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(2021年6月12日更新) [ 日本語 | English ]

北海道 (Hokkaido)






有珠山 / サロベツ泥炭採掘跡
1986年, 2006年の有珠山火口原. ワタスゲ・エゾカンゾウ

北海道版の生物学の教科書があってもいいと思う今日この頃 [ 植物分布 , 地形 ] [ 世界 | 北海道 | 札幌 | 北大 ]

地域区分
当然、色々あるが、ここで使おうとしてる(ご都合主義的)区分。しかし、「道西」という、言葉は聞かない
  • 道央: 石狩・空知・後志
  • 道南: 渡島・檜山・胆振・日高
  • 道北: 上川・留萌・宗谷
  • 道東: 網走・十勝・釧路・根室
HOK

[湿原 (wetlands), 土壌 (soil in Hokkaido)]

気候

大区分: 本州 = 温帯 → 北海道 = 冷帯(亜寒帯)
中区分: 北海道気候 = 年間通じ気温・湿度低く、四季の変化明瞭

梅雨ない。積雪 + 内地に比べ春・秋短 → 開花・紅葉時期に大きなずれ

索引

自然環境

地史
地形: 第四紀完新世までに概ね形成

中央部南北方向の山脈: ユーラシアプレートと北アメリカプレートが押し合い形成

新第三紀末: 侵食 → 丘陵化

第三紀末頃以降: 中央部東西方向の山脈: 火山群

産業

農業・酪農
水産業
過去には炭鉱 (coalfield)
観光業
鉄道
railway
定山渓鉄道: 札幌-定山渓 (1969年廃止)
洞爺湖電気鉄道: 虻田(洞爺駅)-湖畔駅 (1941年廃止)

気候と生物分布


温量指数 (暖かさの指数, warmth index, WI) (吉良1948)

表. 北海道各地の年平均気温と温量指数、及び積雪 10 cm, 20 cm, 50 cm以上の年間日数 (温暖化で値は変化しつつあるが)
                            釧路 網走 帯広 旭川 札幌 函館
年平均気温(°C)     5.5   5.9   5.9    6.2   7.8   8.2
温量指数               47    54    58     63    69    66
積雪 ≥  0 cm (日)  56    99    90    129   113   66
積雪 ≥ 20 cm        29    77    62    118    98    36
積雪 ≥ 50 cm          6    18    18     78     60     0  
冬寒い旭川や帯広も夏の温度は結構高く、農業の中心地であることが肯ける。釧路は夏の暖かさが足りず農業に適さない

植物分布

第四紀
約200万年-2万年前に最低4回氷河時代(氷期)
欧州ではスカンジナビヤ半島、バルト海、ドイツ、ポーランド、ロシアの平原が、北アメリカ大陸ではアラスカ、カナダや合州国北部が巨大氷河(氷床)に覆われた。日本も日高山脈や日本アルプスに氷河跡残る。氷期に膨大な氷が陸地を覆い、海水が減り海面低下する。2万年昔のウルム氷期には、今より海面が140 m低かった。海面低下により、今海峡で隔てられた島々が繋がり、ウルム氷期最盛期に、北海道やサハリン、本州は大陸と陸続きとなる
寒冷化に伴い、北方系生物はサハリンや千島をへて北海道、本州へと南下 → 北海道にシベリヤ、サハリン、千島、カムチャツカ、アリウシャン、アラスカや北米西海岸と共通生物が多くみられる1理由
間氷期
氷期過ぎ間氷期になると北方系生物は北へ退き(一部は高山へ)、南方系生物が北上する。温暖化につれ氷河融水し、海面上昇し海峡でき、これを越えられない生物もいた。津軽海峡の様な深い海峡が、生物分布境界線となるのはこのため。今では陸地である石狩低地帯もある時には海であり、生物分布境界線になった。藻岩山に植物種が多いのも氷河時代のなごり

表. 日本付近の主な海峡(深さ)
タタール(間宮)海峡 宗谷海峡 津軽海峡 対島海峡 朝鮮海峡
20 m____________60______140_____120_____140

[植生垂直分布 vertical distribution of vegetation in Hokkaido]
[北海道の絶滅危惧植物 endangered plant species in Hokkaido]
[特定植物群落調査表]
[哺乳類 mammals]


月ヶ湖

月ヶ湖自然公園 (学術自然保護地区)

月ヶ湖 2つの沼(大沼、小沼)とそれをとりまく湿原・森林等から形成される。地域は、豊かな自然が残され、1975年に道自然環境保全条例に基づく学術自然保護地区に指定された。周辺に、ヤチダモ、ミズナラ、トドマツ等の樹木や、クマイザサ等が広がり、低湿地帯には、ミズバショウやエゾノリュウキンカ等の湿性植物が群生する。沼入江には、カイツブリやアオサギ等の野鳥が巣を作り、春にはヒナをつれた姿が見られる。入江は、5月-8月まで、野鳥がヒナを育てるため立入禁止区域とする。貴重な自然を守るため、植物の盗掘や、ゴミの投げ捨てはやめること。 (月形町)

忍路 (Oshoro)


国指定史跡 忍路環状列跡(ストーン・サークル)

所在地 忍路2丁目    指定年月日 昭和36年3月10日    管理者 小樽市
忍路環状列跡は、約3500年前の縄文時代後期遺跡である。緩やかな斜面を平面に造成し、南北33 m、東西 22 mの楕円形に石を配置し作られている。近代に一部手を加えられ、作られた往時とは異なる所があるが、隣接する忍路土場遺跡との関係から、縄文時代の生活を知ることのできる遺跡である。
Jomon この頃の東日本では、石を円形に敷きつめたり、石を環状に配置した墓、いわゆるストーン・サークルが作られ、その技術と文化が北海道にも入り、その後独自の変化をとげた。ストーン・サークルの用途は、各地調査例から日常生活空間と区別された墓地で、死者を弔う儀式も行われた場所であると考えられる。貴重な遺跡保護のため、立入りは遠慮されたい。(小樽市教育委員会)

留寿都 (Rusutsu)


後方羊蹄日誌
ケツプネイより羊蹄山を望む(「後方羊蹄日誌」より)

ルスツ開拓物語

地名のおこり
昔々、虻田や有珠に住んでいたアイヌの人たちは、尻別川を遡って来る鮭や鱒を捕りに出かけて来たが、その踏み分け道がここの地(今の留寿都)を通り、ソリオイ(橇負山)の麓で、ルーサン(留産)と気茂別(喜茂別)に行く道に分かれていた。それでアイヌの人たちは、この地を『ル・スッ』(道が山の麓にある)と呼んでいた。

後方羊蹄日誌

松浦武四郎とスルツ
松浦武四郎は、1858(安政5)年、「尻別川河口から、石狩国勇払に越え、豊平に通じる道路を開く調査をせよ」と函館奉行所から指示を受け、虻田から羊蹄山麓を経て、ルサン(留産)から尻別川東岸を遡り、また喜茂別川に沿って峠を越え、豊平に出て、石狩河口の大番屋までを調査した。翌年その報告書ともいうべき「後方羊蹄日誌」を提出した。武四郎一行はルスツの地を初めて歩いた和人である。
「後方羊蹄日誌」には、「ルソチ。平野の中雑木原有。其中じゃく(本文漢字, 熊笹のこと)多し。過て此処より左えも右えも道有。左の路を行時はシリベツ川すじのフルホク、ルーサンの方よし。右の道を行ば、ピン子シリ岳の南の方えさし行て此辺一面薄も短くして土は惣て赤石土のごとし」と書かれており、初めて歴史の中に「ルソチ」即ち「ルスツ」という地名が出た。

[洞爺湖有珠山ジオパーク]

洞爺 (Toya)


洞爺湖底遺跡

成因不明, 遺跡そのものは未確認
1945-51頃 遺物(土器等)が浮見堂、八幡神社湖岸で蒐集できる

原因: 異常渇水? + 小陥没?

1958 竹田: 洞爺湖底 (ポロベツ川と洞爺川でできた扇状地)

遺物: 縄文文化前期-後期

海底林
三樹園(老三樹)沖合 - 沈木・沈森があった

材木利用されたため殆ど残っていない

沈木(埋木 うもれぎ): 水中や土中に沈んだ木
  • 洞爺村編纂. 1976. 洞爺村史(本編/資料編). 洞爺村 (洞爺湖底遺跡 pp. 85-)

環境省ビジターセンター(2004年7月オープン)

財田自然体験ハウス

map

(2019年10月28日現在)

shrine

月浦森林自然公園

加藤泰秋子爵別邸跡
月浦開拓の礎を築いた加藤泰秋(1846-1926)は、伊予国(愛媛県)大洲藩第13代藩主であった。明治24年に月浦、仲洞爺、留寿都等900町歩(900 ha)を一大農場とし、その経営に力を注いだ。明治31年には加藤子爵邸の一棟を教室とし月浦小学校の前身となる「幌萌教育所」を開設した。開設には、加藤子爵自ら携わり、私費で教育資材等を揃え、月浦地区の教育の場の基礎を造った。(製作者不明, 2018年9月4日)

