待している。

a: 北大理学部同窓会誌に書いた「「同上するなら職をくれ」、つまりこの文章のこと
b: 当然ならが、当局からは現在まで一切コメントなし

 その前に、この話には訂正と続きがある。まず、訂正は科研申請を取り下げる(学術振興会に提出しない)判断をしたのは、大講座主任だけではなく研究科長も関係していたことである。事務からの電話で、そういっていた(しかし、こういう電話をさせられた事務の方もかわいそうではありませんか)のだが、同窓会原稿のときには頭に血がのぼっていて適当に書いてしまった。一人だけ悪者にしてしまった大講座主任に「ごめんなさい」。また、この申請却下の電話は申請締切が終わったあとにあり、もはやゴネても手後れという状態のときにあったもので、思わず電話の向こうに、「新潟大学の考えていることがよくわかりました」と怒鳴ってしまった。電話をくださった方に「ごめんなさい」。あなたが悪いわけではありません。こういう卑怯なやり口をして平然としている人間の存在が悪いに決まっている。続きは、この科研は日本側と米国側が同時に申請するもので米国側はNSFによって採択が決定されたことである。しかし、規則で日本側の申請がない場合、採択見送りとなるのはご承知の通り。従って、結局米国側の申請は徒労に終わった(400万払え、この野郎。どうやって、向こうに言い訳したと思ってんだ)。さらに、誰だかが不明なのだが、この科研をふいにするとどめを刺した大嘘つきがいたようだ。
 NSFは米国側の内容がOKなのに日本側の申請がないのを不審に思い7月位に申請確認の電話をこちらにくれたそうである。ところが、その時私はシベリア調査で不在でした。代わりに電話を取ってくれた親切な人がいたようである。それが誰か分からないのだが(この犯人を教えて欲しい)、「手続きミスで申請ができなかった」と答えたそうだ。これは、ありえない。私は出したぞ! NSFの担当の方は本当に親切で、11月位にもう一度私に再度確認の電話をくれた。その時、7月にそのような応対があったことを教えてくれた。11月の電話の話では、7月に申請を出せば、まだ間に合ったそうで残念がっていた。返す返すも悔しい。
 さて、私なりに問題を整理したい。まず、期限付き助手は「来年度もここにいることを前提とした研究は認められない」のだろうか。しかし、期限付きは十分承知しているのだから、どこの誰が「ここにいること」を前提として科研の申請をするのだろう。繰り返しになるが、ここにいるから、ここで科研は出すしかない。他にやりようがないからそうするのである。そういえば、今年のシベリア調査も行かない方がいいようなことを言われたな(冗談じゃない)。ついで、「だからこそ、一切の来年度以降の研究申請は認められない」のだろうか。科研なしという劣悪研究環境を創出して、「期限が来たら出て行け」という論理は私には全く理解できない。この筋を通す方法はただ一つ。5年経ったら何があろうと首にすることである。しかし、上述のように、私は首にはならなかった。首にはできないのだから(もっと先に首をはねるべき人がいるだろう)。こういうことをされれば誰でも出て行きたくはなるが、このような研究妨害をしたら、ますます期限間近の助手は研究ができなくなり、出られるものも出られなくなってしまうと思うのだが。業績なしで移る。これは、今の時代非常に厳しいのは承知の通りである。科研申請差し止めは人の研究を阻害する行為に当たることは間違いないと私は思っている。ちなみに、正当性があるならば、直接本人に言えばよいものを私は、事務からの電話だけで当の研究科長や講座主任からその旨を聞いたことはないのだが。

さらに出てきた文書 ⇒ 隠滅された申請書とか

(2013年3月15日 東さんの退官講演の日に発見)

学振申請文書 (これが隠滅された文書)

