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(2019年2月13日更新) [ 日本語 | English ]

イネ (Oryza sativa L., rice)






有珠山 / サロベツ泥炭採掘跡
1986年, 2006年の有珠山火口原. ワタスゲ・エゾカンゾウ

[ 農学 ]

1922 鈴田 巌: 日本稲 × 台湾稲 ≈ 不稔
1928 磯 永吉: 日本稲 × 台湾稲 → 不稔の程度は品種による
1928 加藤茂苞: 日本型・インド型

稲作史

BC13000-12000 湖南省玉蟾岩遺跡: 籾殻
BC7000 パプア・ニューギニア: 排水溝跡(水稲?)
BC5000 浙江省河姆渡遺跡: 大量の籾殻/稲作農具

中国長江中流地域起源

> BC2000 インド遺跡 - 稲発見 →
BC2000 インド内広範に伝播 (Vishnu-Mittre 1977)

⇔ インド最古文学 = べーダー文学: 小麦・大麦登場 - 稲記述なし
インド東部から西部に移入

タイ: スンダ準平原介没 - 陸地50%減少 → 狩猟生活困難 (Gorman 1977)
日本 (伝来ルート説)
1. 北方ルート: 中国北部 → 華北・朝鮮半島 → 北九州
2. 南方ルート(海の道, 柳田国男): 中国華南地方 → 台湾・沖縄 → 九州
3. 長江・東シナ海ルート: 長江下流南方民族 - 北九州移住

約3000年前: 福井県で稲作跡

索引
SSR多型分析: DNA短配列反復回数が系統・品種で異なる - 識別利用

中国・朝鮮半島・日本 水稲在来品種250種分析 - 8遺伝子型(a-h)確認

中国: 全8型- a型高頻度 ↔ 朝鮮: bを除く7型 ↔ 日本: a, bのみ

a型: 中国↓・朝鮮半島↑・日本↑ → 朝鮮半島経由 (1)
b型: 朝鮮になし → 中国大陸から直接日本に伝来 (3)

∴ 水稲と稲作技術は、複数ルート(1, 3)で伝来 (佐藤 2018)
品種改良(うるち米)
1921 陸羽132号: 日本初の人工交配優良品種 - 冷害に強い、味良い

以降の品種改良の大元

1931 農林1号 = 森多早生 × 陸羽132号
1941 農林20号 = 農林1号 × 胆振早稲
1956 農林100号(コシヒカリ) = 農林22号 × 農林1号
1963 農林150号(ササニシキ) = 奥羽224号 × ササシグレ
1988 きらら397 = 渡育214号 × 道北36号
1991 農林313号(ひとめぼれ) = コシヒカリ × 初星
2001 ななつぼし = ひとめぼれ × 空系90242A × 空育150号

Oryza L. (イネ)

Oryza sativa L. (イネ, 稲)
イネ(rice)の2大害
病害: イモチ病
虫害: ニカメイチュウ → 回避に田植時期を遅らせる = 稔りも遅い → 台風害(日本水田の弱点)
北海道指定史跡 島松駅逓所跡

島松

昭和43年3月29日指定
所在地 札幌郡広島村 字島松1-2-18番地
指定理由及び説明: 駅逓は、交通不便の地に駅舎と人馬を備え、宿泊と運送の便を図るため設置されたが、起源は松前藩時代にまで遡り、明治以後は官営に切替えられて道内百数十ヵ所におかれたが開拓の進むにつれ次第に廃止され、昭和23年をもって全く姿を消した。島松駅逓は、開拓使初期の大工事であった明治6年の札幌本道の開通に伴って、始め胆振国千歳郡島松村(現恵庭町)に設置されたが、明治17年に石狩国札幌郡月寒村字島松に在住の中山久蔵が駅逓取扱いを命じられ、同位置に近接する同家が駅逓所となった。中山久蔵は明治4年、この地方最初の移住者となり石狩水田の祖と謳われた開拓功労者で、同家は明治14年の天皇行幸に際し行在所となった。北海道開拓を物語る記念物とし、往時の駅逓構造を残した建物に行在所にあてられた座敷が保存され、附近の水田跡や蓮池と共に貴重な遺構である。(2016年5月3日 旧島松駅)

島松

一. 遺構及び建物を損しない。一. 許可なく現状変更しない。一. 指定地内及び附近では火氣に注意する。前記の事項に違反したものは罰せられる。

北海道教育委員会 広島村 (昭和43年8月1日 建設)

北海道稲作の歴史

松前藩 渡島地方で稲作の試み - 失敗
ケプロン、クラーク 畑作推薦 - 稲作否定的
黒田清隆(開拓使長官) 稲作禁止
水田址と赤毛種見本田
中山久蔵は、明治6年渡島地方大野村から赤毛種籾を取り寄せ、水稲栽培に成功し、後に石狩水田の祖といわれた。見本田の赤毛は、上川農業試験場に保存されていた種籾を広島町が受けつぎ栽培している。

島松

寒地稲作と暖水路跡
中山久蔵は、風呂の湯を汲み苗代を作ったり、島松川から引いた水を温めてから水田に流す等の工夫を重ね、寒地に適した米作り方法を研究し、稲作希望者には進んで栽培技術の指導にあたった。
駐蹕處の碑
明治天皇は、明治14年北海道開拓状況を知るため巡幸し、その折中山久蔵宅がお昼行在所にあてられた。この時天皇は、急増翁に親しく米作りの事等を尋ねたという。(明治23年建設)
Barrels 奉献 清酒菰樽
明治神宮御祭神明治天皇は、明治の御代に我国の様々な産業を奨励し技術振興に御心を注がれ日本の興隆と近代化を成し遂げた
我国の国母と慕われた昭憲皇太后と共に両御祭神の広大無辺な御聖徳は国民等しく仰ぎ奉るところ
奉供される菰樽は、縁を以て永年当神宮へ奉納を頂く甲東会を始め、昭和38年に結成された明治神宮全国酒造敬神会会員、また全国各地の敬神の念厚き酒造家より献納された
奉献頂く酒造各社に衷心より感謝申し上げ、酒造家を始め我国伝統文化担う諸産業が益々栄えることを祈念申す。明治神宮

神宮御祭 神明治天皇


雑草イネ weedy rice
≈ 赤米 - 要するにイネ
  • 片山 平. 1977. イネ属植物の類縁関係. 遺伝 31(7): 11-18
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