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(2021年6月12日更新) [ 日本語 | English ]

北海道 (Hokkaido)






有珠山 / サロベツ泥炭採掘跡
1986年, 2006年の有珠山火口原. ワタスゲ・エゾカンゾウ

北海道版の生物学の教科書があってもいいと思う今日この頃 [ 植物分布 , 地形 ] [ 世界 | 北海道 | 札幌 | 北大 ]

位置: N41°24'-45°31', E139°45'-145°50'
面積: 83,424 km2 (東京都 2,191 km2) - 国土の22%
地域区分
当然、色々あるが、ここで使おうとしてる(ご都合主義的)区分。しかし、「道西」という、言葉は聞かない
  • 道央: 石狩・空知・後志
  • 道南: 渡島・檜山・胆振・日高
  • 道北: 上川・留萌・宗谷
  • 道東: 網走・十勝・釧路・根室
AK

[湿原 (wetlands), 土壌 (soil in Hokkaido)]

気候

大区分: 本州 = 温帯 → 北海道 = 冷帯(亜寒帯)
中区分: 北海道気候 = 年間を通じ気温・湿度低く、四季の変化が明瞭

梅雨ない。積雪 + 本州以南に比べ春・秋短い → 開花・紅葉時期に大きなずれ

索引

自然環境

地史
地形: 第四紀完新世までに概ね形成

中央部南北方向の山脈: ユーラシアプレートと北アメリカプレートが押し合い形成

新第三紀末: 侵食 → 丘陵化

第三紀末頃以降: 中央部東西方向の山脈: 火山群

産業

農業・酪農
水産業
過去には炭鉱 (coalfield)
観光業
鉄道
railway
定山渓鉄道: 札幌-定山渓 (1969年廃止)
洞爺湖電気鉄道: 虻田(洞爺駅)-湖畔駅 (1941年廃止)

気候と生物分布


温量指数 (暖かさの指数, warmth index, WI) (吉良1948)

表. 北海道各地の年平均気温と温量指数、及び積雪 10 cm, 20 cm, 50 cm以上の年間日数 (温暖化で値は変化しつつあるが)

                    釧路 網走 帯広 旭川 札幌 函館
    年平均気温(℃)   5.5  5.9  5.9  6.2  7.8  8.2
    温量指数          47   54   58   63   69   66
    積雪 ≥ 0 cm (日)  56   99   90  129  113   66
    積雪 ≥20 cm       29   77   62  118   98   36
    積雪 ≥50 cm        6   18   18   78   60    0

冬寒い旭川や帯広も夏の温度は結構高く、農業の中心地であることが肯ける。釧路は夏の暖かさが足りないため農業には適さない

植物分布

第四紀
約200万年-2万年前に最低4回氷河時代(氷期)
欧州ではスカンジナビヤ半島、バルト海、ドイツ、ポーランド、ロシアの平原が、北アメリカ大陸ではアラスカ、カナダや合州国北部が巨大氷河(氷床)に覆われた。日本も日高山脈や日本アルプスの山々に氷河跡残る。氷期に膨大な氷が陸地を覆い、海水が減り海面が低下する。2万年昔のウルム氷期には、今より海面が140 m低かった。海面低下により、今海峡で隔てられた島々が繋がり、ウルム氷期最盛期に、北海道やサハリン、本州は大陸と陸続きとなる
寒冷化に伴い、北方系生物はサハリンや千島をへて北海道、本州へと南下 → 北海道にシベリヤ、サハリン、千島、カムチャツカ、アリウシャン、アラスカや北米西海岸と共通生物が多くみられる1理由
間氷期
氷期過ぎ間氷期になると北方系生物は北へ退き(一部は高山へ)、南方系生物が北上する。温暖化につれ氷河融水し、海面上昇し海峡でき、これを越えられない生物もいた。津軽海峡の様な深い海峡が、生物分布境界線となるのはこのため。今では陸地である石狩低地帯もある時には海であり、生物分布境界線になった。藻岩山に植物種が多いのも氷河時代のなごり

表. 日本付近の主な海峡(深さ)
タタール(間宮)海峡 宗谷海峡 津軽海峡 対島海峡 朝鮮海峡
20 m____________60______140_____120_____140

[植生垂直分布 vertical distribution of vegetation in Hokkaido]
[北海道の絶滅危惧植物 endangered plant species in Hokkaido]
[特定植物群落調査表]
[哺乳類 mammals]


月ヶ湖

月ヶ湖自然公園 (学術自然保護地区)

月ヶ湖 2つの沼(大沼、小沼)とそれをとりまく湿原・森林等から形成される。地域は、豊かな自然が残され、1975年に道自然環境保全条例に基づく学術自然保護地区に指定された。周辺に、ヤチダモ、ミズナラ、トドマツ等の樹木や、クマイザサ等が広がり、低湿地帯には、ミズバショウやエゾノリュウキンカ等の湿性植物が群生する。沼入江には、カイツブリやアオサギ等の野鳥が巣を作り、春にはヒナをつれた姿が見られる。入江は、5月-8月まで、野鳥がヒナを育てるため立入禁止区域とする。貴重な自然を守るため、植物の盗掘や、ゴミの投げ捨てはやめること。 (月形町)

羊蹄山 (Mount Yotei)


標高1898 m (後方羊蹄山 しりべしやま, 蝦夷富士 えぞふじ) → 日本百名山
後志地方南部(胆振国北西部)
円錐形成層火山

2003年 活火山指定(気象庁)

Yotei1 Yotei2 Yotei3
[1] 遠景. [2] 頂上近く. [3] 火口. [1-3] 2014年6月28日.

忍路 (Oshoro)


国指定史跡 忍路環状列跡

所在地 忍路2丁目
指定年月日 昭和36年3月10日
管理者 小樽市
忍路環状列跡(ストーン・サークル)は、約3,500年前の縄文時代後期の遺跡である。緩やかな斜面を平らな面に造成し、南北33 m、東西 22 mの楕円形に石を配置して作られている。近代に一部手を加えられ、作られた往時とは異なる所があるが、隣接する忍路土場遺跡との関係から、縄文時代の生活を知ることのできる重要な遺跡である。
Jomon この頃の東日本では、石を円形に敷きつめたり、石を環状に配置した墓、いわゆるストーン・サークルが作られ、その技術と文化が北海道にも入り、その後独自の変化をとげた。ストーン・サークルの用途は、各地調査例から日常生活空間と区別された墓地で、死者を弔う儀式も行われた場所であると考えられる。貴重な遺跡保護のため、立入りは遠慮されたい。(小樽市教育委員会)

留寿都 (Rusutsu)


後方羊蹄日誌
ケツプネイより羊蹄山を望む(「後方羊蹄日誌」より)

ルスツ開拓物語

地名のおこり
昔々、虻田や有珠に住んでいたアイヌの人たちは、尻別川を遡って来る鮭や鱒を捕りに出かけて来たが、その踏み分け道がここの地(今の留寿都)を通り、ソリオイ(橇負山)の麓で、ルーサン(留産)と気茂別(喜茂別)に行く道に分かれていた。それでアイヌの人たちは、この地を『ル・スッ』(道が山の麓にある)と呼んでいた。

後方羊蹄日誌

松浦武四郎とスルツ
松浦武四郎は、1858年(安政5年)、「尻別川の河口から、石狩の国勇払に越え、豊平に通じる道路を開くについての調査をせよ」との函館奉行所からの指示を受け、虻田から羊蹄山麓を経て、ルサン(留産)から尻別川東岸をさかのぼり、また喜茂別川にそって峠を越え、豊平に出て、石狩河口の大番屋までを調査した。そして、翌年その報告書ともいうべき「後方羊蹄日誌」を提出した。武四郎一行はルスツの地をはじめて歩いた和人である。
「後方羊蹄日誌」には、「ルソチ。平野の中雑木原有。其中じゃく(本文漢字, 熊笹のこと)多し。過て此処より左えも右えも道有。左の路を行時はシリベツ川すじのフルホク、ルーサンの方よし。右の道を行ば、ピン子シリ岳の南の方えさし行て此辺一面薄も短くして土は惣て赤石土のごとし」と書かれており、初めて歴史の中に「ルソチ」すなわち「ルスツ」という地名が出てきた。

[洞爺湖有珠山ジオパーク]

洞爺 (Toya)


洞爺湖底遺跡

成因不明, 遺跡そのものは未確認
1945-51頃 遺物(土器等)が浮見堂、八幡神社湖岸で蒐集できる

原因: 異常渇水? + 小陥没?

1958 竹田: 洞爺湖底 (ポロベツ川と洞爺川でできた扇状地)

遺物: 縄文文化前期-後期

海底林
三樹園(老三樹)沖合 - 沈木・沈森があった

材木利用されたため殆ど残っていない

沈木(埋木 うもれぎ): 水中や土中に沈んだ木
  • 洞爺村編纂. 1976. 洞爺村史(本編/資料編). 洞爺村 (洞爺湖底遺跡 pp. 85-)

環境省ビジターセンター(2004年7月オープン)

財田自然体験ハウス

map

(2019年10月28日現在)

shrine

月浦森林自然公園

加藤泰秋子爵別邸跡
月浦開拓の礎を築いた加藤泰秋(1846-1926)は、伊予国(愛媛県)大洲藩第13代藩主であった。明治24年に月浦、仲洞爺、留寿都等900町歩(900 ha)を一大農場とし、その経営に力を注いだ。明治31年には加藤子爵邸の一棟を教室とし月浦小学校の前身となる「幌萌教育所」を開設した。開設には、加藤子爵自ら携わり、私費で教育資材等を揃え、月浦地区の教育の場の基礎を造った。(製作者不明, 2018年9月4日)

洞爺湖畔三十三観音順路距離図
Toya
___________中洞爺環境整備協会

洞爺湖畔三十三観音の由来
『三十三観音』は、明治以降に洞爺湖畔に入植した先人達が、望郷の念にかられつつ幾多の苦難と闘う中で、通行安全、拓殖進展、更には誇りであり、心の支えでもあった風光明媚なこの洞爺湖を全国に知らしめたいという願いをこめ、明治39年に建立された。依頼、西国33ヶ所の霊場に因み建てられた『三十三観音』は、開拓者の刻苦の歴史そのものとして、70有余年の風雪に耐え、特定寺院の管理によることなく先人の意を受け継ぐ近隣の住民達の手によって守られ今日に至る。
バス [2021年4月11日確認]
始発: 札幌駅前 10:10 - 洞爺湖温泉 12:50
最終: 洞爺湖温泉 17:10 - 札幌駅前 19:50

片道 2830円、往復 5020円

道東 (eastern Hokkaido)


標津湿原 (国指定 天然記念物)