セントヘレンズ山(米国)と有珠山(日本)の初期一次遷移の比較

日本学術振興会日米科学協力事業

計画の概要
 1977-78年にかけて噴火した有珠山(日本)及び1980年に噴火したセントヘレンズ山(米国)の一次遷移の初期動態の様式及び変動要因を、日本・米国両研究者のこれまで追跡を行ってきた永久調査区のデータを主体とした解析を通じて、火山初期遷移の推移機構としてより明確な形式を得ることに主眼をおいて研究を行う。特に、両火山の永久調査区内の植生の定量的比較・植生変動にかかわる環境要因の検出・侵入初期実生の死亡要因の確定に焦点を絞り研究を行う。さらに、主としてセントヘレンズ山において有珠山で行われてきた実生の追跡手法を導入した調査を2年間にわたり行い、これまで行われてきた永久調査区調査では明確にできなかった物理的環境変動と個体群動態の対応関係を明らかにする。
共同研究の目的及び期待される成果
 植生遷移及び動態に関する研究は、植物供給起源・死亡率・回復様式更に環境変動を追跡することが重要な研究手段となる。しかし、火山植生の研究は調査上の困難さや調査機会に恵まれないことから非常に少なく回復機構には不明な点が多い。したがって、火山遷移に関する比較研究は必要不可欠なものと思われる。 セントヘレンズ山は1980年に噴火し、1978?78年に噴火した有珠山と噴火後経過年代が非常に類似し、さらにセントヘレンズ山は噴火規模が非常に大きく噴火による植生被害の形態が多様である。そこでまず、有珠山と植生被害が類似しているところでの植生回復様式の類似性・非類似性に着目した調査を中心に研究を行うことにより噴火後の植生動態の一般性・普遍性を探る予定である。さらに、セントヘレンズ山では泥流の発生形態の異なるところがいくつかみられるためこれらとの比較研究を行い、有珠山では調査不可能であった植生被害の規模と回復動態の対応関係を検討する。
 1977?78年噴火後の有珠山の植生回復過程に着目した研究は、これまでに多くの新知見を報告している。特に、火山植生の回復機構を明らかにするために植物供給起源に着目し追跡調査を通じて供給起源を植生回復に対する寄与の順に、栄養繁殖>散布種子>埋土種子>人工播種の4種であることを特定した。初期段階における植物死亡率は当年性実生で80%、越冬個体で極めて低いことなどを示している。セントヘレンズ山では、申請者の手法と若干異なるがおおむね同様の追跡調査から有珠山における植生推移との共通点・相違点が明らかにされている。
以上のことに基づき、有珠山(日本)とセントヘレンズ山(アメリカ)における調査結果から、火山植生遷移系列の再検討の必要性が指摘されている。
 今回、有珠山およびセントヘレンズ山における植生推移の相違点に着目し、その要因を明らかにする。特に火山植生における埋土種子の存在や栄養繁殖の植生回復に対する寄与はセントヘレンズ山では報告されていない。そこで、セントヘレンズ山における研究が植物供給起源に着目していないこと、火山遷移においては埋土種子の存在が未報告であったことによるものと思われる。しかし、有珠山における調査と同様の手法を適用することにより、より正確な比較研究が可能となりより普遍性を高め、R. del Moral博士も申請者の観点からの独創的な調査を希望しており特色ある新たな知見を数多く得られるものと考える。
共同研究の実施計画
平成5年
 セントヘレンズ山では、R. del Moral博士らによって噴火直後に永久調査区が設定されて継続調査がなされている。これらのデータとの比較研究を行うことがR. del Moral博士によって許可されている。この点が本研究における大きな利点であり、これらの調査区と有珠山における調査区との植生比較が可能となるため以下のような研究計画を立てた。
 なお、研究計画はこれまでの有珠火山における植生回復に関する研究成果に立脚し火山遷移の推移系列に関する植物と環境との対応関係並びに植物の環境適応様式、特に植物供給起源に着目したものであり、基本的調査手法は有珠山との比較を可能とするため有珠山においてなされた方法と同様のものを採用する。
 申請者が一貫して行っている植物供給起源に基づく植生回復の類型区分がセントヘレンズ山ではなされていないためこれを行い(できれば初年度中にこの調査は完了させる)、植生の回復起源を決定する。次に、火山噴火の植生被害の程度の異なるところにおいてこれらの供給起源の類似性・回復様式の類似性等を検討する。このことにより、植物供給起源が植生回復初期の植物相を大きく規定していることを明確に指摘することができ、さらに供給起源によって回復速度が異なるため植生推移の予測に有効な指標を与えることができる。
 永久調査区を設定し土壌移動を測定し、同時に実生の定着消失を追跡調査する。この点に関しては越冬個体の定着性が植生回復に重要なものになると考えられるので、発芽の開始される1992年 6月までに調査区の設定を完了し 2年間の追跡調査を行う。このことにより、従来実生の定着と降水量との対応関係が報告された論文はあるが、降水量は間接的な要因でありむしろ直接土壌移動がどの程度実生及び越冬個体の定着に関与しているかを証明できる。 平成6年
 申請者は有珠山において永久調査区法に基づく 7年間の継続調査のデータを有し、またR. del Moral博士の基でも 5年間の継続調査データを有している。これらのデータを基に植生回復動態の普遍性を探る。特に、被度・個体数・類似度・生活型の変化を中心に解析を行う予定である。この結果、火山遷移における回復速度の算定が可能であり、今後の火山植生の回復予測に有効なものとなる。
 以上のことによって、火山噴火後の植生回復の様式と動態に関してこれまで不明であった遷移系列の決定様式および回復様式をより一層明かにすることができるものと考える。
 研究分担は主として露崎があたり、有珠山の調査をdel Moral博士とともに遂行することによって共同研究を完了させたい。
日米の研究者間の交渉経過  セントヘレンズ山における研究計画は、これまでセントヘレンズ山において継続調査を行ってきているワシントン大学Roger del Moral 博士と十分に議論を行い、共同研究実施計画の内容にいたった。また、現地調査においては調査ベースとしてワシントン大学内の博士の研究室を使用すること、調査器具等の使用について了解を得ており、調査遂行上の問題はない。有珠山の調査についても申請者のこれまでの実績を踏まえ円滑に行えるものと確信する。
この研究に関連する国内及び国外における研究状況
 火山遷移に関する研究は古くから行われているが、近年ハワイマウナロア・ワシントン州セントヘレンズ山、そして有珠山の研究から、これまでの仮説の再検討の必要性が指摘されてきている。特に火山遷移の初期ステージにおける植物の侵入様式・土壌形成過程(特に窒素固定植物)の機能を明らかにしようという試みは今だ端緒についたばかりである。