洞爺湖畔三十三観音順路距離図
Toya
___________中洞爺環境整備協会

洞爺湖畔三十三観音の由来
『三十三観音』は、明治以降に洞爺湖畔に入植した先人達が、望郷の念にかられつつ幾多の苦難と闘う中で、通行安全、拓殖進展、更には誇りであり、心の支えでもあった風光明媚なこの洞爺湖を全国に知らしめたいという願いをこめ、明治39年に建立された。依頼、西国33ヶ所の霊場に因み建てられた『三十三観音』は、開拓者の刻苦の歴史そのものとして、70有余年の風雪に耐え、特定寺院の管理によることなく先人の意を受け継ぐ近隣の住民達の手によって守られ今日に至る。
バス [2021年4月11日確認]
始発: 札幌駅前 10:10 - 洞爺湖温泉 12:50
最終: 洞爺湖温泉 17:10 - 札幌駅前 19:50

片道 2830円、往復 5020円

道東 (eastern Hokkaido)


標津湿原 (国指定 天然記念物) 指定面積 212 ha

特徴: 標津湿原の水供給は、雨、霧、雪のみで河川水の影響を直接受けない高層湿原と中間湿原が大部分を占める。高層湿原中心部は、湿原西端と比べ泥炭がドーム状に高く盛り上がる。チャミズゴケのブルテがテーブル状に連続し、直径1-5 m、高さ平均50 cmと発達し、湿原遷移の極相と見做せる。
発達過程
湿原誕生は、「縄文海進」時代に遡る。その頃は温暖期で今より平均気温が2-3度高く、海面上昇し低地に海が侵入した。ポー川や標津川沿も海だった。その後、冷涼気候に戻ると海面低下で海が退き、現在の海岸線の内側に砂丘が作られた。砂丘は標津川やポー川の流れを滞らせ、砂丘内側の低地に潟湖あるいは後背湿地となった。川が土砂を運び標津川やポー川の縁に堆積し自然堤防を形作った。こうして河川の影響を直接受けず安定した環境になると、オヒルムシロ、エゾノヒツジグサ、タヌキモ、ガマ、ヨシ、スゲが成育する。植物遺体は腐食せず泥炭とし堆積し、低層湿原を経て約2500年前の縄文時代終頃に現在の様な高層湿原となった。
植物と動物
湿原指定地には約140種の植物が生育する。高層、中間湿原はチャミズゴケを始めとしたミズゴケ類25、スゲ類10、ツツジ科(コケモモ等)矮性低木4など60種が成育する。湿原植物の内、エゾゴゼンタチバナ、ヒメツルコケモモ、カキツバタは環境省絶滅危惧種指定である。
動物は、哺乳類18、鳥類90種が確認される。高層、中間湿原で繁殖するのは哺乳類でネズミ類・トガリネズミ類合わせ6種、鳥類はノビタキ、シマセンニュウ、マキノセンニュウ、シマアオジの4種類と少数である。他は河畔林や草原といった湿原周辺で繁殖するか、採餌や移動、渡り時に立寄る。
国史跡 標津遺跡群 伊茶仁カリカリウス遺跡
遺跡は、ポー川左岸標高8-20 mの台地上と3-4 mの自然堤防上に分布する縄文-擦文時代集落跡を中心とする。冷涼気候の作用で土堆積遅く、アラスカやシベリア等の遺跡と共通した竪穴住居跡が窪みとし残る遺跡景観が特徴である。地表から数えられた竪穴住居跡は2567あり、円形、楕円形をした縄文-続縄文時代のものが約1800、方形、長方形をした擦文時代のものが約770ある。竪穴住居跡が台地に12ヶ所、自然堤防に5ヶ所に分かれて分布する遺跡群である。アイヌ文化チャシ跡も2ヶ所あり、≈ 7000-300年前まで長期に人々の営みが続けられた北海道最大級の遺跡である。
 擦文時代2文化: 道東擦文時代は、本州の影響を受けた土着擦文文化と沿海州方面渡来オホーツク文化の伝統を受け継ぐトビニタイ文化が混在した。カリカリウス遺跡には約770の擦文時代竪穴住居跡があり、大小集落跡が認められる。2文化は10世紀頃から徐々に融合し13世紀初めには、アイヌ文化へ継承される。
 擦文時代竪穴住居跡群: 穴住居跡は、方形で竈や入口の痕跡のある擦文文化のものと長方形の擦文文化のもの、方形(5角形)で石囲い炉があるトビニタイ文化に分けられる。トビニタイ文化の方形竪穴住居跡は台地前面に分布し、擦文文化の方形竪穴住居は台地奥側に分布、長方形竪穴住居跡は北側谷に面し点々と分布する。竪穴住居が条件の良い所から選地されたなら、トビニタイ文化、方形擦文文化、長方形擦文文化の順に竪穴住居跡群が形成された。台地縁にトビニタイ文化の墓が集中し墓城が形成されている。
Shibetsu
カリカリウスチャシ跡 チャシは15-18世紀アイヌ文化遺跡で、壕と土塁に囲まれた場所で、戦、儀式、見張、居住地等に使用と推定される。跡は、南北33 m、東西22 m規模で、北西南3方を壕で区切る。西側は竪穴住居跡を掘上げた土が高い部分い壕が掘られ部分的に2重になる。主体部は緩斜面で2箇所の段を設け雛壇状に作られる。南西角は壕が途切れ入口の可能性がある。 ポー川 湿原中をゆっくり激しく蛇行し流れる。水源は、武佐岳麓から地下を伏流した湧水で、遺跡周辺で湧き出た80ヶ所以上の湧水を集めながら水量を増す。琥珀色の水は、湿原から供給されるタンニンや鉄分の影響による。水質良好で、川には道東部生息淡水魚の殆どの種が生息する。緩やかな流れは、古くから丸木舟を使った交通路とし利用された。

野付半島 半島形成と地形変化

延長約26 kmの日本最大規模の砂嘴。約3000年前形成始まり、砂礫堆積・浸食の繰返しで現在の形となる。堆積は主に半島先端付近で進み、現在も半島延長が見られる。浸食は内湾側で進み、かつてトドマツ林を形成していた地域も浸食により海水侵入し、立枯を起こし現在のトド原を形成した。

    砂嘴形成
3000年前   
海面↑
外海側浸食

過程
2200
海面↓



2000      
海面↓
先端湾曲


1500-1000
海面↑
外海側浸食
先端湾曲


現在  
海面↓


知床 Shiretoko

イワウベツ開拓と知床100 m2運動
一湖対岸は、開けたササ原だが、昭和40年頃まで使われた放牧跡地である。知床五胡のあるイワウベツ台地一帯は、大正、昭和と2回にわたり開拓が試みられたが、いずれも失敗に終わり、入植農家は全戸離農した。開拓跡地を再び買い戻し、自然を復元する運動が、全国の人々の協力により進められる。環境省・北海道・斜里町 (2020.08.29)
オシンコシンの滝
「そこにエゾマツの群生するところ」意味するアイヌ語由来。流れが2本になることから、別名「双美の滝」とも言う。平成2年に日本の滝100選に選定された。

道北 (northern Hokkaido)


origin

稚内 (Wakkanai)

稚内市発祥の地
江戸時代、1663(寛永10)年に最初の鎖国令を出した幕府は、諸国の商人にアイヌとの直接貿易を禁止し、蝦夷地(現在の北海道)に入れるのは松前藩のみとした。ここ宗谷に、松前藩の直轄地として宗谷場所が開かれたのはこの頃と考えられる。
18世紀後半になると、ロシアが交易を求めて蝦夷地に現れる。その対策として、宗谷では津軽藩、会津藩が北方の警備にあたり、さらに幕府の命を受けた庵原弥六、最上徳内、松田伝十郎、間宮林蔵などがこの地を訪れる。
1879(明治12)年7月、明治に入ると宗谷村に戸町役場置かれ、この年を稚内の始まりとしている。1900(明治33)年には宗谷村から稚内が分村されるが、戦後、1955(昭和30)年に宗谷村と稚内市は合併し、今日に至る。
今も宗谷には、宗谷護国寺跡、宗谷厳島神社、旧藩士の墓を始め貴重な文化財が残される。

稚内市教育委員会

temple
道指定史跡 宗谷護国寺跡

昭和32年1月29日指定

安政3(1856)年6月、有珠善光寺七代の性誉仙海が、宗谷郡取扱柏屋嘉兵衛の支配人、粂屋弥八衛門らと相談し、教法弘道のため泰平山松寿寺護国寺とし建立したもので、宗派浄土宗、本尊阿弥陀如来である。当時は、日本最北端の寺であった。境内にはかつて北辺警備にあった諸藩士の墓が13基あり、もとこの付近に散在したものを一つの場所に移したもの。寺什として残っているものは、護国寺過去帳、藤原義行作の釣鐘等がある。   昭和41年7月15日 北海道教育委員会・稚内市

猿払村 (Sarufutsu Village)

モケウニ沼
モケウニ沼探勝道   延長 約350 M (片道)
代償3つの沼からなり湿地性植物群落で、沼周辺が埋められている。

下川町

天塩郡上川郡: 北見山地 Ex. ピヤシリ山 (986 m) ☛ 七尺ニレ
2016年1月25日 -31.8°C記録

記録: 旭川 -41.0°C (1902年1月25日)

アイヌ: パンケ・ヌカナン (川下の, ヌカナン川)

= 名寄川支流下川パンケ川沿岸

1960年 15555人(ピーク) → 農(酪農)林業・鉱業(三菱系銅山、三井系金山)