指定面積 212 ha
特徴: 湿原は、低層、中間、高層湿原に分けられる。低層湿原は地表面が水位より低く河川水や地下水の影響を受け、ヨシ類が主に生育する。高層湿原は泥炭の堆積が進み地表面が盛り上がり水位面より高くなり、ミズゴケ類、ツツジ科矮性低木が主に生育する。中間湿原は、両者の中間でヌマガヤが主となり、ワタスゲ、ヤチヤナギ、ホロムイスゲ、ヤマドリゼンマイが混じる。
標津湿原の水の供給は、雨、霧、雪のみで河川水の影響を直接受けない高層湿原と中間湿原が大部分を占める。高層湿原中心部は、湿原西端と比べ泥炭がドーム状に高く盛り上がる。また、チャミズゴケのブルテがテーブル状に連続し、直径1-5 m、高さは平均50 cmと発達し、湿原遷移の極相と見做せる。
発達過程
湿原誕生は、「縄文海進」時代に遡る。その頃は温暖期で今より平均気温が2-3度高く、海面上昇し低い土地には海が侵入した。ポー川や標津川沿いも海であった。その後、冷涼気候に戻ると、海面低下で海が退き、現在の海岸線の内側に砂丘が作られた。砂丘は標津川やポー川の流れを滞らせ、砂丘内側の低地に潟湖あるいは後背湿地となった。また、川が土砂を運び標津川やポー川の縁に堆積し自然堤防を形作った。こうして河川の影響を直接受けず安定した環境になると、オヒルムシロ、エゾノヒツジグサ、タヌキモ、ガマ、ヨシ、スゲが成育するようになった。植物遺体は腐食せず泥炭とし堆積し、低層湿原を経て約2500年前の縄文時代終わり頃に現在のような高層湿原となった。
植物と動物
標津湿原指定地には約140種の植物が生育する。高層、中間湿原にはチャミズゴケを始めとしたミズゴケ類25種、スゲ類10種、ツツジ科のコケモモ等の矮性低木4種など60種が成育する。湿原植物の内、エゾゴゼンタチバナ、ヒメツルコケモモ、カキツバタは環境省絶滅危惧種に指定される。
動物は、哺乳類18種、鳥類90種が確認される。湿原の中心である高層、中間湿原で繁殖するのは哺乳類でネズミ類とトガリネズミ類を合わせ6種、鳥類ではノビタキ、シマセンニュウ、マキノセンニュウ、シマアオジの4種類と少数である。他は河畔林や草原といった湿原周辺で繁殖しているか、採餌や移動、渡りの時に立寄る鳥が多い。
国史跡 標津遺跡群 伊茶仁カリカリウス遺跡
遺跡は、ポー川左岸の標高8-20 mの台地上と標高3-4 mの自然堤防上に分布する、縄文時代から擦文時代の集落跡を中心とする。冷涼気候の作用で土の堆積が遅く、アラスカやシベリア等の遺跡と共通した竪穴住居跡が窪みとして残る独特の遺跡景観が特徴である。地表から数えられた竪穴住居跡は2567あり、円形、楕円形をした縄文から続縄文時代のものが約1800、方形、長方形をした擦文時代のものが約770ある。こうした竪穴住居跡が大地に12ヶ所、自然堤防に5ヶ所に分かれて分布する遺跡群である。アイヌ文化のチャシ跡も2ヶ所あり、約7000年から約300年前まで長期に人々の営みが続けられてきた北海道最大級の遺跡である。
擦文時代の2文化
北海道東部の擦文時代は、本州から影響を受けた土着の擦文文化と沿海州方面から渡来したオホーツク文化の伝統を受け継ぐトビニタイ文化が混在した。カリカリウス遺跡には約770の擦文時代の竪穴住居跡があるが、大小の集落跡が認められる。2つの文化は10世紀頃から徐々に融合し13世紀初めには、アイヌ文化へ継承される。
擦文時代の竪穴住居跡群
竪穴住居跡は、方形で竈や入口の痕跡のある擦文文化のものと長方形の擦文文化のもの、方形(5角形)で石囲い炉が認められるトビニタイ文化のものに分けられる。トビニタイ文化の方形の竪穴住居跡は台地の前面に分布し、擦文文化の方形の竪穴住居は台地の奥側に分布、長方形の竪穴住居跡は北側の谷に面して点々と分布する。竪穴住居が条件の良い所から選地されたとすれば、トビニタイ文化、方形の擦文文化、長方形の擦文文化の順に竪穴住居跡群が形成されたと考えられる。また、台地の縁にトビニタイ文化の墓が集中して墓城が形成されている。
Shibetsu
カリカリウスチャシ跡
チャシは15-18世紀アイヌ文化遺跡で、壕と土塁に囲まれた場所で、戦い、儀式、見張り、居住地等に使われたと考えられる。跡は、南北33 m、東西22 mの規模で、北西南3方を壕で区切っている。西側は竪穴住居跡を掘り上げた土が高い部分い壕が掘られ部分的に二重になる。主体部は緩斜面で二箇所の段を設け、雛壇状に作られる。南西角は壕が途切れ入口の可能性がある。
ポー川
湿原中をゆっくり激しく蛇行しながら流れる。水源は、武佐岳麓から地下を伏流した湧水で、遺跡周辺で湧き出た80ヶ所以上の湧水を集めながら水量を増す。琥珀色の水は、湿原から供給されるタンニンや鉄分の影響による。水質自体は良好で、川には道東部に生息する淡水魚の殆どの種が生息する。緩やかな流れは、古くから丸木舟を使った交通路として利用された。

野付半島

半島形成と地形変化
延長約26 kmの日本最大規模を持つ砂嘴。約3000年前に形成が始まり、砂礫の堆積・浸食の繰り返しで現在の形となる。堆積は主に半島先端付近で進み、現在でも半島の延長が見られる。浸食は内湾側で進み、かつてトドマツ林を形成していた地域も浸食により海水が侵入し、立ち枯れを起こし現在のトド原を形成した。
    砂嘴の形成過程
    3000年前   2200年前  2000年前  1500年前   1000年前   現在
    海面上昇   海面下降  海面下降  海面上昇   海面上昇   海面下降
    外海側浸食           先端湾曲  外海側浸食 外海側浸食 
                                   先端湾曲   先端湾曲

知床

イワウベツ開拓と知床100平方メートル運動
一湖の対岸は、開けたササ原となるが、これは、昭和40年頃まで行われていた放牧の跡地である。知床五胡のあるイワウベツ台地一帯では、大正、昭和と2回にわたり開拓が試みられたが、いずれも失敗に終わり、入植した農家は全戸離農した。この開拓跡地を再び買い戻し、自然を復元する運動が、全国の人々の協力により進められている。

環境省・北海道・斜里町 (2020.08.29)

オシンコシンの滝
「そこにエゾマツの群生するところ」を意味するアイヌ語に由来する。流れが2本になっていることから、別名「双美の滝」とも言われる。この滝は平成2年に日本の滝100選に選定された。

道北 (northern Hokkaido)


origin

稚内 (Wakkanai)

稚内市発祥の地
江戸時代、1663(寛永10)年に最初の鎖国令を出した幕府は、諸国の商人にアイヌとの直接貿易を禁止し、蝦夷地(現在の北海道)に入れるのは松前藩のみとした。ここ宗谷に、松前藩の直轄地として宗谷場所が開かれたのはこの頃と考えられる。
18世紀後半になると、ロシアが交易を求めて蝦夷地に現れる。その対策として、宗谷では津軽藩、会津藩が北方の警備にあたり、さらに幕府の命を受けた庵原弥六、最上徳内、松田伝十郎、間宮林蔵などがこの地を訪れる。
1879(明治12)年7月、明治に入ると宗谷村に戸町役場が置かれる。この年を稚内の始まりとしている。1900(明治33)年には宗谷村から稚内が分村されるが、戦後、1955(昭和30)年に宗谷村と稚内市は合併し、今日に至る。
今も宗谷には、宗谷護国寺跡、宗谷厳島神社、旧藩士の墓をはじめ貴重な文化財が残されている。

稚内市教育委員会

temple
道指定史跡 宗谷護国寺跡

昭和32年1月29日指定

安政3(1856)年6月、有珠善光寺七代の性誉仙海が、宗谷郡取扱柏屋嘉兵衛の支配人、粂屋弥八衛門らと相談し、教法弘道のため泰平山松寿寺護国寺とし建立したもので、宗派は浄土宗、本尊は阿弥陀如来である。ここは、当時わが国最北端の寺であった処である。境内にはかつて北辺警備にあった諸藩士の墓が13基あり、もとこの付近に散在したものを一つの場所に移したもの。寺什として残っているものは、護国寺過去帳、藤原義行作の釣鐘等がある。

昭和41年7月15日 北海道教育委員会・稚内市

猿払村 (Sarufutsu Village)

モケウニ沼
モケウニ沼探勝道
延長 約350 M (片道)
代償3つの沼からなり湿地性植物群落で、沼周辺が埋められている。

下川町

天塩郡上川郡: 北見山地

ピヤシリ山 (986 m)
七尺ニレ

2016年1月25日 -31.8°C記録

記録: 旭川 -41.0°C (1902年1月25日)

アイヌ: パンケ・ヌカナン (川下の, ヌカナン川)

= 名寄川支流下川パンケ川沿岸

1960年 15555人(ピーク) → 農(酪農)林業・鉱業(三菱系銅山、三井系金山)

下川町森林組合: フプの森

抜海海岸

サロベツから直線距離で25 km北
ハマナス (Rosa rugosa)
特定植物群落: 稚内-抜海丘陵ササ草原

中頓別鍾乳洞第一洞案内

  • 鍾乳洞を形成するのは、珊瑚石灰岩
  • 日本の代表的鍾乳洞は、中生代から古生代(約1億年前-2億5千万年前)のものが多く、日本の鍾乳洞の多くは1億年-2億年前に形成された石灰岩の中にある。新しい時代に形成された鍾乳洞としては、新生代古第三紀、新生代第三紀、新生代新第三紀(約3百年前-約3千万年前)に形成された鍾乳洞もある
  • 新生代第三紀(約1千万年前)に堆積した中頓別層中に形成された新しい鍾乳洞で、中頓別石灰岩は、ごく新しい時代に貝殻片(ホタテガイやフジツボ類)の大量堆積でできた地層
    この様な新しい地質時代に貝殻片が密集しできた石灰岩割合の高い地層は珍しく、その中に発達した鍾乳洞は、日本では珍しく学術上貴重
  • 雨水や地下水に溶けた石灰分は、方解石結晶となり洞穴中で再び石に戻る。この石は場所により形が異なる。形の違いから、鍾乳石、石筍、石柱、リムストーン(畦石)、フローストーン(流れ石)、花状石灰華、ヘレクタイト、ケイブパール、浮遊カルサイト等と呼ばれる。鍾乳石や石筍は、1 cm形成されるのに数百年以上かかる
    鍾乳洞内は色々な形をした溶食形態残り、水中、水面上、水面付近でできる3つに区分される。本鍾乳洞では水中でできるポケット、水面付近で出来るメアンダー・トレンチ、ノッチ、波状溶食痕など様々な自然の造形が見られる
浜頓別鍾乳洞の歴史