招聘状依頼申請書

(隠滅してないフリをするためにサインしたと思われる書類)

1995年4月20日
大学院自然科学研究科研究科長
金田 博行 様
 日本学術振興会日米共同研究の申請のために米国共同研究者から、"Written evidence of the willingness of the proposed host institution to cooperate"が必要とのE-mailが先日ありました。期日も迫っており、以下のように下書きを作成致しましたので、できましたらばこれを御参考に一筆お願い致します。

露崎史朗
環境科学専攻 地域環境科学大講座 助手

_____
Date
RE: Research visit of J.H. Titus to the Graduate School of Science and Technology

To Whom It May Concern:
J.H. Titus has been invited to work in the Graduate School of Science and Technology by Research Associate Professor Shiro Tsuyuzaki. We are glad that he will join our institute in 1996 and will provide office, laboratory and facilities. We have an active and diverse group of faculty, research professors, post-doctoral associates, and graduate students. We are looking forward to J.H. Titus and his family contributing to this diversity. Active international collaborations are common in our research group and we believe that this collaboration will result in significant increases to the understanding of volcanic succession.

Sincerely,
(signature)
Dr. Hiroyuki Kaneda
Professor and Chair
{これにサインしてなぜ隠滅する! 卑怯の限りである)

... 同窓会誌に戻る


(画像はあとから追加)

 私は1980年北大理Ⅲ類に入学し、何故か留年もせず1982年に理学部生物学科植物学専攻課程に移行し、さらに何故か留年もせず1984年に卒業できた。その後、理学部を離れ北大大学院環境科学研究科で修士課程を過ごし一年間の研究生生活を経て再び北大大学院理学研究科(とはいっても低温科学研究所)にいた。その後、日本学術振興会特別研究員を若干の期間経て現職にある。「皆さん職を下さい(文章中にサブリミナル効果はあるのだろうか)。」従って、回想を書こうと思うとどれが理学部にいた時の記憶なのかが極めてあやふやなものが多いので、これは確かだということを書いておきたいと思う。
 植物学教室は当時、分類、形態、生理そして教養と3ないし4講座体制でなりたっていた。しかし、分類の黒木先生が亡くなられ、形態の谷藤先生、生理の佐々木(昭)先生は退官なされ、さらに改組で植物と動物を分けなくなった今と私がいた当時とでは教室の雰囲気も大分違うことと思う。そこで、話の種としてこれまでのことを幾つかここに書き留めておこう。
 「何故卒業出来たのだろう。」谷藤先生が関与していたことは間違いない(当人は知る由もないが)。当時、植物学教室の学生は15人であった。結構個性的な人物が揃っていて、皆目的意識がはっきりしていたように思う。私は分類の授業は結構出たつもりでいるが(しかしこれも平均値を下回るかもしれない)、形態や生理の講義実験となると、その内容はほとんど記憶にないくらいひどいものだった(実際出ていないのだから覚えているわけもない)。逆の行動パターンの人もかなりいて、分類のスケッチは人の写し専門の人もいた。しかもそれがオリジナルより美しい。谷藤先生は当時細胞生物学ⅠとⅡの講義とそれに関係する講義実験を持っていたように思う。私は細胞生物学Ⅱの講義は一度も出席せず試験すら受けていない(こんな学生もういない?)。しかし、単位はついていた。これで卒業必要単位が足りたようなものだ。あげくに、植物生理学IIの講義は履修願いすら届けておらず、植物学教室の学生全員が履修しているものだと思った佐々木(昭)先生があとで、「一人履修届けがでていない」とあわてたそうだ。(私は農学部で植物分類学の講義を同じ時間に受けていました。佐々木先生ごめんなさい。) 卒論は分類の黒木先生のところで過ごした。当時の分類学教室の卒論生は4名であった。
 他の3名はナンタラカタラの海藻の分類学的研究あるいはドコソコの海藻フローラについてがテーマであったが、私の卒論は 有珠山の植生回復 がテーマとなった。その年、黒木先生にとって私たちは最期の卒論生にあたり、学生個々人に好きなテーマを選ばせてくれた。私は高等植物を材料としたかったので、こういうこととなった。自分で選んだテーマだけに、結構全員真剣に卒論に取り組んでいたように思う。更に、黒木先生の脅しともとれる発言も忘れない。「僕(黒木先生)は何もしないから、就職・進学等の活動は皆自分でするように。」本当に何もしなかった(これがかえってものすごい効果があった。)だがしかし、卒論を出さずに卒業した大物もいる。私は現在でも有珠山の調査は継続しており、黒木先生によって植物生態学研究者のはしくれとさせて頂いたような気もする。そのおかげで、合州国セントヘレンズ山の調査や、中国の湿原シベリアのツンドラ・タイガを見ることができた。特にセントヘレンズ山では火山植生の比較研究の様々なアイデアを得ることができ、また滞在生活も家族と共にエンジョイできた。帰国後には、 日本植物学会奨励賞 も頂いてしまった。