下川町森林組合: フプの森

抜海海岸

サロベツから直線距離で25 km北
ハマナス (Rosa rugosa)
特定植物群落: 稚内-抜海丘陵ササ草原

中頓別鍾乳洞第一洞案内

  • 鍾乳洞を形成するのは、珊瑚石灰岩
  • 日本の鍾乳洞は、中生代-古生代(約1億年前-2億5千万年前)のものが多く、多くは1億年-2億年前に形成された石灰岩中にある。新しい時代に形成された鍾乳洞としては、新生代古第三紀、新生代第三紀、新生代新第三紀(3百-3千万年前)に形成された鍾乳洞もある
  • 新生代第三紀(1千万年前)に堆積した中頓別層中に形成された新しい鍾乳洞で、中頓別石灰岩は、ごく新しい時代に貝殻片(ホタテガイやフジツボ類)の大量堆積でできた地層
    新しい地質時代に貝殻片が密集しできた石灰岩割合の高い地層は珍しく、その中に発達した鍾乳洞は、日本では珍しく学術上貴重
  • 雨水や地下水に溶けた石灰分は、方解石結晶となり洞穴中で再び石に戻る。この石は場所により形が異なる。形状から、鍾乳石、石筍、石柱、リムストーン(畦石)、フローストーン(流れ石)、花状石灰華、ヘレクタイト、ケイブパール、浮遊カルサイト等と呼ばれる。鍾乳石や石筍は、1 cm形成されるのに数百年以上かかる
    洞内は色々な形をした溶食形態残り、水中、水面上、水面付近でできる3つに区分される。本洞では水中でできるポケット、水面付近でできるメアンダー・トレンチ、ノッチ、波状溶食痕等、様々な自然の造形が見られる
浜頓別鍾乳洞の歴史

1917(大正6) 「洞窟としての発見」: 林木作業をしていた馬方が、帰途に吹雪に会い、洞窟内に馬を引連れ一夜を過したのが中頓別鍾乳洞だと伝わる

1933(昭和8) 「鍾乳洞発見」: 村青年7人が探検し、鍾乳洞や石筍を確認
入口高4 m、広さ20坪程、上方へ60 m程延びた第一洞窟と第二洞窟発見

1938(昭和13) 「国天然記念物指定」: 当時の村役場は、鍾乳洞を保護すべく天然記念物指定を申請し、1938年に仮指定を受け、翌年に当時の文部省の調査を経て国天然記念物に指定された

1957(昭和32) 「北海道天然記念物」: 国天然記念物指定は1956年に解除され、翌年に北海道指定天然記念物となり現在に至る

2002(平成14) 「新洞窟の発見」

2006(平成18) 「自然ふれあい公園」: 平成14年度着手整備工事完了。管理等(ぬく森館)・駐車場・遊歩道・広場・せせらぎ水路・案内板・親水池等整備

重要文化財 旧花田屋番屋
建築年月日 明治38年(推定)
所在地 留萌郡小平町字鬼鹿広富35番地
指定年月日 昭和46年12月28日
構造形式 木造平屋一部二階建 寄棟造 こけら葺 外部下見 板張 基礎自然石 土台敷
規模面積 一階 801 m2 二階 105 m2
所有者 小平町
重要文化財として指定された本遺構は、旧天登雁村(現在地)の鰊漁家花田伝作氏によって建築されたものである。花田家は屋号を㋥といい最盛期には18ヶ統の鰊定置網を経営する道内屈指の鰊漁家であった。この番屋はその本拠として、5ヶ統の漁夫の外船大工、鍛冶職、屋根職、曲師等総勢200人前後のヒトを収容していたもので、その空間を生み出している木材は、全て地元「大椴」の山より切り出し、三半船で海上を運び、木挽きの手によって製材されたものである。
当番屋は道内に現存するものでは最大の規模を有し、木割りは大きく豪壮であり、空間は雄大である。玄関から奥に土間を通し、その北側に親方居住部分を、南側に漁夫の生活部分を設け、漁夫の寝台(ねだい)を中二階に備えて三段とし、その機能と合理性を求め、俗に番屋と呼ぶ鰊漁家特有の平面構成である。
小平町では、重要文化財の指定と共にこれを買収し、3年の年月と1億9千万円の費用を投じて解体修復したもので既に稀有となった古民家建築物鰊番屋の代表的遺構である。小平町教育委員会 (2024.10.10)

道央 (central Hokkaido)


支笏湖

あるき
n = 滞在月/y = 年中   r = 留鳥, s = 夏鳥, w = 冬鳥
ハシブトガラ Mash Tit, r/y, ヒガラ Coal Tit, r/y, ヤマガラ Varied Tit, r/y, シジュウカラ Great Tit, r/y, ゴジュウカラ Nuthatch, r/y, クマゲラ Black Woodpecker, r/y, ヤマゲラ Grey-headed Woodpecker, r/y, アカゲラ Great Spotted Woodpecker, r/y, コゲラ Japanese Pygmy Woodpecker, r/y, キバシリ Tree Creeper, r/y, オオルリ Blue-and-white Flycatcher, s/4-10, キビタキ Narcissus Flycatcher, s/4-10, クロツグミ Grey Thrush, s/4-10, エナガ Long-tailed Tit, r/y, ヤマセミ Greater Pied Kingfisher, r/y, アオジ Black-faced Bunting, s/4-10, カワラヒワ Oriental Greenfinch, s/4-10, センダイムシクイ Eastern Crowned Leaf Warbler, s/5-9, ウグイス Bush Warbler, s/4-10, イカル Masked Grosbeak, s/4-10 キジバト Oriental Turtle Dove, s/4-10, アオバト Japanese Green Pigeon, s/5-9, ツツドリ Oriental Cuckoo, s/5-9, イワツバメ House Martin, s/4-10, カワセミ Kingfisher, s/4-10, シメ Hawfinch, s/4-10, ハクセキレイ White Wagtail, s/4-10, カイツブリ Little Grebe, w/11-4, マガモ Mallard, w/11-3, コガモ Teal, w/11-3, キンクロハジロ Tufted Duck, w/11-3, ヒドリガモ Wigeon, w/11-3, ホシハジロ Pochard, w/11-3, アオサギ Heron, r/y, オジロワシ White-tailed Eagle, w/11-3
あるき (開花期)    ☛ 植物リスト
エゾエンゴサク 4-5, エンレイソウ 4-5, カタクリ 4-5, ナニワズ 4-5, ヒメイチゲ 4-5, フクジュソウ 4-5, オオバキスミレ 5-6, オオバナノエンレイソウ 5-6, コウライテンナンショウ 5-6, コンロンソウ 5-6, シラネアオイ 5-6, タチツボスミレ 5-6, ツボスミレ 5-6, フッキソウ 5-6, フデリンドウ 5-6, ムラサキケマン 5-6, エゾムラサキ 5-7, コケイラン 6-7, ズダヤクシュ 5-7, ハクサンチドリ 5-7, マイヅルソウ 5-7, バイケイソウ 5-8, ウツボグサ 7-8, エゾアジサイ 7-8, ウド 7-8, オオウバユリ 7-8, イヌゴマ 7-9, オオイタドリ 7-9, アキノキリンソウ 8-9, オオハンゴンソウ 8-9, ツユクサ 8-9, ネジバナ 8-9, ヤマジノホトトギス 8-9, ヤマハハコ 8-9

(科) 成虫出現期: 数字 = 月

あるき
  • アオジョウカイ (ジョウカイボン) 5-7 葉や花の上
  • ジョウカイボン (ジョウカイボン) 5-7 葉・花上で観ること多
  • オオルリオサムシ (オサムシ) 5-8 山地林内歩行する姿を観ること多
  • イタドリハムシ (ハムシ) 5-9 オオイタドリ。斑紋変化
  • カラスアゲハ類 (アゲハチョウ) 5-9, 春夏2回発生 平地-山地林道沿いに咲く花や水溜に多
  • セアカツノカメムシ (ツノカメムシ) 5-9 平地-山地樹上
  • ベニシジミ (シジミチョウ) 5-9, 年3回発生 平地-山地、市街地まで普通
  • モンキチョウ雌 (シロチョウ) 5-10, 春型/夏型 平地-山地の草原等開けた場所
  • ヒメウスバシロチョウ(ヒメウスバアゲハ) (アゲハチョウ) 6 山地の明るい林や林道に多
  • オオカワトンボ (カワトンボ) ニホンカワトンボに和名変更 6-7 低山地渓流沿。翅色が橙色と透明なもの
  • キアゲハ幼虫 (終齢) (アゲハチョウ) 6-9 平地-山地の明るい道路沿等。幼虫はエゾニュウアマニュウ
  • クサカゲロウ類 (クサカゲロウ) 6-9 平地-山地の葉上に多
  • サッポロフキバッタ雌 (バッタ) 6-9 山地のフキ葉等の上や林道上
  • エルタテハ (タテハチョウ) 成虫: 7出現 - 成虫越冬 = 早春にも姿観られる 平地-山地の林道上等
  • キスジホソマダラ (マダラガ) 7-8 平地-山地, 花上
  • コムラサキ (タテハチョウ) 7-8 平地-山地川沿林道上に多
  • ビロウドカミキリ (カミキリムシ) 7-8 広葉樹伐採木や枯木、葉上に多
  • トホシカメムシ (カメムシ) 7-9 平地-山地広葉樹や林道沿葉上等
  • ハネナガフキバッタ (バッタ) 7-9 平地-山地草原等
  • ノシメトンボ雌, 未熟 (トンボ) 7-10, 成熟すると体茶色 平地-山地の草原や水辺等、広い範囲
  • ヒトリガ (ヒトリガ) 8-9 平地-山地の林、夜間は灯火にも集まる