1917(大正6) 「洞窟としての発見」: 林木作業をしていた馬方が、帰途に吹雪に会い、洞窟内に馬を引き連れ一夜を過ごしたのが中頓別鍾乳洞だったと伝えられる

1933(昭和8) 「鍾乳洞発見」: 村青年7人が探検し、鍾乳洞や石筍を確認
入口高4 m、広さ20坪程、上方へ60 m程延びた第一洞窟と第二洞窟発見

1938(昭和13) 「国天然記念物指定」: 当時の村役場は、鍾乳洞を保護すべく天然記念物指定を申請し、1938年に仮指定を受け、翌年に当時の文部省の調査を経て国天然記念物に指定された

1957(昭和32) 「北海道天然記念物」: 国天然記念物指定は1956年に解除され、翌年に北海道指定天然記念物となり現在に至る

2002(平成14) 「新洞窟の発見」

2006(平成18) 「自然ふれあい公園」: 平成14年度着手整備工事完了。管理等(ぬく森館)・駐車場・遊歩道・広場・せせらぎ水路・案内板・親水池等整備

道央 (central Hokkaido)


支笏湖

あるき

数字 = 滞在月, 年 = 年中
留 = 留鳥, 夏 = 夏鳥, 冬 = 冬鳥

•ハシブトガラ Mash Tit, 留: 年, •ヒガラ Coal Tit, 留: 年, •ヤマガラ Varied Tit, 留: 年, •シジュウカラ Great Tit, 留: 年, •ゴジュウカラ Nuthatch, 留: 年, •クマゲラ Black Woodpecker, 留: 年, •ヤマゲラ Grey-headed Woodpecker, 留: 年, •アカゲラ Great Spotted Woodpecker, 留: 年, •コゲラ Japanese Pygmy Woodpecker, 留: 年, •キバシリ Tree Creeper, 留: 年, •オオルリ Blue-and-white Flycatcher, 夏: 4-10, •キビタキ Narcissus Flycatcher, 夏: 4-10, •クロツグミ Grey Thrush, 夏: 4-10, •エナガ Long-tailed Tit, 留: 年, •ヤマセミ Greater Pied Kingfisher, 留: 年, •アオジ Black-faced Bunting, 夏: 4-10, •カワラヒワ Oriental Greenfinch, 夏: 4-10, •センダイムシクイ Eastern Crowned Leaf Warbler, 夏: 5-9, •ウグイス Bush Warbler, 夏: 4-10, •イカル Masked Grosbeak, 夏: 4-10 •キジバト Oriental Turtle Dove, 夏: 4-10, •アオバト Japanese Green Pigeon, 夏: 5-9, •ツツドリ Oriental Cuckoo, 夏: 5-9, •イワツバメ House Martin, 夏: 4-10, •カワセミ Kingfisher, 夏: 4-10, •シメ Hawfinch, 夏: 4-10, •ハクセキレイ White Wagtail, 夏: 4-10, •カイツブリ Little Grebe, 冬: 11-4, •マガモ Mallard, 冬: 11-3, •コガモ Teal, 冬: 11-3, •キンクロハジロ Tufted Duck, 冬: 11-3, •ヒドリガモ Wigeon, 冬: 11-3, •ホシハジロ Pochard, 冬: 11-3, •アオサギ Heron, 留: 年, •オジロワシ White-tailed Eagle, 冬: 11-3

[科], 数字 = 月

あるき
•エゾエンゴサク [ケシ] *4-5, •エンレイソウ [ユリ] *4-5, •カタクリ [ユリ] *4-5, •ナニワズ [ジンチョウゲ] *4-5, •ヒメイチゲ [キンポウゲ] *4-5, •フクジュソウ [キンポウゲ] *4-5, •オオバキスミレ [スミレ] *5-6, •オオバナノエンレイソウ [ユリ] *5-6, •コウライテンナンショウ [サトイモ] *5-6, •コンロンソウ [アブラナ] *5-6, •シラネアオイ [シラネアオイ] *5-6, •タチツボスミレ [スミレ] *5-6, •ツボスミレ [スミレ] *5-6, •フッキソウ [ツゲ] *5-6, •フデリンドウ [リンドウ] *5-6, •ムラサキケマン [ケシ] *5-6, •エゾムラサキ [ムラサキ] *5-7, •コケイラン [ラン] *6-7, •ズダヤクシュ [ユキノシタ] *5-7, •ハクサンチドリ [ラン] *5-7, •マイヅルソウ [ユリ] *5-7, •バイケイソウ [ユリ] *5-8, •ウツボグサ [シソ] *7-8, •エゾアジサイ [ユキノシタ] *7-8, •ウド [ウコギ] *7-8, •オオウバユリ [ユリ] *7-8, •イヌゴマ [シソ] *7-9, •オオイタドリ [タデ] *7-9, •アキノキリンソウ [キク] *8-9, •オオハンゴンソウ [キク] *8-9, •ツユクサ [ツユクサ] *8-9, •ネジバナ [ラン] *8-9, •ヤマジノホトトギス [ユリ] *8-9, •ヤマハハコ [キク] *8-9,

(科) 成虫出現期: 数字 = 月

あるき
  • アオジョウカイ (ジョウカイボン) 5-7 葉や花の上
  • ジョウカイボン (ジョウカイボン) 5-7 葉や花の上で姿を観ること多
  • オオルリオサムシ (オサムシ) 5-8 山地林内を歩行している姿を観ること多
  • イタドリハムシ (ハムシ) 5-9 オオイタドリ。斑紋変化
  • カラスアゲハの仲間 (アゲハチョウ) 5-9, 春夏の2回発生 平地-山地林道沿いに咲く花や水溜に多
  • セアカツノカメムシ (ツノカメムシ) 5-9 平地-山地樹上
  • ベニシジミ (シジミチョウ) 5-9, 年3回発生 平地-山地、市街地まで普通
  • モンキチョウの雌 (シロチョウ) 5-10, 春型/夏型 平地-山地の草原等開けた場所
  • ヒメウスバシロチョウ (アゲハチョウ) 6 山地の明るい林や林道に多 (別名ヒメウスバアゲハ)
  • オオカワトンボ (カワトンボ) ニホンカワトンボに和名変更 6-7 低山地渓流沿。翅色が橙色と透明なもの
  • キアゲハ幼虫 (終齢) (アゲハチョウ) 6-9 平地-山地の明るい道路沿等。幼虫はエゾニュウアマニュウ
  • クサカゲロウの仲間 (クサカゲロウ) 6-9 平地-山地の葉上に多
  • サッポロフキバッタの雌 (バッタ) 6-9 山地のフキの葉等の上や林道上
  • エルタテハ (タテハチョウ) 成虫: 7に出現 - 成虫越冬 = 早春にも姿が観られる 平地-山地の林道上等
  • キスジホソマダラ (マダラガ) 7-8 平地-山地, 花上
  • コムラサキ (タテハチョウ) 7-8 平地-山地の川沿にある林道上に多
  • ビロウドカミキリ (カミキリムシ) 7-8 広葉樹伐採木や枯木の他、葉上も多
  • トホシカメムシ (カメムシ) 7-9 平地-山地の広葉樹や林道沿の葉の上等
  • ハネナガフキバッタ (バッタ) 7-9 平地-山地の草原等
  • ノシメトンボ雌, 未熟 (トンボ) 7-10, 成熟すると体茶色 平地-山地の草原や水辺等、広い範囲
  • ヒトリガ (ヒトリガ) 8-9 平地-山地の林、夜間は灯火にも集まる

マナーとルール
動植物の採取は禁止されています
貴重な自然の保護に努めましょう

支笏洞爺国立公園 支笏湖ビジターセンター (2016/06/25)

中部

石狩川
石狩川水系本流 (1級河川): 流域面積 14,330 km2
中西部を流れ日本海まで - 現在は治水工事で以前より100 km程度短い
空知川
石狩川水系石狩川支流一級河川
上ホロカメットク山(十勝連峰)南斜面に源

南部

判官館(はんがんだて)の由来
『京の五条の橋の上』… 牛若丸と弁慶で親しまれる。牛若丸は悲劇の武将、源九郎判官義経。梶原景時の奸計により心ならずも兄頼朝との戦う弟義経は、密かに衣川をあとに海路蝦夷地をめざしたという。折りからの季節風に漂流数日、初めて見た蝦夷地は、日高山脈の残雪であった。義経は、ふと一際目立つ岸壁に気を奪われた。衣川上流の断崖とそっくりであった。義経は、懐しさのあまり上陸したが、空腹と安堵感からハマナスの砂丘に放心状態のまま倒れた。暫し後、水と食物を持った1人のアイヌ娘が立っていた。以後義経は、この娘と暮らす。義経は、この岩山を、源九郎判官の名にちなみ「判官館」と名付けた。義経は、奥州を出る時、一羽の鷹をつれていた。それは最愛の妻「静御前」と連絡する伝書鷹であった。静御前は、頼朝の人質となっていたため、伝書鷹のとりもつ連絡が、頼朝に発覚し、もはや義経は、判官館に住む危険を悟り何処ともなく姿を消した。それは海霧の深い朝であった。娘と離別を悲しむ2人の頭上に、哀愁を秘めた鷹の声がまっていた。

昭和五十九年七月 新冠村観光協会

道の駅 み つ い し
■ 町の紹介
道南部に位置し、雄大な太平洋と秀峰日高山脈を望む人口約5400人の農漁業中心の町。天明6(1786)年、阿部屋伝七が三石場所の請負人となり漁業を営んだのが、三石の始まりとされる。地名は、アイヌ語で「ピットウシ」(小石の多い土地)から転化し「みついし」と名づけられた。「ミツイシコンブ」産地であり、大正7年札幌市で開催された開基50周年博覧会で、北海道長官より表彰され、宮内庁御用達となり、現在では広く庶民に愛用される。
「えぞ人が彩るやひろめの世にひろく、その名きこえし三石の浜」

(横山由清・幕末の国学者)

■ 道の駅について
「みついし」は、建設省道路局長により北海道18番目の「道の駅」として平成7年4月11日に登録された。「道の駅」は、一般道路で安心し利用できる道路利用者のための休憩施設で、休憩・情報発信・地域連携の3機能を併せ持つ個性豊かな賑わいの場として、快適で質の高いサービスを提供する。
道の駅「みついし」は、海水浴・オートキャンプ場としてキャンパーで賑わう。館内にレストランやロビーがあり旅の疲れを癒す場として最適。

2016年6月14日 実習

シュンベツ川 (Syunbetsugawa River)

|☆| 北海道

大雪山 (Mounts Daisetsu)


黒岳小屋
1991: 旧小屋 → 新小屋移転

日高 (Hidaka)


崕山

夕張山脈主峰群に含まれ標高1066 m (芦別市南部)
石灰岩

固有種進化

1999- 入山制限: モニター登山のみ (過剰利用回避)

アポイ岳 (Mount Apoi)


標高 810.5 m
幌満橄欖岩 (Horoman peridotite)
2008 日本ジオパーク
2015 世界ジオパーク (アポイ岳ジオパーク)

なぜ低山に ここだけの高山植物が咲くの?

「低山なのに高山植物」 + 「ここにしか咲かない花の豊富さ」- アポイ岳の最大の魅力と不思議 ⇒ 3つの理由:
  1. 橄欖岩に多く
    含まれる酸化マグ
    ネシウムやニッケ
    ルが阻害の原因
    なのだ!