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 卒論の後、環境科学に移り更に低温研に移ったわけだが、理学部と全く縁がなくなってしまったわけでもない。特に印象に残っていることとしては、低温研に移る時には増田先生がからんでいたことである。当時、環境科学の指導教官から「お宅のような学生はドクターにとらない」と言われ(何が悪かったのだろう)、博士課程には進学せず(できず?)研究生でいた私は自分の身の置き場に困っていた。その時、フセインの影武者からある指令を受け、雪の中を増田先生に「低温研の博士課程に行きたいんですけど」とお願いに行った記憶がある。清水次郎長ばりの増田先生は、「○○には内緒だぞ!」と言いながら指導教官となる吉田(静)先生に会わせて下さった。ここでも私の人生は大きく変わってしまった。また、当時植物学教室では学部3年生を対象として幌見実習なる陸上植物の採集実習があり、それに博士時代まで毎年お供をさせて頂いた。私が学生だった時には、スカート、シューズ姿で実習に参加し大騒ぎしていた女の子がいたことも忘れない。実習は、水だらけの沢でやります。私は長靴で行きました。
 植物学専攻課程には吉田先生が2人いる。一人は分類学教室の吉田(忠)先生、もう一人は前述の吉田(静)先生である。分類の吉田先生は、私が真面目に出た数少ない講義の一つである植物分類学II (主として陸上植物) を受け持たれ、その物静かな授業は教室随一であったろう。笑えない冗談をいうのがたまに傷であったが。低温研の吉田先生は、本年(1995)還暦を迎え2月にささやかながらもお祝いをさせて頂いた。昔通りの元気さとヘビースモーキングと御変りのないご様子であった。[質問]北大の多くの先生はどうして皆、若々しいのだろう。低温研の吉田先生には、徹夜開けの教室でシュラフで寝ていたところを発見されたり、コンピュータに一寸した遊びをさせていたところを見つかったりしたが、当時の院生は皆あのようだったような気もする。

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 札幌を離れ5年が過ぎた今思うに北大の自由な雰囲気と、そして「Be ambitious!」の精神は貴重である。自分が教官となって自覚させられることは、研究成果を上げていない人間が大学院の学生を指導できるわけがないということの一語につきる。いらぬ親切余計なお世話(=これ即ち研究妨害)ばかりする人間にはなりたくない。仕事をしていないとどうしても、示唆を与えたつもりがただの邪魔になってしまうようだ。そういう意味では、活発な活躍を続けている、植物学教室、低温研、地環研の皆様の研究活動は私にとって大きな刺激である。今後とも、少なくとも大学院においては研究を基盤とした教育が必要となることは言う間でもないことなのだが、私の周辺では現実とのギャップは大きい。(今の気分は 安達祐実 。)