マナーとルール
動植物採取禁止 貴重な自然の保護に努める

支笏湖ビジターセンター (2016/06/25)

中部

石狩川
石狩川水系本流 (1級河川): 流域面積 14,330 km2
中西部を流れ日本海まで - 現在は治水工事で以前より100 km程度短い
空知川
石狩川水系石狩川支流一級河川
上ホロカメットク山(十勝連峰)南斜面に源

南部

判官館(はんがんだて)の由来
『京の五条の橋の上』… 牛若丸と弁慶で親しまれる。牛若丸は悲劇の武将、源九郎判官義経。梶原景時の奸計により心ならずも兄頼朝との戦う弟義経は、密かに衣川をあとに海路蝦夷地をめざしたという。折りからの季節風に漂流数日、初めて見た蝦夷地は、日高山脈の残雪であった。義経は、ふと一際目立つ岸壁に気を奪われた。衣川上流の断崖とそっくりであった。義経は、懐しさのあまり上陸したが、空腹と安堵感からハマナスの砂丘に放心状態のまま倒れた。暫し後、水と食物を持った1人のアイヌ娘が立っていた。以後義経は、この娘と暮らす。義経は、この岩山を、源九郎判官の名にちなみ「判官館」と名付けた。義経は、奥州を出る時、一羽の鷹をつれていた。それは最愛の妻「静御前」と連絡する伝書鷹であった。静御前は、頼朝の人質となっていたため、伝書鷹のとりもつ連絡が、頼朝に発覚し、もはや義経は、判官館に住む危険を悟り何処ともなく姿を消した。それは海霧の深い朝であった。娘と離別を悲しむ2人の頭上に、哀愁を秘めた鷹の声がまっていた。

昭和59年7月 新冠村観光協会

道の駅 みついし
■ 町の紹介  雄大な太平洋と秀峰日高山脈を望む人口約5400人の農漁業中心の町。天明6(1786)年、阿部屋伝七が三石場所請負人となり漁業営んだのが、三石の始まりとされる。地名は、アイヌ語で「ピットウシ」(小石の多い土地)から転化し「みついし」と名づけた。「ミツイシコンブ」産地であり、大正7年札幌市で開催された開基50周年博覧会で、北海道長官より表彰され、宮内庁御用達となり、現在では広く庶民に愛用される。
「えぞ人が彩るやひろめの世にひろく、その名きこえし三石の浜」(横山由清・幕末の国学者)
道の駅について  建設省道路局長により道18番目「道の駅」とし平成7年4月11日に登録された。「道の駅」は、一般道路で安心し利用できる道路利用者の休憩施設で、休憩・情報発信・地域連携の3機能を併せ持つ個性豊かな賑わいの場とし、快適で質の高いサービスを提供する。「みついし」は、海水浴・オートキャンプ場としキャンパーで賑わう。館内にレストランやロビーがあり旅の疲れを癒す場として最適。

2016年6月14日 実習

シュンベツ川 (Syunbetsugawa River)

|☆| 北海道

大雪山 (Mounts Daisetsu)


黒岳小屋
1991: 旧小屋 → 新小屋移転
大雪山縦貫道路計画
1963 大雪山国立公園原案ほぼ完成

北海道開発庁: 新得-トムラウシ-天人峡道路建設が同意条件

全長50 km: 新得町二股-トムラウシ温泉-オプタテシケ山稜(トンネル)-美瑛町上俵真布

厚生省: 山稜部はトンネルとすることで妥協 → 大雪山縦貫道路

1971 大雪山国立公園指定
1971 環境庁発足: 大雪山縦貫道路白紙検討
1971.08 大雪の自然を守る会準備会
1971.01 大雪の自然を守る会発足
1972.08 環境庁・大臣・道庁予定地視察: 現ルートでは不認可

いろいろあったようだが

1973 開発庁: 道路計画取り下げ

日高 (Hidaka)


崕山

夕張山脈主峰群に含まれ標高1066 m (芦別市南部)
石灰岩

固有種進化

1999- 入山制限: モニター登山のみ (過剰利用回避)

アポイ岳 (Mount Apoi)


標高 810.5 m
幌満橄欖岩 (Horoman peridotite)
2008 日本ジオパーク
2015 世界ジオパーク (アポイ岳ジオパーク)

なぜ低山に ここだけの高山植物が咲くの?

「低山なのに高山植物」 + 「ここにしか咲かない花の豊富さ」- アポイ岳の最大の魅力と不思議 ⇒ 3つの理由:
  1. 橄欖岩に多く
    含まれる酸化マグ
    ネシウムやニッケ
    ルが阻害の原因
    なのだ!

    橄欖岩: アポイ岳を造る「橄欖岩」起源土壌は、植物生育阻害成分を多く含む。
    橄欖岩は風化遅く土壌堆積に時間がかかり、できた土壌も雨風で移動し易く、土壌薄く乾燥しやすく栄養乏しい。
  2. 気象: アポイ岳は太平洋沿岸から3 km程しか離れていず、夏にはしばしば山全体が海霧に覆われる。霧は日光遮り、気温低下させ、夏は高山の様に涼しい。降雪量少なく強風に曝され積雪量少なく、地温低下する。
    ⇒ 気象条件がアポイ岳の環境を高山に似たものにしている。
  3. 地史: 陸地であり続けたため、誕生当時の植物群残る。氷期に陸続きだった大陸から日本へ南下してきた北方系植物は、温暖な間氷期にアポイ岳等の山に逃げ込んだ。こうしてアポイ岳に残った植物が、橄欖岩特殊土壌に適応する過程で独自進化を遂げ、固有植物が形成された。
⇒ 橄欖岩・気象・地史3要因の交互作用で、固有の高山植物が咲く。

Geosite B4 斑糲岩質と橄欖岩の互層 (6-7合目)

この辺りで森林限界を超えハイマツ帯となる。
看板奥に水平な層の露頭 - 硬く飛び出た斑糲岩質層と、窪んだ褐色の橄欖岩層が交互に重なりできた。アポイ岳を形造る幌満橄欖岩体は、多彩な橄欖岩と少量の斑糲岩質の苦鉄質岩が層状構造を作る。

アポイジオパーク

1884 宮部金吾 アポイ岳山麓の様似山道を踏査し、サマニカラマツやミヤマナナカマド等多くの植物採取
1892 北海道大学・徳渕永次郎 ヒダカトウヒレン・ヒダカイワザクラ発見
1893 仏人宣教師フォーリー

エゾノジャニンジン・モミジバショウマ(サルルショウマ)発見

1912 北海道大学・近藤金吾 エゾコウゾリナ発見
1917 様似町冬島小学校校長・対馬正雄 ヒダカソウ発見
1922 北海道大学・石田文三郎 ミヤマハンモドキ発見
1927-1928 舘脇操が現地調査実施 84科268属423種14変種の植物目録
1928 内務省委嘱受け中井猛之進 天然記念物指定にアポイ山塊調査

1930「日高国様似郡アポイ山の植物報告書」発表
舘脇植物目録に180余種追加

1933 東京大学・原寛(後同大教授): 日高山脈南部植物相調査

アポイ山塊含む。翌1934-1939にかけ発表

1939 アポイ岳高山植物群落が国天然記念物に指定
1953 アポイ岳高山植物群落が国特別天然記念物に指定

逆転した垂直分布

アポイ岳に登ると、7合目付近で森林限界を超え視界が開ける。しかし、頂上は殆ど眺望がきかないダケカンバの森の中。これもアポイ岳の謎の1つ。通常、山の植生は、下から上に向かい「広葉樹林帯」→「針葉樹林帯」→「ダケカンバ帯」と進み、ここで森林限界を超え「ハイマツ帯」となる。しかし、アポイ岳では植生の垂直分布が逆転し、ハイマツ帯の上にダケカンバ帯がある。

ダケカンバ帯 9合目_____ハイマツ帯
ハイマツ帯 7合目_____ダケカンバ帯
キタゴヨウ林 3合目_______針葉樹林
針広混交林____________広葉樹林
●アポイ岳の植生● vs ○通常の高山の植生○


• 登山口付近に

ポンサヌシベツ川砂防(流路工)工事
"水と緑"の砂防モデル事業
■ 計画概要: ポンサヌシベツ川は自然に恵まれた川だが流れが急なため、大雨が降ると大量の土砂や石が水に混じって流れ出し被害を与えることがある。それを防ぐために"砂防"事業が行われており、その中の1つにこの流路工計画がある。護岸は自然石を利用し緩やかな傾斜や階段状にする。また、落差工を利用し淵を造り川に入りやすくする。このように多くの人が安心し利用できる環境づくりを行っている (室蘭土木現業所 浦川出張所)
• 登山口付近に 「山火事注意 王子製紙社有林」の大きな看板

道南 (southern Hokkaido)