    橄欖岩
    アポイ岳を造る「橄欖岩」からなる土壌は、植物生育を阻害する成分を多く含む。
    橄欖岩は削られにくく土壌堆積に時間がかかる上、できた土壌も雨風で移動しやすく、土壌は薄く乾燥しやすく栄養も乏しい。
  2. 気象
    アポイ岳は太平洋沿岸から3 km程しか離れていず、夏には山全体が海霧に覆われることも珍しくない。
    霧は日光遮り、気温低下させ、夏は高山の様に涼しい。降雪量少なく強風に曝され積雪量少なく、地温低下する。
    ⇒ 気象条件がアポイ岳の環境を高山に似たものにしている。
  3. 地史
    アポイ岳誕生以来、陸地であり続けているため、誕生当時の植物群を保護してきた。氷期に陸続きとなった大陸から日本へ南下してきた北方系植物は、温暖な間氷期にアポイ岳等の山に逃げ込んだ。こうしてアポイ岳に残ったり避難した植物が、橄欖岩の特殊土壌に適応する過程で独自の進化を遂げ、固有植物が形成された。
⇒ 橄欖岩・気象・地史ノ3要因が複雑に重なり合い、ここにしかない高山植物を咲かせている。

Geosite B4

斑糲岩質と橄欖岩の互層

6-7合目

この辺りで森林限界を超えハイマツ帯となる。
看板奥に水平な層の露頭 - 硬く飛び出ている斑糲岩質の層と、窪んだ褐色の橄欖岩の層が交互に重なってできた。アポイ岳を形造っている幌満橄欖岩体は、多彩な橄欖岩と少量の斑糲岩質の苦鉄質岩がみごとな層状構造を作る。

アポイジオパーク

1884 宮部金吾 アポイ岳山麓の様似山道を踏査し、サマニカラマツやミヤマナナカマド等多くの植物採取
1892 北海道大学・徳渕永次郎 ヒダカトウヒレン・ヒダカイワザクラ発見
1893 仏人宣教師フォーリー エゾノジャニンジン・モミジバショウマ(サルルショウマ)発見
1912 北海道大学・近藤金吾 エゾコウゾリナ発見
1917 様似町冬島小学校校長・対馬正雄 ヒダカソウ発見
1922 北海道大学・石田文三郎 ミヤマハンモドキ発見
1927-1928 舘脇操が現地調査実施 84科268属423種14変種の植物目録
1928 内務省委嘱受け中井猛之進 天然記念物指定にアポイ山塊調査、1930「日高国様似郡アポイ山の植物報告書」発表、舘脇植物目録に180余種追加
1933 東京大学・原寛(後に同大教授) アポイ山塊を含む日高山脈南部の植物相調査し、翌1934-1939にかけて発表
1939 アポイ岳高山植物群落が国天然記念物に指定
1953 アポイ岳高山植物群落が国特別天然記念物に指定

逆転した垂直分布

アポイ岳に登ると、7合目付近で森林限界を超え視界が開ける。しかし、頂上は殆ど眺望がきかないダケカンバの森の中。これもアポイ岳の謎の1つ。通常、山の植生は、下から上に向かい「広葉樹林帯」→「針葉樹林帯」→「ダケカンバ帯」と進み、ここで森林限界を超え「ハイマツ帯」となる。しかし、アポイ岳では植生の垂直分布が逆転し、ハイマツ帯の上にダケカンバ帯がある。

ダケカンバ帯 9合目_____ハイマツ帯
ハイマツ帯 7合目_____ダケカンバ帯
キタゴヨウ林 3合目_______針葉樹林
針広混交林____________広葉樹林
●アポイ岳の植生● vs ○通常の高山の植生○


• 登山口付近に

ポンサヌシベツ川砂防(流路工)工事
"水と緑"の砂防モデル事業
■ 計画概要: ポンサヌシベツ川は自然に恵まれた川だが流れが急なため、大雨が降ると大量の土砂や石が水に混じって流れ出し被害を与えることがある。それを防ぐために"砂防"事業が行われており、その中の1つにこの流路工計画がある。護岸は自然石を利用し緩やかな傾斜や階段状にする。また、落差工を利用し淵を造り川に入りやすくする。このように多くの人が安心し利用できる環境づくりを行っている (室蘭土木現業所 浦川出張所)
• 登山口付近に 「山火事注意 王子製紙社有林」の大きな看板

札幌 (Sapporo)


年平均気温: 7.8°C
月平均気温最低: 1月に-5.1°C
日最低気温月平均: 1月に-9.5°C

→ 平均気温8.2°Cの函館より温量指数は高い
1年の5月間は最低気温0°C以下となり積雪がある
→ 植物は寒さから保護されることが南方系植物が多い理由

道花: スズラン
道木: ライラック
道鳥: カッコウ

ほろむい七草 (Seven Horomui Herbs)

幌向(原野) (岩見沢南西地域)の名を持つ7つの植物種
  1. Rubus chamaemorus L.: 希少植物(緑の国勢調査 1976)
  2. Carex oligosperma Michx. ssp. tsuishikarensis (Koidz. et Ohwi) T. Koyama et Calder. (ホロムイクグ): 絶滅危惧II類(NRL), 絶滅危惧種 (北海道RDB 2001)
  3. Juncus tokubuchii Miyabe et Kudo. (ホロムイコウガイ): 絶滅危惧IB類 (NRL 2012), 絶滅危惧種 (北海道RDB 2001)
  4. Carex middendorffii F. Schmidt.
  5. Scheuchzeria palustris L.
  6. Chamaedaphne calycula (L.) Moench
  7. Gentiana triflora Pall. var. japonica (Kush) H. Hara f. horomuiensis (Kudo) Toyok.

北区歴史と文化の八十八選 文学と学問の道

01. 文学と学問の道

01. 有島武郎邸跡
記念樹 「ニュートンのリンゴ 1995年移植
有島武郎邸跡に近接
02. 旧札幌中学校「発祥の地」碑
北海道初の中学校(大正11(1922)年まで庁立札幌第一中, 現札幌南高校)。N11/W3
03. 石川啄木の下宿跡
北7条西4丁目クレストビル1F (見つけづらい)
詩人・石川啄木が函館から札幌入りしたのは、明治40(1907)年9月14日である。札幌停車場に午後1時すぎ到着した啄木は、詩友・向井夷希微(いきび)らに迎えられ、彼らの宿でもあった「北7条西4丁目4番地・田中サト方」の住人となった。ときに満21歳。ここはその下宿があった場所である。
滞在2週間であわただしく札幌を去るが、勤め先の北門新報に「札幌は寔に美しき北の都なり」と印象記を残し、またしても小樽、釧路へと放浪の旅にでた。
「秋風記」 札幌は寔に美しき北の都なり。初めて見たる我が喜びは何にか例へむ。アカシヤの並木を騒がせ、ポプラあの葉を裏返して吹く風の冷たさ。
札幌は秋風の国なり、木立のまちなり。おほらかに静かにして人の香よりは樹の香こそ勝りたれ。大なる田舎町なり、しめやかなる恋の多くありさうなるさとなり、詩人の住むべき都会なり。 88
04. 朔風
北6条西7丁目自治労会館横
厳しい北海道の北風にむかいながら、たくましく前進を続けるエネルギーと、くじけることを知らない強固な勇気と気迫を表現。
昭和55(1080)年建立 作家 本多明二。題字 森尾 曻 (平成3年4月 札幌市北区役所)
05-06. 北区北7条西7丁目
05. 偕楽園跡
明治4(1871)年、開拓使建造の日本初都市公園 House
06. 清華亭
地域が公園(偕楽園)であった明治13年に、貴賓接待所とし開拓使工業局設計監理により建造された。庭園は、和洋折衷とした。翌14年、明治天皇北海道行幸の際に休憩所となった。偕楽園は、明治4年に札幌初の公園とし開設された。清華亭等の庭園造りをした独系米国人ルイス・ベーマーが園芸指導に当たる等し、園内に数百種類の植物が栽培され、北海道産業振興を担った農業試験場でもあった。後に、規模拡張し育種場と改め、博物場、温室、工業試験場等が付設された。また、園一帯に清冽な湧水が迸り、それらを水源とするシャクシコトニ川が流れていた。この川は「鮭の道」で、鮭鱒孵化場も設けられた。開拓使時代が終わる明治15年以降、各施設が移転される等し、偕楽園はその機能を失い、自然の杜へと返って行き、清華亭も民間所有となり忘れ去られる。しかし、清華亭周辺の自然は、子供達が駆け巡る天国となった。葦や笹が生い茂り、崖や谷地や斜面があり、セミ、クワガタがおり、青大将が出てきた。清流と大小の池にはフナ、八目鰻、ザリガニ等が住み、アキアジも上ってきた。昭和5年、建物は河野常吉氏の提唱で保存が図られ、同8年、札幌市に寄贈された。昭和36年6月7日、建物は北海道開拓黎明期の歴史を象徴し、開拓使の建築技術者が洋風建築に和風様式を導入した貴重な例とし、札幌市有形文化財に指定された。「清華亭遊園」「偕楽園緑地」に、かつての偕楽園池地、御膳水湧泉、子供達の水遊場の証跡を留める。

札幌市有形文化財 (2020年6月30日)

07. 新選組隊士永倉新八来訪の地
旧幕臣・新選組副長勤・永倉新八(1839年(天保10)4月11日生)は、徳川幕府崩壊後は杉村義衛と改名し大正年間まで生きた。京都池田屋戦の時は幕府から感状を受ける働きをした。土方歳三、沖田総司と並ぶ剣客。晩年は北大剣道場等で剣道の型を指南。各地を歴訪する等、悠悠自適の生活を送った。「武士乃節を尽くして厭まても貫現竹の心一筋」の歌を残し、1915(大正4)年1月5日、小樽の自宅で行年77歳を一期にその劇的生涯の幕を閉じた。新八ゆかりの道場は現北大本部北西に位置した。

平成14年4月 札幌北区役所

08. 佐藤昌介像
札幌農学校第1期生としクラーク博士の薫陶を受け、後に同校校長。明治40(1907)年、同校が東北帝国大学農科大学昇格し学長就任。大正7(1918)年、北海道帝国大学発足と同時に初代学長。帝国大学昇格に尽力し「北大育ての親」と言われる。
09. 北海道大学百年記念会館
昭和51(1976)年北大創基百周年記念事業とし昭和53年に建てられた。1階ロビーに百年史解説写真資料を展示する。2階に小会議室と和室があり、教職員や同窓生が利用している。南側庭園の池は、今は人工池だが、かつて豊富な湧水があり、放牧された牛達が頭を触れ合い水を飲んでいたと言う。
10. サクシュコトニ川
11. ウィリアム・S・クラーク像
Clark 明治9(1876)年、北海道開拓人材育成に札幌農学校が開設され、教頭に米国マサチューセッツ農科大学学長WSクラークが着任した。彼は、僅か9ヵ月の滞在中に精力的に農学校基礎造りに励み、キリスト教に基づく教育は学生達に大きな影響を与えた。帰国に際した"Boys, be ambitious!"の言葉は、今なお深い感銘を与える。
12. 古河記念講堂
(Furukawa Memorial Hall)
13. 旧札幌農学校校舎
N9/W8 北大構内