半強制提出書類


新潟大学大学院自然科学研究科研究教育活動報告書 (1991) ← こんなのを延々と書かされてたわけで

事項 教官の研究活動状況

専攻・講座・氏名 環境科学専攻地域環境科学大講座 露崎史朗
助手 露崎 史朗

 植物をとりまく環境は時間の流れ(地史的時間・年・季節・日等)によって大きく変化する。花粉・種子の段階を除くと移動性をほとんど有していない植物にとって環境は常に最適なものではなく物理的・化学的環境ストレスに曝されていることの方がむしろ多い。したがって、今日まで繁栄を遂げられた植物における環境適応能力には目を見張るものがあるのも当然のことともいえる。さらに、近年世界的規模でみられる環境保護運動の盛り上がりに映し出されているように、生態系の人為的な変化は予測の域をはるかに越えたものと成りつつある。しかしながら、我々がこれらの植物の環境適応様式に関して得ている情報は余りにも乏しい。このような状況下において植物の適応進化の機構を解明することは我々植物生態学者の責務であるようにも思える。
 私は、北海道大学低温科学時代から1990年 7月に当研究科環境科学専攻地域環境科学大講座に助手として赴任するまで、撹乱地における植生動態に関する研究を主として行ってきた。特に、火山噴火後の植生動態・スキー場造成斜面における植生動態の研究を継続して行っている。この間、中国の湿原における植生構造の解析を行った。現在、この他にツバキ・ヤツデ等の常緑広葉植物のフェノロジー(季節性)の研究を開始したところである。
 ここでは、有珠山噴火後の植生回復動態に関する研究成果について簡単に触れたい。1977-78年にかけて噴火した北海道南部に位置する有珠山(標高727m)山頂域の植生は数mの厚さに達する火山灰・軽石の堆積によってほぼ壊滅状態となった。その回復状況は以下の通りである。植物供給起源は、栄養繁殖・種子散布・人工播種・埋土種子の4つからなる(Tsuyuzaki, 1987 Vegetatio)。埋土種子は旧表土中に噴火後10年を経てもなお2,000/?が生存していた(Tsuyuzaki, 1989 Botanical Magazine, Tokyo)。 また、埋土種子は上部を覆っている火山灰がより厚く堆積しているところほど生存率が高かった(文献 1)。木本植物は種子散布、一年生草本は埋土種子、多年生草本は栄養繁殖から多くが供給され、供給起源が遷移初期層を規定しているために多年生草本・一年生草本が優占するステージがみられた(文献 2)。実生は豊富に出現しているが、土壌移動のためその生存率は15%に過ぎず、土壌移動の大きな環境下では根系を垂直方向に発達させる多年生植物が旧表土中の栄養分を利用可能であり定着上有利である(Tsuyuzaki, American Journal of Botany, 1989)。これらの結果、有珠山山頂域の植生はしばらくの間大型多年生草本の優占する段階が継続するものと考えられた。これらの知見は、広く多くの火山遷移にも応用が可能と思われ今後いくつかの火山遷移の比較研究を行うつもりである。これらの火山植生動態の研究を通して、様々な環境下で営まれている植物の生きざまを少しでも明らかにできることを期待しつつ調査研究を続けている。 省略 論文(1990-1991年)(欧文, 和文)・所属学協会

また出てきた。請願書も書かされたようで(思うに出す必要はあったのか)。圧力に負けた最後の書類...だと思う。
請 願 書
新潟大学大学院自然科学研究科
環境科学専攻 専攻長
小林 巖雄 様

新潟大学大学院自然科学研究科 助手
露崎 史朗

現状についての報告及び任用期間の延長願いについて

 私は、本研究科環境科学研究科地域環境科学大講座に助手として1990年7月16日付で着任し本年7月15日をもって赴任期間が5年となります。本研究科赴任の際には、5年を目処する期限付きの助手であることは伺っており、以下のように期限を守るべく活動を行ってまいりました。これまで、北海道大学大学院環境科学研究科(助手)、京都大学生態学研究センター(助教授)、北海道大学農学部(助教授)、北海同大学低温科学研究所(助教授)4件の公募に申請致しましたが、分野・年齢等の理由により採用には至りませんでした。現在、名古屋大学大学院人間情報学研究科(助手, 3月31日締切)、富山大学理学部(助手, 5月12日締切)京都大学生態学研究センター(助教授, 5月31日締切)の公募に申請中ですが、これらの公募の結果が7月までに出ることは難しいものと思われます。したがいまして、残念ながらこれまでの所、具体的な移動の目処は立たない状況に有ります。しかしながら、現在新潟での研究等も成果をあげつつあり(参考事項参照)、今後も研究機関等に積極的に応募する所存であります。特に、現在農林水産省森林総合研究所への選考採用に書類を提出中ですが、選考採用はそれに相当するポストが開いたときに随時行われるもので、直ちに採用というわけには参らず少なくとも1年程度は待つ必要が有ると伺っております。したがいまして、一年間程度の延長が可能でありましたら、その間には移動が可能であると思われます。誠に心苦しいお願いではありますが、上記の理由により任用期間の延長のお願いを致す次第です。以上の通りご配慮宜しくお願い致します。
参考事項(1990年新潟大学赴任時以降)
(省略) 1995年までを糞も味噌も全部載せてる