道の駅 YOUもり

森町(もりまち)は、渡島半島中央東海岸に聳える北海道駒ヶ岳山頂の一角から西北に広がり、東はリゾート地である国定公園大沼の湖沼群、北は空碧く波静かな内浦湾(噴火湾)に臨む。
森町の総面積は368.27 km2で、人口19,000人の自然の恵みが溢れる緑一杯の、人と自然の調和する町である。
気候は、北海道でも温暖な地で雄大な自然は春夏秋冬、四季それぞれのドラマを作る。住人は皆温かく、優しさが笑顔の花を咲かせる。
町木は「茅部栗」、町花は「さくら」で、町民皆で慈しみ育てている。町造りのテーマを「もりまち・森(しん)世界21」森と海と人の交響曲(シンフォニー)としており「もりまち・森(しん)世界」を訪れる人々全てが森に学び、海から恵を受け、森の人々や動物と触れ合い、深い感動を受ける素敵な「まち」である。
道の駅について
「道の駅 YOU・遊・もり」は駒ヶ岳と内浦湾を臨む国道5号線にある「道の駅」で森町の申請に基づき、平成7年10月1日に登録された。

札幌 (Sapporo)


年平均気温: 7.8°C
月平均気温最低: 1月に-5.1°C
日最低気温月平均: 1月に-9.5°C

→ 平均気温8.2°Cの函館より温量指数は高い
1年の5月間は最低気温0°C以下となり積雪がある
→ 植物は寒さから保護されることが南方系植物が多い理由

道花: スズラン  道木: ライラック  道鳥: カッコウ

ほろむい七草 (Seven Horomui Herbs)

幌向(原野) (岩見沢南西地域)の名を持つ7つの植物種
  1. Rubus chamaemorus L.: 希少植物(緑の国勢調査 1976)
  2. Carex oligosperma Michx. ssp. tsuishikarensis (Koidz. et Ohwi) T. Koyama et Calder. (ホロムイクグ): 絶滅危惧II類(NRL), 絶滅危惧種 (北海道RDB 2001)
  3. Juncus tokubuchii Miyabe et Kudo. (ホロムイコウガイ): 絶滅危惧IB類 (NRL 2012), 絶滅危惧種 (北海道RDB 2001)
  4. Carex middendorffii F. Schmidt.
  5. Scheuchzeria palustris L.
  6. Chamaedaphne calycula (L.) Moench
  7. Gentiana triflora Pall. var. japonica (Kush) H. Hara f. horomuiensis (Kudo) Toyok.

北区歴史と文化の八十八選 文学と学問の道

01. 文学と学問の道

01. 有島武郎邸跡
記念樹 「ニュートンのリンゴ 1995年移植
有島武郎邸跡に近接
02. 旧札幌中学校「発祥の地」碑
北海道初の中学校(大正11(1922)年まで庁立札幌第一中, 現札幌南高校)。N11/W3
03. 石川啄木の下宿跡
北7条西4丁目クレストビル1F (見つけづらい)
啄木は、明治40(1907)年9月14日(21歳)、函館から札幌入り。札幌停車場に午後1時過ぎ到着し、詩友向井夷希微いきびらに迎えられ、彼らの宿でもある「北7条西4丁目4番地・田中サト方」住人となる。その下宿跡である。滞在2週間で札幌を去るが、勤め先の北門新報に「札幌は寔に美しき北の都なり」と印象記を残し、またも小樽・釧路へと放浪の旅にでた。
「秋風記」 札幌は寔に美しき北の都なり。初めて見たる我が喜びは何にか例へむ。アカシヤの並木を騒がせ、ポプラあの葉を裏返して吹く風の冷たさ。
札幌は秋風の国なり、木立のまちなり。おほらかに静かにして人の香よりは樹の香こそ勝りたれ。大なる田舎町なり、しめやかなる恋の多くありさうなるさとなり、詩人の住むべき都会なり。 88
04. 朔風
北6条西7丁目自治労会館横
厳しい北海道の北風に向かいながら、逞しく前進を続けるエネルギーと、挫けることを知らない強固な勇気と気迫を表現。
昭和55(1080)年建立 作家 本多明二。題字 森尾 曻 (平成3年4月 札幌市北区役所)

(05-06. 北区北7条西7丁目)

05. 偕楽園跡
明治4(1871)年、開拓使建造の日本初都市公園 House
06. 清華亭
地域が公園(偕楽園)だった明治13年に、貴賓接待所とし開拓使工業局設計監理により建造された。庭園は和洋折衷とした。翌14年、明治天皇北海道行幸で休憩所となる。偕楽園は、明治4年に札幌初の公園とし開設された。清華亭等の庭園造りをした独系米国人ルイス・ベーマーが園芸指導に当たる等し、園内に数百種の植物を栽培し、北海道産業振興を担う農業試験場でもあった。後に、規模拡張し育種場と改め、博物場、温室、工業試験場等が付設された。園一帯に湧水が迸り、それらを水源とするシャクシコトニ川が流れていた。川は「鮭の道」で、鮭鱒孵化場も設けられた。開拓使時代が終わる明治15年以降、各施設が移転される等し、偕楽園はその機能を失い、自然の杜へと返って行き、清華亭も民間所有となり忘れ去られる。しかし、清華亭周辺の自然は、子供達が駆け巡る天国となった。葦や笹が生い茂り、崖や谷地や斜面があり、セミ、クワガタがおり、青大将が出てきた。清流と大小の池にはフナ、八目鰻、ザリガニ等が住み、アキアジも上ってきた。昭和5年、建物は河野常吉氏の提唱で保存が図られ、同8年、札幌市に寄贈された。昭和36年6月7日、建物は北海道開拓黎明期を象徴し、開拓使の建築技術者が洋風建築に和風様式を導入した貴重な例とし札幌市有形文化財指定された。「清華亭遊園」「偕楽園緑地」に、かつての偕楽園池地、御膳水湧泉、子供達の水遊場の証跡を留める。(札幌市有形文化財. メモ 2020年6月30日)
07. 新選組隊士永倉新八来訪の地
旧幕臣・新選組副長勤・永倉新八(1839年(天保10)4月11日生)は、徳川幕府崩壊後は杉村義衛と改名し大正年間まで生きた。京都池田屋戦時は幕府から感状を受ける働きをした。土方歳三、沖田総司と並ぶ剣客。晩年は北大剣道場等で剣道の型を指南。各地歴訪する等、悠悠自適の生活を送った。「武士乃節を尽くして厭まても貫現竹の心一筋」の歌を残し、1915(大正4)年1月5日、小樽の自宅で行年77歳を一期にその劇的生涯の幕を閉じた。新八所縁の道場は現北大本部北西に位置した。(平成14年4月 札幌北区役所)
08. 佐藤昌介像
札幌農学校第1期生としクラーク博士薫陶を受け、後に同校校長。明治40(1907)年、同校が東北帝国大学農科大学昇格し学長就任。大正7(1918)年、北海道帝国大学発足時に初代学長。帝国大学昇格に尽力し「北大育ての親」と言う。
09. 北海道大学百年記念会館
昭和51(1976)年北大創基百周年記念事業とし昭和53年に建つ。1階ロビーに百年史解説写真資料展示する。2階に小会議室・和室があり、教職員や同窓生が利用する。南側庭園の池は、今は人工池だが、かつて豊富な湧水があり、放牧された牛達が頭を触れ合い水を飲んだ。
10. サクシュコトニ川
Clark
11. クラーク
明治9(1876)年、北海道開拓人材育成に札幌農学校開設され、教頭にクラークが着任した。彼は、僅か9ヵ月の滞在中に精力的に農学校基礎造りに励み、キリスト教に基づく教育は学生達に大きな影響を与えた。帰国に際した"Boys, be ambitious!"の言葉は、今なお深い感銘を与える。
12. 古河記念講堂 (Furukawa Memorial Hall)
13. 旧札幌農学校校舎
N9/W8 北大構内 (N10W10北大理6号館裏)

Wheat research monument

14. 小麦研究記念碑
札幌農学校時代から農場に麦類の種品種が多数集められた。坂村徹博士はこれらを研究し、初めてコムギの正しい染色体数を明らかにした。引き続き木原均博士は、小麦種間雑種の細胞遺伝学的研究を行い、この領域に新時代を画した。木原博士の小麦研究開始地点であり、大学創基百年に際し同門相図り記念碑建立した。[1976年建立]
15. 北大ポプラ並木
16.人工雪誕生の地」碑
17. 北大イチョウ並木
Mother and Child
18. 母子像 (N14/W5 医病)
財団法人協済会(北大附属病院)創立65年記念に建立し、北大に寄贈。前進の愛と力を両腕にこめて、愛し子をしっかりと抱くその姿は、訪れる人達や患者の心を強く引き付ける (作家 本多明二)
19. 恵迪寮歌「都ぞ弥生」歌碑
20. 北大遺跡保存庭園
21. 北海道大学農学部第二農場 (N18/W8構内)
22. 旧藤高等女学校校舎(キノルド記念館)跡
N16/W2 藤学園内

2. 水辺と開墾の道

23. 北27条公園通り (N26/W5-8)
旧札幌飛行場防風緑地帯 → 跡地 = 道路用地 ⇒
1984 コミュニティ道路: 長さ 400 m × 幅10 m

遊水広場・遊戯広場・モザイク壁(4枚)

