(2011年3月20日掲載. 2013年7月10日更新) [ 日本語 | English ]
有珠山 / サロベツ泥炭採掘跡
1986年, 2006年の有珠山火口原. ワタスゲ・エゾカンゾウ
文・写真 露崎史朗
ファウラ (2008) 20: 34-35 写真・文章は一部差替
噴火のたびに壊滅的な被害を受ける植生。
有珠山周辺の森林は、しかし、その都度たくましく再生してきた。
死の世界のように見える火山堆積物の下から、
植物はどのように芽を出し、そして森を作るのだろうか。
火山噴火を含めた撹乱直後によく出現するヤナギランの赤い花。有珠山火口原でみられたものだが、成長はよくない。ヤナギランの左右に見える植物は、やはり撹乱地によく出現するヤマハハコ。ヤナギランは、合州国では、ファイヤーウィード fireweed(火事雑草)と呼ばれ、火災跡地によく出現する。1991年7月30日撮影。 |
噴火直後にもっとも早く、テフラ上に再生した植物の1種であるオオイタドリ。これらの中には、噴火前の土の中で生きていて、そこから再生したものもある。1983年撮影。 |
2000年噴火被害により火山灰・軽石が堆積した屋根の上に生えていたオオイタドリ。秋も終わりで、オオイタドリの葉は黄色く色づいていた。2006年10月16日撮影。 |
有珠山火口で見られた、森林内でよく見られる腐生植物のオニノヤガラ。森林化が進んでいることを物語っている。2005年7月12日撮影。 |
一般に、火山の周辺では、噴火直後は土壌栄養が極めて乏しいため維管束植物(種子植物とシダ類)は侵入定着できず、窒素固定菌を持つ地衣類や、岩の隙間の水分を利用できるコケ類などがまず侵入してくる。そして時間が経過し、これらの植物によって土壌栄養が貯まると草本、特に一年生草本が定着する。そして多年生草本に置き換わり、さらに低木、陽樹(生長過程で多くの日光を必要とする樹種。シラカンバ、ミズナラなど)、陰樹(日光が少なくても成長できる樹種。イタヤカエデ、ブナなど)へと置き換わっていく。陰樹林をもって、遷移は最終段階となり安定した状態つまり極相になると説明される*。
1977-78年の有珠山噴火から10年を経過した有珠山火口原の景観。特に植物の回復が遅い部分だが、テフラがまだ流されることと、噴火前には結構大きな森林があったことが分かる。1988年4月29日撮影。 |
火山噴火直後には、植生回復が最も早かったオオイタドリの開花。1998年8月4日撮影。 |
噴火から20年後に1 m以上の深さに埋もれていた土を掘り取り、温室で潅水することで発芽した植物。大きな葉は、エゾノギシギシ。これらの植物は軽石・火山灰の下で20年生存していたことになる (撮影 後藤真咲)。 |
有珠山山麓で確認されたコジマエンレイソウ。環境省に絶滅危惧種指定されている。2003年4月28日撮影。 |
1977-78年噴火後の有珠山山頂部(大有珠)の植物回復。[上] 1986年。多くの裸地が広がり、噴火により枯死した立ち木も残っていた。[中] 1998年。植物回復が認められるが、まだ植物がついていない部分がある。[下] 2006年。手前の火口原には森林と呼べる大きさになった樹木が認められ、大有珠斜面も大部分が植物に覆われた。 |
2000年噴火により形成された金毘羅火口群の中の、通称、タマちゃん火口。1977-78年噴火より規模は小さいが、それでも噴火被害がよく観察できる。2003年4月28日撮影。 |
しかし、有珠山周辺の植生はこうした一般的な遷移とは大きく異なっている。もし火山の影響がなければ、この地域での極相はミズナラ-エゾイタヤ-シナノキ林になると考えられるが、実際には噴火の影響を強く受けているため、極相林を見つけることは難しい。