参考 (リンク) これが大事


参考文献
  • 川成 洋. 2000. 大学崩壊! 宝島社(新書), 東京
リンク
 話は、若干異なるが、合州国コロンビア大学のバイオスフェア2 (Biosphere 2)が突然解体になり、職員はまったくの予告なしに解雇となった。すごいのは、忽然とhttp://www.columbia.edu/cu/biosphere2/のページは地球上から消えたこと(何がBiosphereなんじゃ)。記事については、Columbia to cut ties to Biosphere 2を参照。
 こんなことが、日本でもこれから起こりうるのだろう。法人化なんて、暴君を作り出しやすい環境が形成されるだけだし(前いたとこは、皆の意見を聞くふりしながらの専制国家だったが)。

北大編


最初の衝撃。自分に責任がなくはない反省を込め

修士論文合否判定の経緯

1997年2月18日
生態環境科学専攻 教官各位 殿

地域生態系学講座修士論文合否判定の経緯について

 専攻会議において当講座から提案いたしましたように、当講座では以下の学生全員の修士論文の合否判定を2月21日まで保留いたしました。
 合否判定を保留した学生は以下の通り11名です。
{_________名前削除_________}
 この間の経緯は以下の通りでした。
 発表会における質疑中、修士論文の内容等に関して質疑があり、特定の学生のものは修士論文として適当ではないとの意見があった。
 講座内の話し合いにおいて、当講座においては、これまで修士論文発表会の質疑応答を踏まえた上での修正論文を審査対象論文としていることを確認した。
 しかしながら、発表会当日提出された論文の多くは、内容もさることながらスタイル等に統一性がみられず提出論文とはみなしがたいものが幾つかあったことも事実であった。
 以上から、当講座では該当する修士学生に対し発表会における質疑を踏まえた上で修正された修士論文の再提出を命じ、再提出論文の審査を2月17日に行うことを決定した。
 その判定結果をお伝え致します。
 不十分とした学生すべてが、質疑内容に関し若干不十分な者もみられるがおおむね満足する修正を行っている。
 スタイル・参考論文の不備等に関しては、幾つかの不適切な点がみられる者もあるが、修士論文として満足する範囲である。
 以上の結果をもとに、主査の最終判断をもとに上記学生を全員合格と判定したいと存じます。21日までの間、学術助成掛に全11名の学生の修論を公開しておりますので、ご確認いただき、ご意見いただければ幸いです。なお、本件は、指導体制に問題があった結果であることも確かであり、今後改善する点について十分検討してまいります。以上経緯をご報告しますとともに、この間のご迷惑をお詫びいたします。

地域生態系学講座代表教授
○○○○

指導教官変更

国費留学生(________)の指導教官の変更について

1997年3月6日

 下記理由により、北海道大学大学院地球環境科学研究科生態環境科学専攻地域生態系学講座博士課程1年(本年4月より博士課程2年)の________・_______(____________)の指導教官を山村悦夫教授より露崎史朗助教授に変更したく、許可をお願い申し上げます。なお、この件に関しましては、当該教官および学生の間で合意がなされております。
指導教官を変更する理由
 現指導教官(山村悦夫)の現在の研究内容
 地域計画学。特に、交通計画を基盤とした地域計画の策定に関する研究に中心課題を置き研究を行っている。
 新指導教官(露崎史朗)の現在の研究内容
 植物生態学・環境保全学。特に、自然および人為生態系における生態系構造分析および群集多様性維持機構に関する研究を行っている。
 留学生の研究内容
 河川流域生態系は、地形的、生物学的に多様であるにもかかわらず、農業等に利用されてきたため、その変化は著しい。特に、熱帯河川流域においては森林伐採や焼畑により大きく生態系は変貌を遂げており、今後これらの生態系を保護することは、地球レベルでの様々な環境変化を緩和する上でも重要である。しかしながら、熱帯において自然環境保護区域における農耕は違法であるにもかかわらず広範になされている。これらの違法な農耕の発生する社会・経済・政治的要因を明らかにし、新たな自然環境保護地域の保護政策を考案することを研究の主たる目的として行っている。
変更の理由
 これまで_________の研究は主として、社会・経済・政治要因にもとづく自然環境保護地域の保護政策の考案を課題として行ってきた。しかしながら、本研究の進展に伴い、よりグローバルな保護政策の策定には、人為的側面のみならず自然環境的背景を考慮した研究が必要不可欠であることが明らかとなってきた。当講座に1996年1月1日に着任した露崎史朗助教授の研究教育内容は、自然生態系ベースから出発し、さらに社会要因を加えた保護に関する研究であり、_________の研究内容により近い。以上のことをもとに、_________の研究発展のために指導教官の交代が適当と判断したものである。