24. いのち (交通安全祈念母子像)
北区縁の彫刻家 故坂坦道作。悲惨な事故が二度と起きぬよう願いを込め建立された交通安全記念像。像は昭和52(1977)年に建立だが、10年に渡る風雪で腕や足に亀裂が入るなど傷んできたため、昭和63年にブロンズで作り直した。母とその両手に抱かれ、もみじ葉の様な手を広げ大空を見上げる姿は、人の心を強く引き付ける。(N25/W7 若草公園)
昭和51年8月11日朝 坂尻直樹ちゃん死亡 交通安全・無事故誓い祈念碑建立 昭和52年5月20日 北区北第二町内会
25. 札幌飛行場正門跡と「風雪」碑
旧北海タイムス社設置飛行場(現在は門柱のみ)、隣の「風雪」碑は故坂坦道製作 (N24/W8)
2基の門柱は、かつて道内唯一の東京定期航空路を持つ札幌飛行場正門跡である。歴史は大正15(1926)年、旧北海タイムス社が報道用に北24条以北を滑走路としたことに始まる。昭和8(1933)年、逓信省はこれを含め拡張、53万m2の広大な飛行場とした。今井百貨店屋上に据え付けた航空灯台は、夜間飛行の指標であった。昭和20(1945)年終戦の年、札幌飛行場は閉鎖された。隣に同飛行場を偲ぶプロペラ型のブロンズ像「風雪」がある。これは、昭和62(1984)年に彫刻家「坂担道」が製作した。
26. 力士若勇わかいさみ
北24条西19丁目新川橋袂
かつて新川地区は純畑作農村で、村人により収穫時に祭典が行われた。主要行事の一つに奉納相撲があった。「若勇関」は、大正2(1913)年、25歳で富山県から本道に来て琴似村新川地に住居を持った。本名を前谷省三といい、素人相撲ながら大関を張り、豪快な取口は人々の話題をさらったと言う。若勇関は、当時としては大型農業を営み、新川地区農業の基礎を作ったとも言う。農民として力士としての功績を称えたのが「力士・若勇碑」である。大正10(1921)年、相撲引退記念に建てた。
27. 馬頭大神
新川3条13丁目新川皇太神社境内
馬は農家にとり開拓の蔭の功労者であった。馬の健康を祈り、苦労への感謝が「馬頭大神」となった。碑は、昭和24(1949)年建立で、今でも「馬頭さんのお祭り」例祭が毎年10月17日に行われる。
28. 新川桜並木・新川緑地
新川3条17丁目天狗橋 Tengu Bridge
「新川緑地」から「新琴似緑地」に続く全長7.5 kmに渡り、平成10(1998)年から3年間かけ緑地沿いに755本の桜が地域の手により植栽され守り続けられる。「新川さくら並木」として地域のシンボルとなる。「新川緑地」は、新川・新琴似地区の排水等の目的で明治時代に造られた「新川」河川敷を、花と緑の緑地帯に変えるため、平成元(1989)年から札幌市の新川緑地計画により整備が進み、平成14(2002)年に完成した (メモ 2023年5月6日)
新川桜並木 「新川夢の桜並木」は、川の流れを見て育った地域住民間で、実現を夢見て語り継がれてきた長年の願望だった。新川連合町内会は、熱い想いを汲んで桜並木を「新川地区街づくり」の一環とし、夢の実現に取組んだ。21世紀への贈り物とする壮大な事業である。子供達が将来の夢を抱ける故郷、後世の人達が故郷新川を誇りに思える街にしたいと願う郷土愛が、桜並木に込められ、寄付とボランティアで実施される事業であり大切に育てたい

● 種類 エゾヤマザクラ ● 植栽延長 7,455 m   H12/04/23(第3期事業)   新川連合町内会 新川地区緑化推進協議会

二級河川新川水系 新川 Shin Riv.

名の由来: 明治になり、物資輸送と洪水防止に治水事業で作った人工河川(新たな川)

天狗橋の由来 明治42年に新琴似側に発寒特別教授所、今でいう小学校分校が設けられ対岸の発寒からも生徒が来ていたという。言わば通学橋の元祖といえる橋である。天狗橋の名がついたのは明治45年の新橋架橋の時であるといい、工事請負棟梁が、鼻の高い人で天狗の渾名があった琴似屯田兵、堀内清四郎からという
29. 新川「開基百年記念」碑
新川4条14丁目新川中央公園
新川地区開拓は、明治22年頃から屯田兵や一般入植者が定住し本格化した。湿地帯であり幾度となく水害に襲われたが、先人はこれを乗り越え豊かな農耕地帯へと導き、現在の住宅地へと発展させた。地名は、「新川」が由来。本記念碑は、開基百年を記念し平成元年建立
30. 近藤牧場
新川694番地
31. 安春川の水辺と散策路
琴似5条1-10丁目付近 (説明板未発見 2023/05/06)
川は明治23年、新琴似地区に入植した屯田兵が水害防止と湿地地帯の農地改良のため開削した排水溝で、長きにわたり、この地区に潤いと豊かな穣りを与えてきた。しかし、札幌発展に伴いこの地区も急激に宅地化が進み、水の流れが途絶えたままできた。平成3年11月、「先人の苦労を偲ぶプロムナード」をテーマに、下水道の高度理水を新たな源としてかつての「潺」を回復し、木々の緑が映える快適な憩いの園として生まれ変わった。

平成3年11月25日 札幌市

甦る水 札幌市 開拓の歴史・水プロムナード 平成12年9月27日 建設大臣 扇 千景
32. 新琴似屯田兵屋 (跡地)
Torii 33-41. 新琴似8条3丁目新琴似神社境内
新琴似神社: 祭神 = 天照皇大御神・豊受大神・神武天皇(三柱)
由緒: 明治20年5月20日、北海道開拓の歴史に深い陸軍屯田兵第1大隊第3中隊が入植と同時に、中隊本部の東方浄泉の湧き出づる四神相応の浄地を相して社地と定め三柱の神を奉斎する神祠を建て北辺の地に開拓と警備に精励する生活中に心のより処とする守護神とし御鎮斎されたのが新琴似神社の創祀である。
33. 屯田兵もやい井戸跡
明治29(1887)年、新琴似に九州を中心とする屯田兵146戸入植。生活を支えた井戸は4戸の共同使用で風呂が併設された。「もやい」とは「共同」の意味。井戸は水脈までモウソウ竹を打ち込んだもので水が30 cmほど自噴した。竹は長さ30 m、継目にコンブを巻いたと言う
34. 東繁造君学勲碑
東繁造は大正9(1920)年夏、当時の東大教授三田定則門下生とし血液鑑別方法研究。鑑別しにくかった人間と家禽類の血液を早く確実に見分ける科学的鑑別法に成功。方法は、恩師と自分の名から「三田・東法」と命名。碑は、氏功績称し昭和35(1960)年に当時の東大名誉教授古畑種基らにより建立
35. 新琴似兵村記念碑
新琴似地区は、明治20(1887)年、屯田兵入植により開かれた地で、開村50周年記念し昭和11(1936)年に建立された。開村5年記念に建立した「新琴似開村記念碑」が神社東側にあったが、永年風雪に曝され、文字解読困難となり、新たにこの碑を建立した。幌硬石の外柵を巡らしコンクリート基礎、この上に幅3.5 m、高さ42 cmの仙台石を台座とし高さ5.3 m、幅2.17 m、厚さ30 cmの板石を建てる。裏面に、入植屯田兵220名の氏名が刻印される
36. 新琴似の馬魂碑
碑は、大正8(1919)年に光明寺境内(新琴似7条1丁目)に建立されたが、昭和50(1975)年に新琴似神社境内に移された。開拓時代、家の手足となり働いた農耕馬を供養のためのもの。当時の主な農家は、愛馬を弔うため、各農地の片隅等に建てたりしたが、総括し「馬頭観世音」とし奉置
37. 吹田晋平歌碑
吹田晋平(本名菅進)は、明治35(1902)年8月19日新琴似生。永年にわたり歌人、政治家とし地域発展に貢献した。55年間に歌人とし数々の作を発表する一方、札幌市議会議員を通算6期24年勤め、市政発展と地域振興に尽力した。碑は、氏の功績に報いるため有志が昭和47(1972)年に建立
38. 新琴似「百年碑」
明治20(1887)年の屯田兵入植に始まる新琴似地区は、当時、余りにも厳しい自然環境に耐えきれず離農者が続いたと言われる。最後まで望みをかけ踏み止まった少数の屯田兵と、新天地を求め新たに渡ってきた一般入植者の不屈の精神によって、昼なお暗き鬱蒼たる原始林が切り開かれ、良好な農地から住宅地へと目覚ましい発展を遂げた。記念碑は、開基百年記念し昭和61(1986)年に建立
39. 新琴似屯田兵中隊本部
Moyai 札幌市指定有形文化財
建物は、明治20年九州各地士族146戸入植(21年74戸補充)により発足した新琴似兵村(屯田兵第1大隊第3中隊)本部とし明治19年に建つ。明治36年屯田兵役解除後、新琴似兵村会の共有財産とし引継がれ、明治44年兵村解散後は、新琴似屯田親交組合、新琴似兵村部落会、新琴似自治会、新琴似町内会、新琴似産業組合、新琴似中学校仮教室、札幌市新琴似出張所等に使用される等、時代の変遷を経て昭和40年11月、札幌市に寄付された。昭和43-46年度に、創建当初に復元する改修工事が行われ、昭和49年4月20日に歴史的価値高く建築構造上も貴重な建造物とし、札幌市有形文化財に指定された。建物構造は、木造、小屋裏部屋付平屋建て、全形は素朴で大らか、玄関出入口窓回り等の細部、小屋組等に当時流行した洋風木造建築の特徴を良く残す。現在札幌市は、新琴似屯田兵中隊本部保存会の協力を得て建物を保存管理
札幌市有形文化財 (Headquarters for the Shinkotoni Soldier Village)
40. 新琴似「拓魂」碑
新琴似開基百年記念し、開拓を支えた先人と共にあった農業組織歴代会長を顕彰し、昭和61(1986)年に建立された。日高産赤石で、正面に「拓魂」2文字と碑文、裏面に歴代組合長名が刻まれる
41. 新琴似「開村記念碑」
新琴似地区は、明治20(1887)年、屯田兵入植により開かれた地で、開村5年記念に建立された。碑が永年風雪に曝され、文字解読も困難となり、先人の開拓の功を後世に伝えるため、神社西側に「新琴似兵村記念碑」とし昭和11(1936)年に再建された
42. 歌人・若山牧水来訪の地
新琴似7条3丁目
43. 新琴似歌舞伎の跡地
新琴似7条1丁目 marijuana
44. 帝国製麻琴似製線工場跡
明治7(1874)年に露公司榎本武揚が開拓使長官黒田清隆に露産亜麻種子を送ったのが、本道栽培の始まりと言う。明治20(1987)年に後の帝国製亜麻株式会社となる亜麻会社発足。現麻生町一帯8万坪(244,000 m2)に製線工場建設し、明治24年に操業開始した。明治後期、事業は全盛期迎え隆盛続くが、昭和20年代に入り原料コスト高や化学繊維進出等で、工場は昭和32(1957)年に閉鎖された。ここは、工場長宅跡で、当時からのアカマツが残る。工場は現在の麻生球場付近と言う(麻生町3丁目)