(N10W10北大理6号館裏)

14. 小麦研究記念碑

Wheat research monument

農場には、札幌農学校時代から麦類の種・品種が多数集められた。坂村徹博士はこれらを研究し、初めてコムギの正しい染色体数を明らかにした。引き続き木原均博士は、小麦種間雑種の細胞遺伝学的研究を行い、この領域に新時代を画した。ここは、木原博士が小麦研究を開始した地点であり、大学創基百年に際し同門相図り記念碑を建立した。[昭和51(1976)年建立]
15. 北大ポプラ並木
16.人工雪誕生の地」碑
17. 北大イチョウ並木
Mother and Child
18. 母子像 (N14/W5 医病)
財団法人協済会(北大附属病院)創立65年記念に建立し、北大に寄贈。前進の愛と力を両腕にこめて、愛し子をしっかりと抱くその姿は、訪れる人達や患者の心を強く引き付ける (作家 本多明二)
19. 恵迪寮歌「都ぞ弥生」歌碑
20. 北大遺跡保存庭園
21. 北海道大学農学部第二農場 (N18/W8構内)
22. 旧藤高等女学校校舎(キノルド記念館)跡
N16/W2 藤学園内

2. 水辺と開墾の道

23. 北27条公園通り (N26/W5-8)
旧札幌飛行場防風緑地帯 → 跡地 = 道路用地 ⇒
1984 コミュニティ道路: 長さ 400 m × 幅10 m

遊水広場・遊戯広場・モザイク壁(4枚)

24. いのち (交通安全祈念母子像)
北区縁の彫刻家 故坂坦道作。悲惨な事故が二度と起きぬよう願いを込め建立された交通安全記念像。像は昭和52(1977)年に建立だが、10年に渡る風雪で腕や足に亀裂が入るなど傷んできたため、昭和63年にブロンズで作り直した。母とその両手に抱かれ、もみじ葉の様な手を広げ大空を見上げる姿は、人の心を強く引き付ける。(N25/W7 若草公園)
昭和51年8月11日朝 坂尻直樹ちゃん死亡 交通安全・無事故誓い祈念碑建立 昭和52年5月20日 北区北第二町内会
25. 札幌飛行場正門跡と「風雪」碑
旧北海タイムス社設置飛行場(現在は門柱のみ)、隣の「風雪」碑は故坂坦道製作 (N24/W8)
2基の門柱は、かつて道内唯一の東京定期航空路を持つ札幌飛行場正門跡である。歴史は大正15(1926)年、旧北海タイムス社が報道用に北24条以北を滑走路としたことに始まる。昭和8(1933)年、逓信省はこれを含め拡張、53万m2の広大な飛行場とした。今井百貨店屋上に据え付けた航空灯台は、夜間飛行の指標であった。昭和20(1945)年終戦の年、札幌飛行場は閉鎖された。隣に同飛行場を偲ぶプロペラ型のブロンズ像「風雪」がある。これは、昭和62(1984)年に彫刻家「坂担道」が製作した。
26. 力士若勇わかいさみ
北24条西19丁目新川橋袂
かつて新川地区は純畑作農村で、村人により収穫時に祭典が行われた。主要行事の一つに奉納相撲があった。「若勇関」は、大正2(1913)年、25歳で富山県から本道に来て琴似村新川地に住居を持った。本名を前谷省三といい、素人相撲ながら大関を張り、豪快な取口は人々の話題をさらったと言われる。若勇関は、当時としては大型農業を営み、新川地区農業の基礎を作ったとも言われる。農民として力士としての功績を称えたのが「力士・若勇碑」である。大正10(1921)年、相撲引退記念に建てられた。
27. 馬頭大神
新川3条13丁目新川皇太神社境内
馬は農家にとってカイタックの蔭の功労者であった。馬の健康を祈り、苦労への感謝が「馬頭大神」となった。この「馬頭大神」は、昭和24(1949)年に建立されたが、今でも馬頭さんのお祭りと呼ばれる例祭が、毎年10月17日に行われている。
28. 新川桜並木・新川緑地
新川3条17丁目天狗橋
29. 新川「開基百年記念」碑
新川4条14丁目新川中央公園
新川地区開拓は、明治22年頃から屯田兵や一般入植者が定住し本格化した。湿地帯であり幾度となく水害に襲われたが、先人はこれを乗り越え豊かな農耕地帯へと導き、現在の住宅地へと発展させた。地名は、物資輸送と水害防止に役だった人工河川「新川」が由来。本記念碑は、開基百年を記念し平成元年建立
30. 近藤牧場
新川694番地
31. 安春川の水辺と散策路
琴似5条1-10丁目付近
32. 新琴似屯田兵屋 (跡地)
Torii 33-41. 新琴似8条3丁目新琴似神社境内
新琴似神社: 祭神 = 天照皇大御神・豊受大神・神武天皇(三柱)
由緒: 明治20年5月20日北海道開拓の歴史に深い陸軍屯田兵第1大隊第3中隊が入植と同時に中隊本部の東方浄泉の湧き出づる四神相応の浄地を相して社地と定め三柱の神を奉斎する神祠を建て北辺の地に開拓と警備に精励する生活中に心のより処とする守護神とし御鎮斎されたのが新琴似神社の創祀である。
33. 屯田兵もやい井戸跡
明治29(1887)年、新琴似に九州を中心とする屯田兵146戸入植。生活を支えた井戸は4戸の共同使用で風呂が併設された。「もやい」とは「共同」の意味。この井戸は水脈までモウソウ竹を打ち込んだもので水が30 cmほど自噴していた。竹は長さ約30 m、継目にコンブを巻いたと言う。
34. 東繁造君学勲碑
東繁造は大正9(1920)年夏、当時の東大教授三田定則の門下生として血液鑑別方法を研究。それまで鑑別しにくかった人間と家禽類の血液を早く確実に見分ける科学的鑑別法に成功。方法は、恩師と自分の名をとり「三田・東法」と名づけた。碑は、氏功績を称するため、昭和35(1960)年に当時の東大名誉教授古畑種基らにより建立された。
35. 新琴似兵村記念碑
新琴似地区は、明治20(1887)年、屯田兵入植により開かれた地で、開村50周年を記念し昭和11(1936)年に建立された。既に開村5年記念に建立した「新琴似開村記念碑」が神社東側にあったが、永年風雪に曝され、文字の解読も困難となり、新たにこの碑を建立したものである。幌硬石の外柵を巡らしコンクリートの基礎、この上に幅3.5 m、高さ42 cmの仙台石を台座として高さ5.3 m、幅2.17 m、厚さ30 cmの板石を建てる。裏面には、入植屯田兵220名の氏名が刻印される。
36. 新琴似の馬魂碑
碑は、大正8(1919)年に光明寺境内(新琴似7条1丁目)に建立されたが、昭和50(1975)年に新琴似神社境内に移された。開拓時代、家の手足となり働いた農耕馬を供養するためのもの。当時の主な農家は、愛馬を弔うため、各農地の片隅等に建てたりしたが、総括し「馬頭観世音」とし奉置した。
37. 吹田晋平歌碑
吹田晋平(本名菅進)は、明治35(1902)年8月19日新琴似生。永年にわたり歌人、政治家とし地域発展に貢献した。55年間に歌人とし数々の秀作を発表する一方、札幌市議会議員を通算6期24年勤め、市政発展と地域振興に尽力した。碑は、氏の功績に報いるため有志が昭和47(1972)年に建立した。
38. 新琴似「百年碑」
明治20(1887)念の屯田兵入植に始まる新琴似地区は、当時、あまりにも厳しい自然環境に耐えきれず、離農する人達が後をたたなかったと言われている。最後までこの地に望みをかけ踏み止まった少数の屯田兵と、新天地を求めて新たに渡ってきた一般の入植者の不屈の精神によって、昼なお暗き鬱蒼たる原始林が切り開かれ、良好な農地から住宅地へと目覚ましい発展を遂げた。この記念碑は、開基百年を記念して昭和61(1986)年に建立された。
39. 新琴似屯田兵中隊本部
Moyai 札幌市指定有形文化財
建物は、明治20年九州各地士族146戸入植(翌21年74戸補充)により発足した新琴似兵村(屯田兵第1大隊第3中隊)本部とし明治19年に建てられた。明治36年屯田兵役解除後、新琴似兵村会の共有財産とし引継がれ、明治44年兵村解散後は、新琴似屯田親交組合、新琴似兵村部落会、新琴似自治会、新琴似町内会、新琴似産業組合、新琴似中学校仮教室、札幌市新琴似出張所等に使用される等、時代の変遷を経て昭和40年11月、札幌市に寄付された。昭和43-46年度にかけ、創建当初に復元する改修工事が行われ、昭和49年4月20日に歴史的価値高く建築構造上も貴重な建造物とし、札幌市有形文化財に指定された。建物構造は、木造、小屋裏部屋付平屋建て、全体の形は素朴でおおらかさがあり、玄関出入口窓回り等の細部、小屋組等に当時流行した洋風木造建築の特徴を良く残している。現在札幌市では、新琴似屯田兵中隊本部保存会の協力を得て建物を保存管理している。
札幌市有形文化財 (Headquarters for the Shinkotoni Soldier Village)
40. 新琴似「拓魂」碑
新琴似開基百年を記念し、開拓を支えてきた先人と共にあった農業組織の歴代会長を顕彰するもので、昭和61(1986)念に建立された。日高産の赤石で、正面に「拓魂」2文字と碑文、裏面に歴代組合長名が刻まれている。
41. 新琴似「開村記念碑」
新琴似地区は、明治20(1887)年、屯田兵入植により開かれた地で、開村5年記念に建立された。碑が永年風雪に曝され、文字解読も困難となり、先人の開拓の功を後世に伝えるため、神社西側に「新琴似兵村記念碑」とし昭和11(1936)年に再建された。
42. 歌人・若山牧水来訪の地
新琴似7条3丁目
43. 新琴似歌舞伎の跡地
新琴似7条1丁目 marijuana
44. 帝国製麻琴似製線工場跡
明治7(1874)年当時のロシア公司・榎本武揚が開拓使長官・黒田清隆にロシア産の亜麻種子を送ったのが、本道の亜麻栽培の始まりであったと言われる。明治20(1987)年に後の帝国製亜麻株式会社となる亜麻会社が発足。現在の麻生町一帯の8万坪(244,000 m2)の地に製線工場を建設し、明治24年に操業を開始した。明治後期、亜麻事業は全盛期を迎え隆盛を続けたが、昭和20年代に入り原料のコスト高や化学繊維の進出などで、工場は閉鎖の運命を余儀なくされた。昭和32(1957)年のことである。ここは、工場長宅があったところで、当時からのアカマツが残っている。工場は現在の麻生球場付近にあったと言われる。(麻生町3丁目)