火山噴火は、植物の立場から見れば噴出物の違いをもとに、溶岩性の噴火と、火山灰・軽石のような噴火降灰物(テフラ)性の噴火の2つに分けられる。両者は、噴火直後に土壌栄養が乏しいことは共通だが、溶岩は冷え固まれば動かないが、テフラは噴火が治まってからも降雨、融雪、強風により流されるという大きな違いがある。その結果、遷移初期には、侵入する植物が大きく異なることがある。有珠山はまさに典型的な後者の例に当てはまる。
テフラ性噴火であり、そして数十年ごとに周期的に噴火するという有珠山ならではの特性から、有珠山周辺での植物の遷移は次の四つの特徴 が見られる。
これらの特徴は、テフラが噴火の主体である渡島駒ヶ岳や米国セントヘレンズ山においても概ね共通事象であり、冷温帯域のテフラ性噴火後の植物再生の共通点と思われる。
さらに有珠山において特筆すべきこととして、噴火以前の土壌中に生存していたタネ(埋土種子)の存在がある。これらのタネは、テフラの下に埋もれても少なくとも20年間は生存しており、自然状態での種子の生存特性を知る上で世界的にも貴重な報告である。埋土種子にはスズメノカタビラやイヌタデ、ヒメジョオン、アカザなど一年生草本を多く含んでおり、侵食によって旧表土の表れた場所でのみ遷移初期にこれらの一年生草本が優占することができた。こうした外来種を含む一年生草本が埋土種子に多く含まれるのは、かつてここが牧草地であったことを物語っている。
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[1/2] 噴火降灰物に埋もれてから20年を経過した旧表土中から遠心浮上法という方法で抽出した種子。やはり、エゾノギシギシの種子が多かった。[3] 降雨や融雪水により噴火以前の土(旧表土)が露出し、その土の中で生きていた種子から再生したエゾノギシギシ。温室での実験結果と非常によく一致する。
火山噴火後の自然の変化は驚くべき速さで変わり行き、同じ自然を見ることは二度とない。
有珠山におけるその変化を知るためのお薦めポイントとして、金毘羅火口の近くにある噴火降灰物の堆積した屋根を見て欲しい。この家は、、エコミュージアムの一部として保存されており、今後の推移を観察するのに好適である。このような所でさえ、噴火から6年を経過すると、それなりの大きさのオオイタドリが屋根の上に生えていた。
自然の回復は、このような住居跡をはじめとして、耕作地や、スキー場が放棄された場所のような、普段何気なく見ていると素通りしてしまう所でも見ることができる。植物は、火山をはじめとする様々な撹乱地において、人間よりもはるかにたくましく撹乱とつきあい、撹乱地植生という独特の植生を作り上げている。
多分、上の原稿を雛形に「春木雅寛・露崎史朗. 2008. 植生復帰. 洞爺湖・有珠火山地域の環境と資源企画展示ガイドブック. 北海道大学総合博物館, 札幌. pp. 16-19」のために大至急で書いたもの。写真は全て同一である。
さらなる元板は 有珠山の植生変化について
火山噴火は、自然攪乱の横綱格である大規模撹乱であり、その影響力は計り知れない。日本は火山大国であり、「島原大変肥後迷惑」など数多くの火山噴火に由来した話が聞かれる。
洞爺湖は、北海道南西部にあり支笏洞爺国立公園の一部をなすカルデラ湖である。その成因は火山噴火であるが、さらに、その南側には有珠火山群がある。この火山群には、もっとも標高のある大有珠(標高は737 m前後)を始めとして、小有珠、四十三山、昭和新山、有珠新山などの山々が含まれている。有珠山周辺の植生は、噴火の影響を強く受けており、極相を見つけることは難しい。しかし、火山の影響がなければ、その極相は、ミズナラ-エゾイタヤ-シナノキ林となると考えられる。このことは、有珠山には天然の針葉樹類がほとんどないこと、斜面の造林地間にミズナラ林が見られること、松浦武四郎の「東蝦夷日誌」に記録されている善光寺はコジマエンレイソウで有名だが、その林はミズナラ林に代表されることなどから、おおむね間違いない。