3. 森と歴史の道

45. 屯田防風林
Tonden Tonden
約8kmの樹林帯 (屯田1条2丁目-5条12丁目)  ポプラ・シラカンバ。主な林床植物: スミレ類(4-5種)・オカトラノオ・エゾエンゴサク・オオウバユリ・オオバナノエンレイソウ・ミズヒキ・マイヅルソウ・キンミズヒキ
46. 植樹碑
札幌すずらんライオンズクラブが公園内にサクラ約1000本を植樹した記念
47. はたちのつどい記念塔
屯田4条10丁目屯田西公園内
48. 屯田みずほ通り
屯田5条1丁目-5条12丁目
49. 屯田の太陽
屯田5条6丁目屯田地区センター前庭
50. 屯田郷土資料館
屯田5条6丁目屯田地区センター内
51-55. 屯田7条7丁目屯田開拓顕彰広場
51. 「屯田兵第一大隊第四中隊本部跡」の碑
屯田はかつて篠路兵村と言われ、兵籍は屯田第1大隊第4中隊にあった。碑建立地には第4中隊本部が建ち、北側一円一万(3.3 ha)が練兵場だった。屯田開基百年記念事業協賛会が昭和63(1988)年入植百年を機に、中隊本部の建つ地点を明確にするため建立した
52. 篠路兵村「開拓碑」
碑は、屯田地区開基40年を記念し昭和3(1928)年建立。約500字に及ぶ漢詩調碑文は、当時北大総長の佐藤昌介寄贈。玉石五段積、この上に自然石を乗せ、高さ1.8 mの台座に、高さ2.8 m、幅90 cmの仙台石の棹石とする
53. 水田開発記念碑
屯田地区は、当初畑作主体農業だったが、農家経済成り立たず、立て直しに稲作を目指した。兵村の公有財産を売却し資金を作り、篠路兵村土功組合を大正2(1913)年に創設し、新川や創成川から水利をはかって約670 haの美田を造成した。多収穫のための研究団体も設立して札幌一の水田単作地域となった。碑は、土功組合創設から45年後の昭和33年(1958年)に建立された
54. 屯田兵顕彰之像
屯田地区が屯田兵開拓により始まり発展した功績を讃え建立された。屯田開基百年記念事業の一環とし昭和63(1988)年に建立された
55. 馬魂之像
駿馬ブロンズ像は、昭和63(1988)年の屯田開基百年を機に建立された。礎石下には、屯田にあった10基にのぼる馬頭観音や愛馬の基碑を埋設し、農耕に尽くし倒れた馬魂慰霊碑とした。礎石は小樽市張礁産自然石、ブロンズ像は富山県高岡市の石塚秀堂制作
56-58. 屯田7条6丁目江南神社境内
56. 篠路兵村「移住記念碑」
篠路兵村(現, 屯田)に屯田第一大隊第四中隊として220戸の屯田兵が入植したのは、明治22年7月15日。家族も含めると1,056人の入植集団だった。士族屯田としては最終の入地で、出身県は徳島県29戸、和歌山県37戸、石川県32戸であった。記念碑は入植して7年後の明治29年に建立された
57. 屯田開基九十周年記念顕彰碑
明治22(1889)年7月15日に220戸の屯田兵が入植以来、数度の水害や冷害凶作等で、明治42年には70戸余りの小集落になった。しかし、度重なる自然の猛威を乗り越え一大水田単作地域となり、昭和40年代に入り住宅地として発展した。碑は、昭和53(1978)年開基90周年記念し建立された。短歌は吹田晋平作 red pine
58. 望郷のアカマツ
明治27年春、屯田兵本部は屯田兵が故郷を偲ぶ縁にと、屯田兵220戸にアカマツ苗木各2本、水松(オンコ)苗木各1本を「望郷の松」と銘打ち無償配分した。屯田兵定着率向上目的だが、屯田兵は喜んで兵屋前庭に植えた。平成3年、屯田「望郷の松」を含め4本残る。
59. 馬霊神蕾驊号の碑
屯田7条2丁目服部氏邸内
60. 馬霊第七王驊号之碑
屯田7条1丁目石川氏邸内

4. 農村文化発祥の道

61. 創成川通りのポプラ並木
太平7条1丁目北三番橋

創成川

創成川は、豊平川の鴨々水門から札幌市市街地を南北に縦貫し茨戸川に注ぐ延長14.8 kmの川であり、上流の中島クエン内付近等は「鴨々川」とも呼ばれる。慶応2(1866)年、旧幕臣の大友亀太郎により開削された「大友堀」を前身とし、明治7(1874)年に「創成川」と名付けられた。札幌創世記には、飲用水、農業用水の他、排水路や建設資材、食料等輸送のため運河として利用された。創成川は、街の発展を支えた川であり、札幌のシンボル的存在とし、市民に愛される。
62. 太平の馬頭観世音
太平6条1丁目松岡氏邸内
63. 太平会館資料室
太平8条2丁目太平地区会館内
64. 太平開基百年碑
太平12条3丁目太平公園内
65. '86さっぽろ花と緑の博覧会モニュメント
百合が原210番地百合が原公園内
66. ハルニレの森づくり発祥の地
百合が原210番地百合が原公園内
67. 「篠路烈々布れつれっぷ開基百年」碑
百合が原11丁目篠路烈々布会館前
68. 篠路烈々布郷土資料館
百合が原11丁目篠路烈々布会館内
69. 篠路歌舞伎発祥の地
百合が原9丁目
70. 篠路コミュニティセンターの藍と篠路歌舞伎の展示
篠路3条8丁目
71. 篠路駅周辺の倉庫群
篠路3条7丁目
72. 篠路獅子舞
73. 力士・小松山之碑
74. 篠路神社の馬魂碑
75. 早山そうやま家のアカマツ
篠路7条7丁目早山氏邸内
76. 龍雲寺の馬頭観世音
77. 荒井金助と早山清太郎ゆかりの地
78. 龍雲寺のイチョウ
篠路5条10丁目龍雲寺前

5. 藍の道

79. 水野波陣洞はじんどう句碑
東茨戸ガトーキングダムサッポロ内(近くの道)
「白鳥の翼に唸ふり被り」、水野波陣洞は、北の風物を捉えた作風の句作に務めた。本作は、本人が土木測量等の仕事に従事しながら、頭上を白鳥が飛ぶ様を歌ったと言う。昭和51(1976)年、札幌市文化奨励賞受賞。
80. 川端麟太句碑
東茨戸ガトーキングダムサッポロ内(近くの道)
「のぞみありて庶民の帽の青きひさし」、川端麟太は、庶民の歌声としての俳句をめざし、豊かな庶民感覚を盛り込んだスケールの大きい作品が多い。この作は、一生懸命働く人の様を歌ったものと言う。
川端麟太略歴 (碑)
大正8年1月16日札幌市生。本名 川端末泰。北海中学校在学中より実兄に句洗の手解きを受け俳誌「暁運」にて句作の に入る 昭和23年3月 これまで関係せる一切の俳誌の同人を辞退し、細谷源二を中心に山田緑光らと「北方俳句人」創刊。後に「氷原帶」と改題後編集人。昭和45年11月、細谷源二死亡により代表を経て主幹となる。句碑の「のぞみありて 庶民の帽の 青きひさし」は第一句集「庶民の帽」の代表作。北海道俳句協会常任委員 現代俳句協会々員 北海道新聞俳壇選者
81. 藍栽培ゆかりの地
篠路町篠路419番地
82. 宮西頼母たのも歌碑
篠路町篠路419番地
83. 興産社の馬頭観世音
篠路町拓北87番2
84. 仙人庚申塚せんにんこうしんづか
あいの里4条2丁目
85. 篠路の馬魂碑・馬頭観音
篠路町拓北255-7柳沢農場内 Tonneusu
86. トンネウス沼
あいの里4条8丁目あいの里公園内「トンネウス沼」。地区における雨水貯留機能をもち、茨戸川に水門でつながる旧河川で、水深1 m前後、瓢箪型で周囲約1 km。この池は、流れがないうえ水深が比較的浅く、水草が豊富にあるため、貴重なトンボの生息地となる。昭和61年調査では、「セスジイトトンボ」、「オオイトトンボ」、「アジアイトトンボ」など稀少種3種の他、「ギンヤンマ」など10数種のトンボが確認された。(H17.3)
87. あいの里開発記念之碑
あいの里4条6丁目拓北会館前
88. 「あいの里」竣工記念碑
あいの里1条5丁目JRあいの里教育大駅前
東区
N26/E3 成墾紀念碑「榮業所基 成墾紀念碑 農學博士南鷹次郎」