3. 森と歴史の道

45. 屯田防風林
Tonden Tonden
約8kmの樹林帯 (屯田1条2丁目-5条12丁目)
ポプラ・シラカンバ。主な林床植物: スミレ類(4-5種)・オカトラノオ・エゾエンゴサク・オオウバユリ・オオバナノエンレイソウ・ミズヒキ・マイヅルソウ・キンミズヒキ
46. 植樹碑
札幌すずらんライオンズクラブが公園内にサクラ約1000本を植樹した記念
47. はたちのつどい記念塔
屯田4条10丁目屯田西公園内
48. 屯田みずほ通り
屯田5条1丁目-5条12丁目
49. 屯田の太陽
屯田5条6丁目屯田地区センター前庭
50. 屯田郷土資料館
屯田5条6丁目屯田地区センター内
51-55. 屯田7条7丁目屯田開拓顕彰広場
51. 「屯田兵第一大隊第四中隊本部跡」の碑
屯田はかつて篠路兵村といわれ、兵籍は屯田第一大隊第四中隊にあった。碑建立地には第四中隊本部が建ち、北側一円一万(3.3 ha)が練兵場となっていた。屯田開基百年記念事業協賛会が昭和63(1988)年入植百年を機に、中隊本部の建つ地点を明確にするため建立した。
52. 篠路兵村「開拓碑」
碑は、屯田地区開基40年を記念し昭和3(1928)年に建立。約500字に及ぶ漢詩調の碑文は、当時北大総長の佐藤昌介が寄贈。玉石五段積み、この上に自然石を乗せ、高さ1.8 mの台座に、高さ2.8 m、幅90 cmの仙台石の棹石としている。
53. 水田開発記念碑
屯田地区は、当初畑作主体の農業であったが、農家経済成り立たず、立て直すために稲作を目指した。兵村の公有財産を売却し資金を作り、篠路兵村土功組合を大正2(1913)年に創設し、新川や創成川から水利をはかって約670 haの美田を造成した。多収穫のための研究団体も設立して札幌一の水田単作地域となった。碑は、土功組合が創設されてから45年後の昭和33年(1958年)に建立された。
54. 屯田兵顕彰之像
屯田地区が屯田兵開拓により始まり発展したことから、この功績を讃え建立された。屯田開基百年記念事業の一環とし昭和63(1988)年に建立された。
55. 馬魂之像
駿馬のブロンズ像は、昭和63(1988)年の屯田開基百年を機に建立された。礎石の下には、屯田にあった10基にのぼる馬頭観音や愛馬の基碑を埋設し、農耕に尽くして倒れた馬魂の慰霊碑とした。礎石は、小樽市張礁産の自然石で、ブロンズ像は富山県高岡市の石塚秀堂が制作した。
56-58. 屯田7条6丁目江南神社境内
56. 篠路兵村「移住記念碑」
篠路兵村(現, 屯田)に屯田第一大隊第四中隊として220戸の屯田兵が入植したのは、明治22年7月15日。家族も含めると1,056人の入植集団だった。士族屯田としては最終の入地で、出身県は徳島県29戸、和歌山県37戸、石川県32戸であった。記念碑は入植して7年後の明治29年に建立された。
57. 屯田開基九十周年記念顕彰碑
明治22(1889)年7月15日に220戸の屯田兵が入植して以来、数度の水害や冷害凶作等で、明治42年には70戸余りの小集落になった。しかし、度重なる自然の猛威を乗り越え一大水田単作地域となり、昭和40年代に入り住宅地として発展してきた。碑は、昭和53(1978)年の開基90周年を記念して建立された。正面の短歌は吹田晋平の作である。 red pine
58. 望郷のアカマツ
明治27年春、屯田兵本部は屯田兵が故郷を偲ぶ縁にと、屯田兵220戸にアカマツ苗木各2本、水松(オンコ)苗木各1本を「望郷の松」と銘打って無償配分した。目的は屯田兵定着率向上だが、屯田兵は喜んで兵屋前庭に植えた。平成3年、屯田にはこの「望郷の松」を含め4本残る。
59. 馬霊神蕾驊号の碑
屯田7条2丁目服部氏邸内
60. 馬霊第七王驊号之碑
屯田7条1丁目石川氏邸内

4. 農村文化発祥の道

61. 創成川通りのポプラ並木
太平7条1丁目北三番橋
62. 太平の馬頭観世音
太平6条1丁目松岡氏邸内
63. 太平会館資料室
太平8条2丁目太平地区会館内
64. 太平開基百年碑
太平12条3丁目太平公園内
65. '86さっぽろ花と緑の博覧会モニュメント
百合が原210番地百合が原公園内
66. ハルニレの森づくり発祥の地
百合が原210番地百合が原公園内
67. 「篠路烈々布(れつれっぷ)開基百年」碑
百合が原11丁目篠路烈々布会館前
68. 篠路烈々布郷土資料館
百合が原11丁目篠路烈々布会館内
69. 篠路歌舞伎発祥の地
百合が原9丁目
70. 篠路コミュニティセンターの藍と篠路歌舞伎の展示
篠路3条8丁目
71. 篠路駅周辺の倉庫群
篠路3条7丁目
72. 篠路獅子舞
73. 力士・小松山之碑
74. 篠路神社の馬魂碑
75. 早山そうやま家のアカマツ
篠路7条7丁目早山氏邸内
76. 龍雲寺の馬頭観世音
77. 荒井金助と早山清太郎ゆかりの地
78. 龍雲寺のイチョウ
篠路5条10丁目龍雲寺前

5. 藍の道

79. 水野波陣洞はじんどう句碑
東茨戸ガトーキングダムサッポロ内(近くの道)
「白鳥の翼に唸ふり被り」、水野波陣洞は、北の風物を捉えた作風の句作に務めた。本作は、本人が土木測量等の仕事に従事しながら、頭上を白鳥が飛ぶ様を歌ったと言う。昭和51(1976)年、札幌市文化奨励賞受賞。
80. 川端麟太句碑
東茨戸ガトーキングダムサッポロ内(近くの道)
「のぞみありて庶民の帽の青きひさし」、川端麟太は、庶民の歌声としての俳句をめざし、豊かな庶民感覚を盛り込んだスケールの大きい作品が多い。この作は、一生懸命働く人の様を歌ったものと言う。
川端麟太略歴 (碑)
大正8年1月16日札幌市生。本名 川端末泰。北海中学校在学中より実兄に句洗の手解きを受け俳誌「暁運」にて句作の に入る 昭和23年3月 これまで関係せる一切の俳誌の同人を辞退し、細谷源二を中心に山田緑光らと「北方俳句人」創刊。後に「氷原帶」と改題後編集人。昭和45年11月、細谷源二死亡により代表を経て主幹となる。句碑の「のぞみありて 庶民の帽の 青きひさし」は第一句集「庶民の帽」の代表作。北海道俳句協会常任委員 現代俳句協会々員 北海道新聞俳壇選者
81. 藍栽培ゆかりの地
篠路町篠路419番地
82. 宮西頼母たのも歌碑
篠路町篠路419番地
83. 興産社の馬頭観世音
篠路町拓北87番2
84. 仙人庚申塚せんにんこうしんづか
あいの里4条2丁目
85. 篠路の馬魂碑・馬頭観音
篠路町拓北255-7柳沢農場内 Tonneusu
86. トンネウス沼
あいの里4条8丁目あいの里公園内「トンネウス沼」。地区における雨水貯留機能をもち、茨戸川に水門でつながる旧河川で、水深1 m前後、瓢箪型で周囲約1 km。この池は、流れがないうえ水深が比較的浅く、水草が豊富にあるため、貴重なトンボの生息地となる。昭和61年調査では、「セスジイトトンボ」、「オオイトトンボ」、「アジアイトトンボ」など稀少種3種の他、「ギンヤンマ」など10数種のトンボが確認された。(H17.3)
87. あいの里開発記念之碑
あいの里4条6丁目拓北会館前
88. 「あいの里」竣工記念碑
あいの里1条5丁目JRあいの里教育大駅前

地形 (geography)


札幌周辺の地形

地形上4地域区分: (1)西部山岳地帯: 北西部手稲山-南西空沼岳、(2)西岡・月寒丘陵: 南-南東にかけた緩い起伏、(3)豊平川扇状地: 山鼻の藻岩橋付近頂点に北西-北東に拡がる、(4)低地湿原: 豊平川扇状地北-石狩海岸
数千万年前
札幌付近 = 海 → 海底火山活動 = 火山岩・火山砕屑岩や泥岩等堆積 → 西部山岳地帯基盤形成 → 上昇沈下何回か起こり陸地化海域化を繰り返す
数100万年前
地層隆起し陸化
200万年前
各地から溶岩噴出し古い地形を覆い溶岩台地形成。手稲山、砥石山、朝里岳、余市岳、無意根山、札幌岳、空沼岳等の山々が、標高1000-1400 mさに揃うのは、この時の火山活動の産物なため。溶岩台地形成に伴いできた古豊平川は、台地を削り現在の山地を形成 八剣山
3-4万年前
支笏大噴火により火山噴出物が支笏北東南地域を広く厚く覆い出来たのが西岡月寒丘陵で、一部は火山灰が再び融け固まり溶結凝灰岩を作る(= 石山札幌軟石)。多量の噴出物を放出した支笏は陥没しカルデラを作り、古支笏湖形成。その後地殻の割目に沿いフップシ岳、恵庭岳、樽前山の火山が噴出し現支笏湖となる。その頃まで古い石狩川は石狩低地帯を通り太平洋に流れたが、支笏火山噴出物により千歳付近でせき止められ大湿原を作る。やがて流路を日本海へ変え、寒冷気候と相まって札幌北部東部低地帯に湿原や泥炭地を作る
札幌西部山地を削った豊平川は、平野にでて大きな扇状地を作った。豊平川は、始め石山付近から真駒内方面へ流れ、現在の澄川・平岸に古い扇状地を作ったが、やがて流路を今の様に変え古い扇状地(平岸面)より低い札幌面を作り、その上に札幌市が建設された。扇状地北端は現JR線路付近で、多くのメムから浄水が湧き出したが、市街地での地下水多量汲み上げで殆ど枯れた

西岡水源池

明治末、月寒連隊水源として月寒川を人工的にせき止め作られた。その後市水道普及まで市民水源として利用されたが、現在、公園となり市民の憩いの場となる。水源池周辺は支笏火山噴出物で形成された丘陵で、火山灰地にも強いミズナラ等の落葉広葉樹林だが、その中に明治の植林と思われるトドマツやドイツトウヒが混じり、小高い丘には最近の植林であるカラマツ林もある。
月寒川をせき止めた水源池奥にヨシ湿原が拡がり、その中の木道をゆくと、湿原中にヤナギ類、続いてハンノキが増え、周辺からササも侵入し湿原が森林へ移り変わる様子が分かる。森では林床は殆どクマイザサで、間を流れる月寒川は川原を作ることなく、静かに蛇行してゆく。水辺にトクサ等もみられる。
トクサは、茎に硬い珪酸質の筋があり物を磨くのに用いた。スギナ(ツクシ)と同属のシダ植物で緑色茎の上に直接胞子嚢(土筆ンボウ)がつく。ツクシの胞子体は胞子を出すと枯れ、別の所から緑色のスギナが出る。いずれも節があり葉は極小さい。トクサ類はシダ植物であるヒカゲノカズラ類等と共に3億年昔の古生代石炭紀に繁茂し大森林を作った。ロボク(トクサ類)やリンボク・フウインボク(ヒカゲノカズラ類)等の生き残りで、今は種子植物の木陰で生きている。生殖に水が必要なため、水辺でしか生きていけない
主な樹種: ミズナラ、シラカンバ、シナノキ(オオバボダイジュ)、エゾイタヤ、ハウチワカエデ、ヤマモミジ、キタコブシ、ホオノキ、エンジュ、ハルニレ、センノキ、オニグルミ、ヤチダモ、ハンノキ、ヤナギ類

