(2022年5月13日更新) [ 日本語 | English ]
有珠山 / サロベツ泥炭採掘跡
1986年, 2006年の有珠山火口原. ワタスゲ・エゾカンゾウ
[北大総合博物館]
エコパン2009-2018年 (終了)本実習は2018年をもって終了したが、内容を変更の上で、「環境教育講座 陸上の植物群集の成り立ち. 藻岩高校」に引き継いでいる。[ エコキャンパス植物編 付・鳥類リスト- (必読) [ 植物図鑑 , 野外調査道具 , 野外実習 , 北大構内の自然 ] 基本的な流れガイダンスアイスブレーク (総合博物館2F共同研究室)自己紹介 [ 出身・所属 | 研究 ] 実習予定内容の説明 樹木編樹木サイズ測定の意義森林がCO2をどれだけ吸収するのかを実感することを最終目標にして、測ってみよう。( 配布予定資料 )
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植生編1植生と環境調査の意義調査道具の使い方を理解した上で、実際の植生調査を体験する。あわせて、環境との対応関係を知る調査として、照度と土壌硬度の測定を行う(換算式)。データ整理法も(できれば)習得する
植生編2様々な草地において、植生調査をし、種組成の違いを比較する。あわせて、土壌硬度・土壌粒径・歩道からの距離を測定し、植生と環境との対応関係を観察するレポート 発表会テーマ「来年度新入生向け本授業の解説」など注意点: 「準備・実習中の注意」に順ずるが、特に、外で軽作業ができる服装で参加すること 根堀・剪定鋏等の3種の神器は携行すべき 実施内容は、反省でもあるが... |
年 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 2017 | 2018 |
ガイダンス | 4/23 | 4/22 | 4/21 | 4/19 | 4/18f | - | 4/23g | 4/21 | 4/20 | 4/19 |
樹木編a | 5/28 | 6/10 | 5/12 | 5/10 | 5/2 | 5/1 | 5/7 | 5/12 | 5/11 | 5/10h |
植生編1 | 6/4b | 6/10 | 6/30c | 7/5i | 7/4 | 6/26 | 7/16 | 7/7 | 7/13 | 7/12 |
植生編2a | 7/30 | 7/8i | 7/14d | 7/12e | 7/11 | 7/10 | 7/23 | 7/21 | 7/20 | 7/19 |
発表会 | 8/13 | 8/12 | 8/11 | 8/9 | - | - | - | 8/4 | 8/3 | 8/2 |
集合場所: 総合博物館 (a) 2009年は調査区を設置したが時間がかかりすぎ、翌年(2010年)以降は断念し単木測定に変更
5月28日 |
7月30日 (c) 日程変更 (d) 林床・芝生植生比較/歩道からの距離 - 芝刈にめげず予定通り終了 |
(e) 大雨につき講義に変更 講義の雛形 = (g) 欠席 (h) 自分が遅刻。すいません (i) 小雨決行 |
[優秀レポート]
2013-2018以下のレポートを各学生が作成し、翌週の実習時にTAに提出せよ。
2012以下のレポートを各学生が作成し、翌週の実習時にTAに提出せよ。
2011以下のレポートを各学生が作成し、翌週の実習時にTAに提出せよ。
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2010
20091のみしか実施できなかった班は1を、2まで実施できた班は2についてレポートを作成すること(余裕があれば両方書いてもよい)。
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北海道大学構内の樹林糠地は石狩平野部の開拓前の林相の断片を残し,また近年都市化による樹林緑地の減少著しい札幌市街地で最大の面積を占める鰻地空間としても重要な位置を占めるが,これまで幾つかの断片的な記録が残されているにすぎない。 本報はこの樹林緑地の環境保全が今後いかにあるべきかを考える基礎として実態調査を試み,園芸種・果樹類や蔓茎類を除く国内外の自生・植栽樹種の構成内容やサイズ,代表的な三つの並木の概要について述べた。さらに25 m × 25 m以上の面積を有する9箇所の樹林地についても階層毎の種構成,推移と更新傾向等について明らかにし,考察を加えた。 北海道大学構内は札幌市の進行する人口増大と大都市化の中で,開拓以前の林相の断片も含む歴史的にも貴重な縁地空間であることから,種々の学術調査を急ぎ,長期的かつ計画的な環境保全が注意深く進められるべきことを述べた。 (春木他 1989) 構内の樹木対策について。1998年以降倒木状況及び診断樹木位置 (北大時報 2001) |