北海道大学大学院地球環境科学研究科 教授
山村悦夫 (印)
北海道大学大学院地球環境科学研究科 助教授
露崎史朗 (印)

国費留学生(_________)の指導教官の変更について

1997年3月13日

 下記理由により、北海道大学大学院地球環境科学研究科生態環境科学専攻地域生態系学講座博士課程1年入学予定の__________・__________ (____________)の指導教官を山村悦夫教授より露崎史朗助教授に変更したく、許可をお願い申し上げます。なお、この件に関しましては、当該教官および学生の間で合意がなされております。
指導教官を変更する理由
現指導教官(山村悦夫)の現在の研究内容
 地域計画学。特に、交通計画を基盤とした地域計画の策定に関する研究に中心課題を置き研究を行っている。
新指導教官(露崎史朗)の現在の研究内容
 植物生態学・環境保全学。特に、自然および人為生態系における生態系構造分析および群集多様性維持機構に関する研究を行っている。
留学生の研究内容
 ゴミ(特に燐石膏および一般固形廃棄物)処理場の環境汚染に関する研究を修士課程では行ってきた。特に、土壌中および水中に含まれる重金属・塩・無機化合物等の分析を行い、開発途上国における環境汚染問題を明らかにした。
変更の理由
 本研究の発展的段階として、地球環境汚染物質および地球温暖化の要因ともなっているメタンの発生量がゴミ処理場では極めて多いことに着目し、今後ゴミ等からのメタン発生機構および削減手法の開発を博士論文として作成する予定である。当講座に1996年1月1日に着任した露崎史朗助教授は、これまでシベリア永久凍土帯および釧路湿原において、植生とメタン発生量との関係に関する研究を行ってきた。また、現在、これらの成果を人為生態系におけるメタン発生機構に応用することを考えている。したがって、_________の研究内容により近く、__________の研究発展のために指導教官の交代が適当と判断したものである。

北海道大学大学院地球環境科学研究科 教授(現指導教官)
山村悦夫 (印)
北海道大学大学院地球環境科学研究科 助教授
露崎史朗 (印)

(2016年12月11日 講習会資料)

北海道大学におけるハラスメントの対応の現状と課題


趣旨

  1. 本年4月からハラスメント相談室を設置
  2. 本学における近年のハラスメントの傾向について
  3. ハラスメント問題は倫理問題ではなく、人間関係や組織に付随する葛藤の調整課題

大学がハラスメントを放置できない理由

  • 1999 文部省「セクシャル・ハラスメント防止等に関する規定」訓令
  • 2004-5 アカデミック・ハラスメント防止等対策のための5大学合同研究協議会
  • 2004 北海道大学ハラスメント防止規定
  • ハラスメント対策
    • 同時にメンタルヘルス対策であり、自殺防止対策でもある
    • 安全・安心な学習環境・職場環境確保は大学の義務である
    • グローバル化対応/多様な教員・留学生への対応に必要である

導入1 セクシュアル・ハラスメント (教職員・学生)

定義
  • 相手の意に反する不快な性的言動
    • 相手が決める = 何をやってもダメな時はダメ
  • 類型
    • 対価型 相手から取引に応じない場合、不利益を受けることを示唆されること
      • 「出張等で同行や飲食等を強く要求される」
      • 「不適切な場所・時間帯で個人指導等が行われる」
    • 環境型 性的な言動により職場・教育環境が害されること
      • 「猥談によりコミュニケーションを図る!?」
      • 「プライバシーへの干渉」

導入2 アカデミック・ハラスメント (教職員・大学院生・学生)

定義
  • 教育・研究上の優越的地位や影響力に基づき、相手の人格や尊厳を侵害する不当な言動を行うこと
  • 類型
    • 濫用的言動 (権限を不当に超える・いきすぎた叱責)
      • 私の言い方次第で学位審査の委員会、教授会はどうにでもなる
    • 恣意的言動 (職務権限に全く無関係か個人的感情の爆発)
      • 「ポスドクは奴隷」「こんな研究カスだよ」
    • 不当な行為 (テーマの押しつけ、実験室を使わせない、アイディアの盗用、私的用事に使う、日曜祝祭日も待機させる、体罰)
→ 教員・学生間で一番多い