藻岩山スキー場植生 (露崎 1992)

藻岩山 (Mount Moiwa)


南区(43°01'05''N, 141°19'31.9''E, 標高 531 m)
藻岩山はアイヌ語で「インカルシペ」と呼ばれる。札幌のアイヌ民族・市民有志は、この山を「鮭の遡上を見張るところ」として、「カムイノミ(神への祈り)」という伝統儀式を毎年この場所で行い、聖なる山として敬ってきた。
また、幕末の探検家、松浦武四郎は「後方羊蹄日誌」の中で、アイヌ民族が深く信仰している尊い神の山だったと書き残している。
札幌市街や石狩平野を一望できるこの山には、ランコ(和名 カツラ)、チキサニ(ハルニレ)、オッケニ(キタコブシ)、タッニ(カバ)など70種類以上の樹木が繁茂しており1921(大正10)年3月3日に天然記念物に指定された学術上価値の高い原生林となっている。

2018(平成30)年9月 札幌市

天然記念物 藻岩山原始林

所在地 札幌市字藻岩国有林
指定年月日 大正10年3月3日
この原始林は明治のはじめ開拓使時代から保護され、大正4(1915)年に北海道庁が原生天然保存林に編入し、大正10(1921)年に天然記念物に指定された。
指定地は山頂から分水嶺を境にした北東斜面一帯で樹種は場所によって違うが、広葉樹ではシナノキ、エゾイタヤが主で、これにサワシバ、オヒョウ、シウリザクラ、ヤマモミジ、アオダモが混成し、わずかにミズナラ、ウダイカンバがある。針葉樹ではトドマツがあり小面積の純林もみられるが、エゾマツは少ない。林床にクマイザサ、ネマガリダケが多い。この原始林一帯は樹木と草本類をあわせて400種以上の植物があり、学術上非常に貴重である。
注意事項 一 きめられた登山道以外通行しないこと。 ニ 樹木や草を採取したり動物を採集しないこと。 三 指定地内および付近では火を使用しないこと。
前記の事項に違反した者は法律により罰せられますのでご注意ください。

文部省 北海道教育委員会 昭和44年2月16日建設 特徴: 原始林の名 - 厳密には原始林ではない
松浦武四郎「後方羊蹄日誌」安政5(1858).2.11(旧暦)

「川の西岸の方に、針葉樹に覆われた小山があるがこの山がインカルシヘ(藻岩山)で …」 - 明治始頃まで、エゾマツ・トドマツの多い混交林
乱伐害に気づき開拓使は、自然風致を損なうとし伐採禁止

フロラ(flora)の特徴

北海道 (Hokkaido) 全体の約1/2の木本種がみられる
  1. 温帯北部渓谷沿の代表的森林(カツラ林)よく発達した落葉広葉樹林
  2. 南方系要素もあるが、北方系亜寒帯林作るエゾマツ・トドマツ等混じる
  3. 南方系・北方系両要素が混じり樹種が豊富
道内と藻岩山に見られる植物の種数 [藻岩/道内]

高木 = 41/78, 低木 = 54/114, ツル植物 = 12/17, 計 = 107/209

森林分布

  1. ロープウエイ終点-山頂:
    ダケカンバ二次林。林床クマイザサ。藻岩山南西斜面は全体として山火により原生林なく、草地・カンバ類二次林、トドマツやカラマツ人工林等となる
  2. 山頂-北側登山道、馬背尾根筋:
    頂上下アズキナシ、アオダモもみられるが、シナノキ、ミズナラ、エゾイタヤが主の林で、林床クマイザサ。ケヤマハンノキ、オヒョウ、ベニイタヤ、ハリギリ、ウダイカンバ等もみられる
  3. 馬背-北斜面、谷筋:
    尾根筋と樹種変わり、オヒョウ、オニグルミ中心に、カツラ、ヤチダモ、ウダイカンバ目立ち、エゾマツ、トドマツも混じる。林床クマイザサ
  4. 山裾:
    発達したカツラ林にハルニレ、エゾイタヤ等混じる。林床にクマイザサの他にハイイヌガヤ。森林周辺部の明所にシラカンバ表われる
. 藻岩山で見られる代表的な種子植物
高木. マツ科 (エゾマツ・トドマツ). クルミ科 (オニグルミ). カバノキ科 (ダケカンバ・ウダイカンバ・シラカンバ・ケヤマハンノキ・ハンノキ・アサダ). ブナ科 (カシワ・ミズナラ・コナラ). ニレ科 (ハルニレ・オヒョウ). クワ科 (ヤマグワ). カツラ科 (カツラ). モクレン科 (キタコプシ・ホオノキ). バラ科 (エゾヤマザクラ・シウリザクラ・エゾノウワミズザクラ・アズキナシ・ナナカマド. マメ科 (イヌエンジュ). カエデ科 (ハウチワカェデ・ヤマモミジ・エゾイタヤ・ベニイタヤ・オガラパナ). シナノキ科 (シナノキ・オオバボダイジュ・モイワボダイジュ). ウコギ科 (ハリギリ). ミズキ科 (ミズキ). モクセイ科 (アオダモ・ヤチダモ)
春の花. センリョウ科 (ヒトリシズカ). キンポウゲ科 (ニリンソウ・アヅマイチゲ・キクザキイチゲ・ヒメイチゲ・フクジュソウ・エゾノリュウキンカ・シラネアオイ). メギ科 (サンカヨウ). ケシ科 (エゾエンゴサク・エゾキケマン・クサノオウ). アブラナ科 (モイワナズナ・ヒロバコンロンソウ). ユキノシタ科 (ネコノメソウ). バラ科 (キジムシロ・ツルキジムシロ・ミツバツチグリ). スミレ科 (タチツボスミレ). シソ科 (オドリコソウ). アカネ科 (クルマバソウ). サトイモ科 (コウライテンナンショウ). ユリ科 (ホウチヤクソウ・チゴユリ・エンレイソウ・オオバナエンレイソウ・ユキザサ・キバナノアマナ・マイヅルソウ・ツクバネソウ・クルマパツクバネソウ・オオアマドコロ・カタクリ). ラン科 (ギンラン・コケイラン). ジンチョウゲ科 (ナニワズ). ツゲ科 (フッキソウ)

札幌および近郊の公園 (parks in Sapporo and its suburbs)


道庁

大通公園: 中央公園/道路公園
丸山公園、中島公園: 近隣公園
美香保公園、月寒公園、農試公園: 近隣公園/小公園
真駒内公園: 運動公園
野幌森林公園: 市外公園
北大植物園: 動物園、植物園 + 北大キャンパス、道庁等も公園機能を果たす
特徴
札幌の1人あたり公園面積は、他大都市と比べ比較的広いが、市域面積広く対面積率小さく、都心に公園少ない。1人あたり並木本数でも札幌市は他都市と比べてかなり多いが、小径木多く貧弱。しかし、冬期間の積雪除雪問題があり一概に大きい方が良いと言えない。札幌市は1人あたり公園面積を欧米大都市並みにする計画あったが、問題は都心部分における公園設置

一級河川石狩川水系

精進川

平岸の河岸段丘は、西の集落岩層により形成された。「中の島」地区は、昔は豊平川中洲で、精進川は豊平川川道の名残。そこを、アイヌ語で"オソ(ショ)ウシ"(川尻に滝がある)と呼び、"お精進川"→精進川という説と、豊平川段丘崖に滝があるため鮭が遡上できなかった川である"魚の住まない川"、即ち、精進川になったという説等がある。
豊中公園横 (ふるさとの川づくり)
柵とコンクリートの護岸を外し、緩斜面とした。ここには人工植栽はせず在来植生の侵入を待った。
河畔林保全区域 (北海道土木現業所事業課)

elm
樹齢300年以上のハルニレ2本の夫婦神
木には「地の神」が宿っていると言われ
触れると足腰の疲れ、肩こり、健康回復、
頭脳明晰、夫婦円満、縁結び、不老長寿
等々に良いと言われる。

中の島神社
祭神:
大国主命おおくにぬしのみこと 土地の幸せを護る神
稲倉魂命いなくらたまのみこと 食物と商売繁昌の神
水波能売命みずはのめのみこと 水の神
弁天宮命べんてんぐうのみこと 水の神(戦後孵化場から合祀)
隣: 中の島かわら公園
相馬神社
  1. 馬頭観音碑 明治38年9月、平岸、澄川の農家の人々が、開拓に重要な役割を果たした農耕馬の魂を慰めるため長専寺に奉納したもの。平岸通の拡張延長工事のため、昭和42年、この地に移された。
  2. 相馬神社御神木
  3. 平岸開村五拾年記念碑 リンゴ園を中心に栄えた平岸村の開村50年を記念して、大正9年5月、地元の有志によって建てられた。
  4. 相馬神社創立記念碑 相馬神社は、明治41年11月に神社として許可を受けた。碑は、10年目にあたる大正6年、静寂を保つ天神山の頂上に建てられた。

平岸地区とよひら"ふるさと再発見"委員会・札幌市豊平区

氷池ひいけ
天然氷を切り出すための氷池を、地域住民要望により再現したもの。
大正11年頃から昭和12年頃まで、精進川と豊平川南22条橋の両側に幅25 mの池を造り天然氷を採取していた。氷を厚くするために、一冬に二回しか切り出せなかった。氷池から切り出した氷は馬車で札幌に運ばれ、冬のリンゴ農家の貴重な収入源となっていた。

前田森林公園 Maeda Forest Park

Szekely セカリー広場: Szekely 彫刻「幻想の鳥」はフランス彫刻家ピエールセカリー(Pierre Szekely)氏が日仏友好のために制作し、これを記念しセカリー広場とした。セカリー氏は、1923年ハンガリーのブタペスト生まれ1946年にパリに移り、石彫作家として、現在世界各地で活躍。(1988年6月 札幌市)

野幌森林公園 Nopporo Forest Park

道立自然公園
昭和の森 野幌自然休養林 林野庁北海道森林管理局 石狩森林管理署
北海道博物館

歩くスキーコース (4·6·8 キロ): 連絡 北海道博物館

道立自然公園 野幌森林公園遊歩道マップ
Hokkaido Prefectural Natural ParkNopporo Forest Park Map
Nopporo
桂コース (大沢コース分岐-大沢園地: 1.7 km)
カツラの大木が沢沿いに見られ、秋には紅葉が楽しめる。四季を通して多くの野鳥が見られる
大沢コース (大沢口-大沢園地: 1.9 km)
トドマツ人工林の他、常緑低木のハイイヌガヤなどが見られ、カツラ、ハルニレ、ハルニレの大木に原始の面影を感じる