北区の歴史と文化の八十八選
⑮ 北大ポプラ並木ポプラが北アメリカから北海道に入ったのは明治中頃で、主に牧場境界線とし植えられた。この並木は、明治45(1912)年に札幌農学校林学科学生たちにより農場内に植えられた。現在は、北海道を代表する牧歌的風景として全国に知られる。(さっぽろ・ふるさと文化百選選定)
ポプラ並木は、80 m先まで散策できます。 ⑯ 「人工雪誕生の地」碑低温研の前身となる理学部常時低温実験室(昭和11年頃)人工雪結晶を撮影する中谷宇吉郎博士 平成14年4月 札幌市北区役所 (2019-04-20) 医学部旧校舎跡 (碑)大正8年2月6日 勅令第13号により北海道帝国大学に医学部設置され4月1日から施行。この地(現医学部保健学科)に医学部校舎建つ 昭和14年5月13日 勅令第315号により北海道帝国大学附属医学専門部設置 昭和25年3月31日 法律第51号により国立学校設置法が一部改正され、北海道大学附属医学専門部を閉校 昭和42年6月1日 北15条西7丁目に移転 (アイヌ語) 北大構内トレイルキャンパス内の草花を傷つけたり持ち帰ったりせず、その場で観察を楽しむ。 野鳥が自立した生活をおくれるよう、距離と節度をもって見守る。 |
サクシュコトニ川の河畔林サクシュコトニ川沿いに成立したやや湿性の半自然林で、ハルニレ、ヤマグワ等の自生樹種の他、ネグンドカエデ、ポプラ類等の外来種が混生する。草本ではエゾイラクサ、オオウバユリ等の自生種に加え、イワミツバ、ヒメフウロ、ゴボウ、コンフリー等、多くの外来種、園芸逸出種が侵入している場所である。北大 生態系トレイル 1 (2015-05-25) サクシュコトニ川の由来川名の語源を辿ると、先住アイヌの人達が次の様な意味合いで表現した言葉に由来するという。サクシュは、浜の方を通るで、浜はこの場合、豊平川岸の事。コトニは窪地。意訳すると「窪地を流れる川のうち、豊平川に最も近い川」となる。古来、豊平川扇状地の伏流水は再び湧泉(メム)となって市内各所で噴出していた様で、この川の水源も現在の北大植物園北側にある伊藤氏邸敷地内湧水だったという。流れは大きく蛇行しながら北に向かい、途中札幌市の有形文化財「清華亭」付近の湧水と合流し、クラーク会館東側から北大構内に入り、今の中央ローンから更に北上し流末はコトニ川(現琴似川)に注いでいた。 |
当時は、清流豊かでサケが遡上したとも言われるが、都市化が進むにつれ1951(昭和26)年頃から徐々に水量が減り、やがて涸れ川となった。とは言え、この川は洪水等の災害にも備える指定河川であったため、その後暫くは原形を保っていたが、市内の公共下水道がほぼ整備された頃、1974年(昭和49)に研究農場の実験水田付近から上流は河川としての用途を終え、翌1975(昭和50)年11月にその用地が北大に移管されたのを機に、一部は旧河道を活かした人工的な水辺環境や、遊歩道等を整備し、緑豊かな北大構内を広く市民の人々にも解放してきた。一方、北方面の下流域は、その後もサクシュコトニ川として存続し、殆ど原風景のままで自然水や灌漑用水路として利用されているが、「遺跡保存庭園」の北端から流末の訳300 mは、「環状通エルムトンネル」工事に関連して改修されている。この頃、1998年(平成10)札幌市による「水と緑のネットワーク」整備構想として、藻岩浄水場とサクシュコトニ川を水路で結ぶ案が浮上、北大もそれに賛同し実現するため、廃止河川埋め立て部分を可能な限り開削し、暗渠水路併用で現河川と結ぶ事にした。現在地は、廃止された旧サクシュコトニ川の中間付近に位置し、中央道路下の「伏せ越し」部分を含めて約190 m上流区間は、2001(平成13)年の「北海道大学創基125周年」を記念し集められた浄財により、河川廃止前の雰囲気に蘇生された。
2002年(平成14)10月11日定礎 クロビイタヤ (Acer miyabei Maxim.)北大 生態系トレイル 2 (2019-07-16) |
この池はサクシュコトニ川の一画にあたり、整備に尽力された工学部の大野和男教授にちなんで名前が付けられた。往時の大野池周辺にはハルニレ、キハダなどの高木にヤマブドウが絡み、エゾニワトコなどの低木類が生えていた。 現在は、4月にミズバショウの花が、7-8月にスイレン(睡蓮)のピンクと白色の花が人々の目を楽しませる。鳥類としては一年を通してハシブトガラやジジュウカラ、夏にはキビタキ、春から秋にかけては多数のマガモが見られる。 北大 生態系トレイル 3 |