導入3 パワー・ハラスメント (教職員)

定義
  • 職場において、職務上の地位や影響力に基づき、相手の人格や尊厳を侵害する不当な言動を行うこと
  • 類型
    • 身体的な・精神的な攻撃 (暴行・暴言)
    • 人間関係からの切り離し (仲間外し・無視)
    • 過剰な業務を課す (連日の残業、自宅での作業を要するほど)
    • 過小な業務を課す (必要ない人間であると思わせる)
    • プライバシーへの干渉 (休日の予定などを過剰に尋ねる)

判断基準

  • 原則
    • 言動に正当性・相当性があるかどうか
    • グレーゾーンがある (人によって、文化背景によって受け止め方・受忍限度が異なる)
  • 基準の確認
    • 言動の必要性 (恣意性は何か)
    • 言動の内容 (人格攻撃、回数、威圧性)
    • 言動の状況 (面目を失わせることを企図してないか)
    • 言動の環境 (教育・労働環境の配慮がなされていたのか - 管理責任)

北大の現状と課題

HU

ハラスメント相談の手順

まずは「相談室」
ハラスメント相談室の機能 設置の理由
  • ハラスメント相談における適格性の確保
    • 教職員ボランティア的相談員 → 専門相談員による規定・相談要領にそった簡易調査・相談の実施被申立人の権利擁護が必要
  • ハラスメント相談の申立人・被申立人の権利擁護
    • 従来の教職員による聞き取りでは、被申立人(加害者とされる)の主張が十分に事実確認に反映されない恐れがあった
  • 申立人のカウンセリングが必要
    • 過半の案件はカウンセリングで改善可能 → 対応経験を蓄積した相談員でなければ適切な対応ができない
    • 初期対応が十分でないと問題がこじれる → 話し合いでは無理となる

教育・業務の場で気をつけるべきこと (1/2)
  1. 教育・業務上のメールのやりとり
    • → 公開に適さない言動は控える/あっさりと
    • → 個人の属性・評価にかかる表現には十分な注意を
    • → SNSを学生と行う場合は注意 (SNSは公開という意識)
  2. 何をどこまでするのか明確にしておく
    • → 留学生・大学院生: 研究の仕方、奨学金・研究支援のやり方
    • → 業務 何をどこまでやるのか 明確な指示 責任の体制
    • 文書化大事
  3. 濃密な人間関係を通した感化は行き過ぎやリバウンドがある
    • → 適切な距離を取る: 内面への介入は相談行為 (枠が身を守る)
    • → 教職員間においても、「親しき仲にも礼儀あり」
  4. 懇親会・二次会
    • → セクハラの大半は酒席で起きる
    • → 無礼講や傍若無人なふるまいを冷静に見ている人もいる
    • → 呼び方一つでふるまいが変わる (○○君、○○さん 敬称)
    • → 記憶を失わない!?
学生・教職員の多様性への配慮
  • 学生・大学院生
    • 学力・志向性の多様化
    • 留学生の増加 (就職志向、学術志向は様々)
    • 社会人学生 (要求水準が高い)
    • 障害を抱えた学生 (身体障害・精神障害・発達障害など)
  • 教職員
    • 外国籍の方 (文化的多様性)
    • 障害を持たれた方 (障碍者差別解消法)
  • コミュニケーションの方法
    • 一般論や婉曲的言い方では通じない → ストレートな言い方
    • 誤解が生じることを前提に → 分かり合えないこともあります

ハラスメント相談・対応の当事者満足度は高い
  • 申し立て側の過大な期待
    • ハラスメントをした人に過大な謝罪や処分を求める
    • ハラスメントの境界、調査可能性を考慮しない
  • 申し立てられた側の不満
    • そのつもりはない パワハラ× アカハラ× セクハラ△
    • 職務能力・名誉・自尊心が傷つけられた
  • 裁判の場合

    [ 裁定 ] ⇒ [ 調整 ]

    • 人生をかけて争うので妥協なし
    • 関係者を巻き込む
参考
  • 北海道大学 ハラスメント相談室
  • 井口 博・渡邊 正. 2008. キャンパスのセクハラ対策の進化 - 事案争点と処分・裁判編. 地域科学研究会高等教育情報センター
  • 井口 博・吉武清實. 2012. アカデミック・ハラスメント対策の本格展開. 地域科学研究会高等教育情報センター
  • 飛翔法律事務所(編). 2014. キャンパスハラスメント対策ハンドブック. 経済産業調査会
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