[看板] 人口造林地 35林班ろ小班. 樹種 トドマツ. 面積 0.23 ha. 数量 ___千本. 実行年月 T14年5月. 石狩森林管理署

渓畔広葉樹林

大沢付近は、野幌の森林の中でも最も幅広い谷あいで、この様な条件の所には渓畔林が発達する。代表樹種としては、カツラ、ハルニレ、ヤチダモ、ケヤマハンノキなどがあり、所々にトドマツを交える。この他、ミズナラ、オヒョウ、キタコブシ、ホオノキ、シウリザクラ、Acer amoenum、ベニイタヤ、シナノキ、オオバボダイジュ、ハリギリ、ミズキ等、多様な広葉樹がある
エゾユズリハコース (大沢コース分岐-志文別線分岐: 1.2 km, Daphniphyllum macropodum Path)
「北海道名木百選」にも選ばれたカツラの大木やヤチダモが見られ、大沢の池などでは水鳥もみられる
四季美コース (志文別線分岐-大沢園地: 1.9 km)
天然林と人工林が見られる平坦なコース。春にはミズバショウやキタコブシなどが見られ、大沢の池などでは水鳥も見られる
志文別線 (大沢コース分岐-登満別園地: 3.7 km)
トウヒやカラマツ等の人工林の他、ドロノキ、ヤチダモ等の沢沿いの天然林や、オニグルミ等様々な樹木が見られる。国有林の「学びの森」として、モミジ・カラマツ・エゾマツコースの3本の観察コースが整備される

モミジ(3.7 km): 多様な樹種が生育し変化に富む天然林で、紅葉もお勧め
カラマツ(1.6 km): 明治時代に植えた針葉樹の大木や、原の池を巡る
エゾマツ(2.2 km): 緩やかな起伏のある沢沿いコースで、天然林と大正時代植林のヒノキ・ヒバ林、広葉樹人工林等が見られる

ふれあいコース (自然ふれあい交流館-百年記念塔: 1.5 km)
沢沿いの渓畔林では、春にエンレイソウやニリンソウ等が見られ、開拓跡地の草原からは百年記念塔が望める

[看板] 野幌森林づくり塾による植栽箇所
[看板] 森は(公社)北海道トラック協会が環境保全のため、地域ボランティアの協力を得ながら育てています。(公社)北海道トラック協会

記念塔連絡線 (文教通-ふあいコース分岐: 1.6 km)
開拓跡地の草原やカラマツの防風林、沢沿の天然林が見られ、秋にはススキ群落やナナカマド並木の紅葉が楽しめる
開拓の沢線 (北海道博物館前駐車場-開拓の村 0.5 km)
沢沿いの天然林の中を縫う小道で、オオウバユリやエゾゴマナ等の花や、沢野付近では様々なシダが見られる
瑞穂連絡線 (中央分岐-瑞穂の池園地: 1.6 km. 百年記念塔-瑞穂の池園地: 1.9 km)
若い人工林や広葉樹二次林、鬱蒼とした針広混交林、豊富な林床の草花と多様な森の姿が見られ、瑞穂の池では水鳥等の観察を楽しめる
基線 (瑞穂口-登満別園地: 3.6 km)
トドマツ等の人工林が両側に続く平坦な道
瑞穂線 (瑞穂口-開拓の村: 1.7 km)
開拓の村付近から瑞穂の池園地にかけては天然林となり、野鳥に出会う確率も高く、瑞穂の池では水鳥もみられる
中央線 (大沢口-トド山口: 5.1 km)
西側の開拓跡地には、昔の天然林の姿を再生するよう植樹が行われている。東側にはトドマツやトウヒ等の人工林が見られる
下野幌線 (瑞穂口-中央線分岐: 3.6 km)
トドマツやカラマツの人工林、広葉樹林、針広混交林と多様な森林の姿を見ることができる
登満別線 (登満別園地-中央線分岐: 3.8 km)
トドマツや広葉樹からなる天然林に、沢や小さな沼が点在し、草花や昆虫も多様なものが観察できる
公園利用時は、ルールを守り自然を楽しむ! ※季節を問わず一年通して守る
•動物や植物(山菜やキノコ)をとらない •生き物を捨てない、持ち込まない •ゴミは持ち帰る •遊歩道から外れない •車で乗り入れない •野性生物に近づかない •火気に注意する
周辺
〇共〇生〇の〇森〇 [看板 2020.05.05]
[広島幼稚園 森育の場] やかまし [看板 2020.05.05]
ここは学園所有の森です。関係者以外の方の出入りはご遠慮ください。 学校法人 北広島龍谷学園
cycling
「水辺の広場」と「エルフィンロード」
「水辺の広場」(73.5 m2)のうち、57.1 m2は穴田輝行さんから「エルフィンロード」関連施設とし市民が自然と親しめる憩いの場となるよう寄附して頂いた。

札幌恵庭自転車道線の一部(北広島市の部分)

「水辺のデッキ」
--- メモ --- 「市道北進通線 地質調査委託」看板が至る所に。深度15.00 mまで [施工者 越前屋試錐工業(株)]

アイヌ (Ainu)


北海道を知る上で、触れないのは変。

アイヌ語地名

ベッ pet (川) - 別, 津
道南西部: 川 / 道北東部: 山中の支流
ナイ nay (川) - 内
道南西部: 小さい川 / 道北東部: 川

札幌: サッポロベツ = サッ•ポロ•ベッ(乾燥する・大きい・川)、サリ•ポロ•ベッ(芦原•広大な•川)、他諸説
札内: サッ・ナイ (乾燥する•川)
石狩: エ•シカリ•ペッ(頭・回流・川) 他諸説
空知川: ソー•ラプチ•ペツ(滝が幾重にもかかる川) ↔ 滝川 - 意訳
シュンベツ川: Shum-un-pet「西•の•川とMenash-pet「東•川」

ト to (湖) - 戸, 洞, 遠, 涛, 十, 統
ヌプリ nupuri、シ: 高い山、目立つ山

幌尻
タンネ・ウェン・シリ: 長い・悪い・山 (= 手稲: 和語)
カヤベ(カヤウンベシュ)・ヌプリ: 帆のある崖山 (= 渡島駒ケ岳: 和語)

イワ iwa: 神聖な山 Ex. 藻岩、恵庭
tapkop: たんこぶ山
ピラ pira: 崖

平取・平賀・赤平・小平・古平

ペシ pesi: 水際の崖 チャシ casi: 柵、囲い、垣根、城、砦
チセ : 家、母屋、クマ冬眠穴、ハチ等の巣
ケ (毛)
増毛(益毛・増気・像計) (マシュキニ/マシュケ)
送毛 (オクリケ/ウクルキナ - 食用植物名)
大楽毛 (オタ・ノシケ)
琴似川 ケネウシべッ Kene-ush-pet (ハンノキ・多くある・川)

コトニ kot-ne-i (窪地に・なっている・もの)

動物

エヌノヤ enumnoya/ヌノヤチ numnoya-cip (ヤマガラ)
エチキキッポ e-cikiki-p-po (シジュウカラ): そこで•チキキと鳴く•者(•指小辞)
コペッチャ kopetca (マガモ)
エソソキ e-soksoki (アカゲラ): 頭を・トントン打ちつける
ムルルンチカ mururun-cikap (アオジ): ハマニンニクのやぶ・にいる・鳥

[ 認識人類学 ]

アイヌ植物命名法 (Ainu plant nomenclature)


主に幌別地方 (山田 1994)

1) 語彙素に分解できない = 基本名

ランコ ranko (カツラ)
マニ rarmani (イチイ)
ノヤ noya (オオヨモギ)
ハッ hat (ヤマブドウの果実)
日本語語源: ササンキ(ササゲ), アントキ (アズキ), ポフ (ハマボウフウ), クンク (シオクグ), チヤルペ (チャペ, エノコログサ東北方言)等
トマ toma (エゾエンゴサク)

2) 語彙素に分解 - 基本名を含まない

ni (木)
チキサニ ci-kisa-ni (ハルニレ): 我ら・こする・木
シケ sikerpe-ni (キハダ): シケペ(キハダの実)•木
ケネ ke-ni (ハンノキ): 血(の)・木
ピンニ pin-ni (ヤチダモ): 傷・木
トゥレニ turep-ni, テマニ tesma-ni (ヤマグワ): トゥレのなる木 / カンジキtesmaにする木
オンネチクニ onne-cikuni (エゾニワトコ): 老大な・木
トベニ tope-ni (エゾイタヤ): 乳汁(< to 乳房 + pe 水)・木
ニ•ハル ni-haru (ヤドリギ): 木•弁当
キキンニ kiki-ne-ni (ナナカマド・ウワミズザクラ): 魔神も追い払う(棒幣)・-になる・木
レタッタッニ retat-tat-ni (Betula platyphylla var. japonica): 白い樺皮とれる木
カムイタッニ kamuy-tat-ni (Betula ermanii): 神の樺皮とれる木
シタッニ si-tat-ni (Betula maximowicziana): 本当の樺皮とれる木
クト kutu (筒/円棒 ≈ 茎)
イコクトゥ ik-o-kutu (オオイタドリ):節•多い•茎 (方言多)
キナ kina (草)
パラキナ para-kina (ミズバショウ): 幅広い•草
•キナ siw-kina (エゾニウ): 苦い•草
キナ•エマウリ kina-emawri (オオバナノエンレイソウ): 草•いちご
has (枝)
sum-nu-has (クロモジ): 油•持つ•枝条
カプ has-ka(o)-p (クロミノウグイスカグラ): 枝条•の上•にたくさんなる•もの カムイプンカ kamuy-punkar (ツルマサキ): 神•蔓
ト•カ•オマ• to-ka-oma-p (沼•の上•にある•もの, ドクゼリ)
ペカンペ pe-ka-m(un)-pe (水•の上•にある•もの, ヒシ)
エト•オ•ラキ• etor-o-ratki-p (鈴•そこに•ぶら下がっている•もの, オオアマドコロ)
シク•シク sikup-sikup (バイケイソウ): 成長する•成長する
トゥレ tu-re-p (オオウバユリ): とける(<ru)•させる•もの
イピシシ i-pisisi-p (エゾイラクサ): 我々を•痛がゆくする•もの
イケマ i-kema (イケマ): それ•の足

3) 語彙素に分解 - 基本名を含む

ピタ•カ•ウン•ノヤ pitar-ka-un-noya (カワラヨモギ): 河原の上にあるノヤ
イワ•トペ•ニ (ヤマモミジ): 山地トペニ(エゾイタヤ)
セタココニ seta-korkoni (ゴボウ): 犬•フキ
チカットマ, チカトマ, トカトマ cikap-toma (キバナノアマナ): 鳥•エゾエンゴサク塊茎
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