キャンパス内で最も自然が残る場所で、「原始林」と呼ばれる。樹木としてはカツラ、エゾイタヤ、ハルニレ等が見られ、林床にはエゾエンゴサク、キバナノアマナ、オオバナノエンレイソウ - 北大のシンボルマーク、ニリンソウ等の草本が生育している。[森林構造] |
鳥類では、一年を通しハシブトガラ、アカゲラ、冬にはツグミ等が観察できる。
北大 生態系トレイル 4 (2014-10-07) コウモリ: クロオオアブラコウモリ・ヤマコウモリ |
キバナノアマナ(Gagea lutea)群落: ハンノキ、ヤチダモ等の高木やヤマグワ等の低木、ツルマサキ等のつる性木本がみられるやや湿性の林である。早春の林床はキバナノアマナの黄色い花で覆い尽くされるが、夏には高茎草本のオオハナウドが目立ち、外来草本オオハンゴンソウが侵入・群生する。 |
鳥類では、一年を通しハシブトガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラ、アカゲラが見られ、夏にはオオルリやアオジ等を観察できる。
北大 生態系トレイル 5 (2020-03-31) |
= 模範家畜房 ハルニレ、ヤチダモ、ヒメグルミ、イチイ等の大木が多いやや湿性林。早春の林床にはキバナノアマナが一面に花を咲かせ、初夏には外来種のセイヨウキンポウゲが目立つ。 鳥類では、一年を通しハシブトガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラ、ヤマガラ、アカゲラ等が見られ、春から秋にはマガモが見られる。 北大 生態系トレイル 6 (2019-05-03) |
(〇中にトレイル番号)
川の合流点に連解する集落 ①土師器の系統をひく擦文土器 ②
〇時期: 擦文文化 |
農場の遺跡 ⑨ (桑園国際交流会館地点)擦文文化の木製道具 ⑩ (エルムトンネル地点)保存された竪穴住居址 ⑪ (K435遺跡馬場地点)
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守衛所 (旧札幌農学校門衛所)○ 建築年: 1904 (明治37) 年○ 構造: 木造平屋 ○ 設計: 文部大臣官房建築課札幌出張所 ○ 施工: 大島喜一郎 札幌農学校門衛所として、煉瓦造の旧正門(現南門)と同時期に建設された。当初の位置は正門からの道路向い側(図の赤円)にあり、建物前には木造の中門も設けられたが、大正時代に現在地へ移設し増設され、中門も取り払われた。当初は現在の半分程の大きさで、切妻屋根に棟飾りや庇受けのブラケットなどの装飾も見られた。赤い門柱と白い旧門衛所が一体となって、札幌農学校時代の雰囲気を醸し出している。 1909(明治42)年の構内平面図/北海道大学施設部蔵 建築遺産トレイル 4 (2015-07-07) 古河講堂(旧東北帝国大学農科大学林学教室)
〇建築年: 1909(明治42)年 |
農学部本部 (Main building of Faculty of Agriculture)〇 建築年: 第1期 1935(昭和10)年 第2期 1936(昭和11)年 1951-1960年増築〇 構 造 : 鉄筋コンクリート造4階 地下1階塔屋付 〇 設 計 : 北海道帝国大学営繕課 (萩原惇正、岡田鴻記) 〇 施 工 : 大倉土木株式会社 中央正面の主屋の左右翼屋は、当初「北」の字を模って計画されたが、その後の増築過程で左右とも口の字形となった。竣工間もない1936年の陸軍特別大演習では大本営に使用され、3階は天皇の御座所、寝室、食堂等に利用された。2008年に中央主屋を保存しつつ、リニューアルされた。 建築遺産トレイル 8 2019-04-16 旧札幌農学校図書館読書室・書庫Former Reading and Stackroom of Sapporo Agricultural College〇建築年: 1902(明治35)年〇構 造: 旧読書室: 木造平屋 _______ 旧書庫: れんが造2階建 _______ 旧実験室: 木造平屋 〇設 計: 文部大臣官房建築課札幌出張所 _______ 中条精一郎 〇施 工: 伊藤組(棟梁・阿部幣治) 〇指定等: 登録有形文化財 現キャンパスの移転前年に新築。その後、幾度か増築され、1952(昭和27)年に西隣の農芸化学教室の一部を前面に移設し、玄関扉周りを移し替えている。現在は、移設部分と当初のT字型読書室と背後のれんが造書庫で構成される。当初は瓦葺きの屋根であった。白い壁に水柿(薄い灰みの紅赤色)の柱型や額縁が建物のアクセントとなっている。1965年まで北大の中央図書館、1986年まで農学部図書室として使用された。 