火山遷移は、教科書的な説明では、噴火直後には、土壌栄養が極めて乏しく維管束植物は侵入定着できず、窒素固定菌を有する地衣類や、岩の隙間の水分を利用できるコケ類などが侵入してくる。そして、時間が経過し、これらの植物によって土壌栄養が貯まると草本、特に、一年生草本が定着してくる。そして、多年生草本に置き換わり、さらに低木、陽樹、陰樹と置き換わっていく。そして、陰樹林をもって、日本では極相となる、と説明される。果たして、これは全ての火山でいえるのだろうか。
火山噴火は、植物の立場に立てば噴出物をもとに、溶岩性の噴火と、火山灰・軽石のような噴火降灰物(テフラ)性の噴火の2つに分けられる。両者は、噴火直後に土壌栄養が乏しいことは共通だが、溶岩は冷え固まれば動かないが、テフラは噴火が治まってからも降雨、融雪、強風により流される、という大きな違いがある。その結果、遷移初期には、侵入する植物が大きく異なることがある。
実は、有珠山の遷移は上で述べてきたものと大きく異なり、それは4つの格言でまとめることができる(重定・露崎 2008)。
(1)は、言葉通りで、テフラが移動を続ける限りコケや地衣類は定着できない。(2)については、有珠山では、後述する埋土種子集団中を除けば噴火の被害を免れた植生中に一年生草本はほとんど見られず、存在しない一年生草本は優占しなかった。(3)の力持ちは、テフラの下から再生できた大型多年生草本のことである。根系を大きく発達させる植物の方が不安定土壌では定着がよく、テフラが1-2 m程度の厚さであれば、オオイタドリは復活できた。(4)の兎は、遷移初期にマメ科植物が優占することで回復が早い部分を指す。しかし、マメ科植物がずっと優占すると、他種の侵入はむしろ阻害されていた。そして、結局、回復が遅い最初は裸地であった亀が、現在では、樹高が10 mを越え、林床に森林性の植物が生い茂り、回復競争に勝ってしまった。これらの点は、テフラが噴火の主体である合州国セントへレンズ山や渡島駒ケ岳においても概ね共通事象であり、冷温帯域のテフラ性噴火後の植物再生における共通点と思われる。
さらに、有珠山において特筆すべきこととして、噴火以前の土壌中に生存していたタネ(埋土種子)の存在がある。これらのタネは、テフラの下に埋もれ少なくとも20年間は生存しており、自然状態での種子の生存特性を知る上で世界的にも貴重な報告である。有珠山では、埋土種子が一年生草本を多く含んでおり、侵食により旧表土の表れた場所でのみ遷移初期に一年生草本が優占することができた。生きていたタネの写真は、2007年に開設された洞爺湖ビジターセンターにも展示されているので、ご覧になって頂きたい。
火山噴火後の自然の変化は、驚くべき速さで変わり行き、同じ自然を見ることは二度ととはない。お薦めポイントとして、噴火降灰物の堆積した屋根を見て欲しい。この家は、金毘羅火口の近くにあり、エコミュージアムの一部として保存されているため、今後の推移を観察するのに好適である。そして、このようなところでさえ、噴火から6年を経過すると、それなりの大きさのオオイタドリが屋根の上に生えていた。自然の回復は、このような住居跡をはじめとして、耕作地やスキー場などが放棄された場所のような、普段何気なく見ていると素通りしてしまうところでも見ることができる。植物は、火山をはじめとする様々な撹乱地において、人間よりもはるかにたくましく撹乱とつきあい、撹乱地植生という独特の植生を作り上げている。
* この辺の記載は、高校教科書ではかなり変わってきている。例えば、数研出版の「生物基礎」(2011)では、「新しくできた裸地は、植物が利用できる養分が乏しく、また直射日光による高温や乾燥にもさらされる。このようなきびしい環境である裸地へ最初に侵入する植物を先駆植物(パイオニア植物)という。先駆植物の多くはススキやイタドリなどの草本植物であり、場所によっては地衣類やコケ植物などが侵入することがある。」と記載されていた。 |