建築遺産トレイル 9 (2020-08-01) 旧北海道帝国大学農学部昆虫学標本室Former Specimen Room of the Agriculture Department• 建築年 1927(昭和2)年• 構造 石造・一部鉄筋コンクリート造平屋 • 設計 北海道帝国大学営繕課(桝谷乙治) 1986(明治29)年、札幌農学校に日本初昆虫学教室が開設された。担当した松村松年教授が長年陳情の末、漸く実現したのがこの不燃構造の標本室である。外壁は石造、床・天井は鉄筋コンクリートの混構造で窓も防火対策が施された。以前は南側教室棟と昆虫飼育室等でつながっていた。松村松年は、1895(明治28)年の札幌農学校卒業と同時に昆虫学教室に留まり、1902年に教授となった、日本の昆虫学の基礎を築いた人物である。 北大建築遺産トレイル 11 (2017.7.31) 普通作物硝子室及び金網室
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北海道大学予科は、1907(明治40年)、札幌農学校が東北帝國大學農科大學に昇格した時にその大學豫科として発足。学年定員100名。生徒は3年間在学ののちに本科(農科大學)各学科に進んだ。札幌農学校校章であった桜星章が引き継がれ豫科帽章となる。翌年、校舎が現北大事務局の位置に落成した。 1918(大正7)年、北海道帝國大學発足によりその豫科となる。第二次世界大戦後の1947(昭和22)年に豫科は帝國大学呼称廃止により北海道大學豫科となり、新制大学発足に伴い1950(昭和25)年に豫科は43年の歴史を閉じた。学年定員は1941(昭和16)年以降400名。閉校までに11100余名が学んだ。 この北海道大学予科記念碑は、札幌農学校から引き継がれた予科の伝統と足跡を記念し、併せて北海道大学の大いなる発展を祈念し、かつての予科生と多くの有志の醵金により建立された。 |
橄欖岩アポイ岳は橄欖岩の山である。日高山脈生成期に、地下数10 km以上深部の上部マントルから地表まで押し上げられてできた。橄欖岩は上部マントルを構成する主要な岩石で、主にオリーブ色の橄欖石からなり、それに褐色の斜方輝石、濃緑色の単斜輝石、黒色のスピネルが含まれる。この橄欖岩には、かつて高温高圧の下にあった上部マントルの姿を、そのまま見ることができる。(2018.9.8) |
〇 建築年: 第一期 1935 (昭和10) 年 ________ 第二期 1937 (昭和12) 年 〇 構 造: 鉄筋コンクリート造3階建 〇 設 計: 北海道帝国大学営繕課(落藤藤吉) 〇 施 行: 東山某(第1期)、沖津組(第2期) 予科教室の木造校舎(写真)の老朽化に伴い、鉄筋コンクリート造に建て替えられた。左手の西側棟が第1期。戦後、法学部(1947年設置)などの校舎に利用され、1966(昭和41)年から現施設となる。外壁は理学部本部や農学部本部と同じスクラッチタイル張りだが、戦時体制下の建設のためか装飾は極力抑えられている。1977年、正面玄関に車寄せと庇が付けられた。 |
改築前の初代予科教室 (1908年建設、木造) |
この木は、学名・ハルニレと言い、1905(明治38)年春、新渡戸稲造夫人メアリー(和名、万里)氏の寄贈により植樹されたものである。 メアリーはフィラデルフィアの富豪エルキントン家の令嬢で、稲造が24歳の時、アメリカ留学中に知り合う。その翌年、稲造は札幌農学校の助教に任命されるが、農政学研鑽のためドイツに留学、4年後の1891(明治24)年留学を終えた稲造29歳の時結婚する。そして札幌農学校に赴任する稲造と共に来日、札幌で7年間を過ごす。2020年2月17日、北大正門近く 稲造は、1894(明治27)年長年の夢であった夜学校(遠友夜学校と命名)を開設するが、その資金はメアリーの実家から送られてきた遺産が元になったという。 夫妻は、精魂込めて学生たちに学問を吸収させるが、4つの学校をかけ持ちするなど激務のため、共に健康を害し、1897(明治30)年療養のため気候温暖なカリフォルニアに渡る。 |
古記によれば、メアリーは札幌を離れても学生を慈しみ、札幌農学校を想う心篤く、本校の校舎新築に際しハルニレ24本を寄贈せられ、宮部金吾教授の細心の注意の下、路傍樹として構内各所に植樹されたとある。その時正門付近に植えられた内の5本(事務局前2本、南向い3本)がこの樹であり、樹齢はおよそ百年である。 「2002(平成14)年11月」 メリーさんのハルニレ2世。メリーさんのハルニレから採取した種子を苗畑で育てたものを2019年初冬にこの場所に移植。 2023年12月健在 ☛ Ulmus davidiana var. japonica Nakai (ハルニレ) |