北海道大学第3農場 (明治42年6月 建之)

地形 (geography)


札幌周辺の地形

地形上4地域区分: (1)西部山岳地帯: 北西部手稲山-南西空沼岳、(2)西岡・月寒丘陵: 南-南東にかけた緩い起伏、(3)豊平川扇状地: 山鼻の藻岩橋付近頂点に北西-北東に拡がる、(4)低地湿原: 豊平川扇状地北-石狩海岸
数千万年前
札幌付近 = 海 → 海底火山活動 = 火山岩・火山砕屑岩や泥岩等堆積 → 西部山岳地帯基盤形成 → 上昇沈下何回か起こり陸地化海域化を繰り返す
数100万年前
地層隆起し陸化
200万年前
各地から溶岩噴出し古い地形を覆い溶岩台地形成。手稲山、砥石山、朝里岳、余市岳、無意根山、札幌岳、空沼岳等の山々が、標高1000-1400 mさに揃うのは、この時の火山活動の産物なため。溶岩台地形成に伴いできた古豊平川は、台地を削り現在の山地を形成 八剣山
3-4万年前
支笏大噴火により火山噴出物が支笏北東南地域を広く厚く覆い出来たのが西岡月寒丘陵で、一部は火山灰が再び融け固まり溶結凝灰岩を作る(= 石山札幌軟石)。多量の噴出物を放出した支笏は陥没しカルデラを作り、古支笏湖形成。その後地殻の割目に沿いフップシ岳、恵庭岳、樽前山の火山が噴出し現支笏湖となる。その頃まで古い石狩川は石狩低地帯を通り太平洋に流れたが、支笏火山噴出物により千歳付近でせき止められ大湿原を作る。やがて流路を日本海へ変え、寒冷気候と相まって札幌北部東部低地帯に湿原や泥炭地を作る
札幌西部山地を削った豊平川は、平野にでて扇状地を作った。豊平川は、始め石山付近から真駒内方面へ流れ、現在の澄川・平岸に古い扇状地を作ったが、やがて流路を今の様に変え古い扇状地(平岸面)より低い札幌面を作り、その上に札幌市が建設された。扇状地北端は現JR線路付近で、多くのメムから浄水が湧き出したが、市街地での地下水多量汲み上げで殆ど枯れた

西岡水源池

明治末、月寒連隊水源として月寒川を人工的にせき止め作られた。その後市水道普及まで市民水源として利用されたが、現在、公園となり市民の憩いの場となる。水源池周辺は支笏火山噴出物で形成された丘陵で、火山灰地にも強いミズナラ等の落葉広葉樹林だが、その中に明治の植林と思われるトドマツやドイツトウヒが混じり、小高い丘には最近の植林であるカラマツ林もある。
月寒川をせき止めた水源池奥にヨシ湿原が拡がり、その中の木道をゆくと、湿原中にヤナギ類、続いてハンノキが増え、周辺からササも侵入し湿原が森林へ移り変わる様子が分かる。森では林床は殆どクマイザサで、間を流れる月寒川は川原を作ることなく、静かに蛇行してゆく。水辺にトクサ等もみられる。
トクサは、茎に硬い珪酸質の筋があり物を磨くのに用いた。スギナ(ツクシ)と同属のシダ植物で緑色茎の上に直接胞子嚢(土筆ンボウ)がつく。ツクシの胞子体は胞子を出すと枯れ、別の所から緑色のスギナが出る。いずれも節があり葉は極小さい。トクサ類はシダ植物であるヒカゲノカズラ類等と共に3億年昔の古生代石炭紀に繁茂し大森林を作った。ロボク(トクサ類)やリンボク・フウインボク(ヒカゲノカズラ類)等の生き残りで、今は種子植物の木陰で生きている。生殖に水が必要なため、水辺でしか生きていけない
主な樹種: ミズナラ、シラカンバ、シナノキ(オオバボダイジュ)、エゾイタヤ、ハウチワカエデ、ヤマモミジ、キタコブシ、ホオノキ、エンジュ、ハルニレ、センノキ、オニグルミ、ヤチダモ、ハンノキ、ヤナギ類

藻岩山スキー場植生 (露崎 1992)

藻岩山 (Mount Moiwa)


南区(43°01'05''N, 141°19'31.9''E, 標高 531 m)
藻岩山はアイヌ語で「インカルシペ」と呼ぶ。札幌のアイヌ民族・市民有志は、この山を「鮭の遡上を見張るところ」として「カムイノミ(神への祈り)」という伝統儀式を毎年この場所で行い、聖なる山として敬ってきた。松浦武四郎は「後方羊蹄日誌」で、アイヌ民族が深く信仰する尊い神の山だったと書き残す。
札幌市街や石狩平野を一望でき、ランコ、チキサニ、オッケニ、タッニ*など70種類以上の樹木が繁茂しており1921(大正10)年3月3日に天然記念物指定された学術上価値の高い原生林である。(2018年9月 札幌市)

天然記念物 藻岩山原始林

所在地 札幌市字藻岩国有林    指定年月日 大正10年3月3日
この原始林は明治始めの開拓使時代から保護され、大正4(1915)年に北海道庁が原生天然保存林に編入し、大正10(1921)年に天然記念物指定された。指定地は山頂から分水嶺を境にした北東斜面一帯で、場所によって違うが、広葉樹ではシナノキ、エゾイタヤが主で、これにサワシバ、オヒョウ、シウリザクラ、ヤマモミジ、アオダモが混成し、わずかにミズナラ、ウダイカンバがある。針葉樹ではトドマツがあり小面積の純林もみられるが、エゾマツは少ない。林床にクマイザサ、ネマガリダケが多い。この原始林一帯は樹木と草本類をあわせて400種以上の植物があり、学術上非常に貴重である。
注意事項 一 決められた登山道以外通行しない。 ニ 樹木や草を採取したり動物を採集しない。 三 指定地内及び付近で火を使用しない。
違反者は法律により罰する(文部省 北海道教育委員会 昭和44年2月16日建設)

特徴: 原始林の名 - 厳密には原始林ではない
松浦武四郎「後方羊蹄日誌」安政5(1858).2.11(旧暦)

「川の西岸の方に、針葉樹に覆われた小山があるがこの山がインカルシヘ(藻岩山)で …」 - 明治始頃まで、エゾマツ・トドマツの多い混交林
乱伐害に気づき開拓使は、自然風致を損なうとし伐採禁止

フロラ(flora)の特徴

北海道 (Hokkaido) 全体の約1/2の木本種がみられる
  1. 温帯北部渓谷沿の代表的森林(カツラ林)よく発達した落葉広葉樹林
  2. 南方系要素もあるが、北方系亜寒帯林作るエゾマツ・トドマツ等混じる
  3. 南方系・北方系両要素が混じり樹種豊富
道内と藻岩山に見られる植物の種数 [藻岩/道内]

高木 = 41/78, 低木 = 54/114, ツル植物 = 12/17, 計 = 107/209

森林分布

  1. ロープウエイ終点-山頂: ダケカンバ二次林。南西斜面は全体的に山火で原生林なく、草地・カンバ類二次林、トドマツ・カラマツ人工林等
  2. 山頂-北側登山道、馬背尾根筋: 頂上下アズキナシ、アオダモもみるが、シナノキ、ミズナラ、エゾイタヤ主の林。ケヤマハンノキ、オヒョウ、ベニイタヤ、ハリギリ、ウダイカンバ等
  3. 馬背-北斜面、谷筋: 尾根筋と樹種変わり、オヒョウ、オニグルミ中心に、カツラ、ヤチダモ、ウダイカンバ目立ち、エゾマツ、トドマツ混じる。
  4. 山裾: 発達したカツラ林にハルニレ、エゾイタヤ等混じる。ササに加えハイイヌガヤ。森林周辺部明所にシラカンバ

林床: 至る所でクマイザサ優占

. 藻岩山で見られる代表的な種子植物
高木. エゾマツ・トドマツ、オニグルミ、カバノキ科 (ダケカンバ・ウダイカンバ・シラカンバ・ケヤマハンノキ・ハンノキ・アサダ)、カシワ・ミズナラ・コナラ、ハルニレ・オヒョウ、ヤマグワ. カツラ、キタコプシ・ホオノキ、エゾヤマザクラ・シウリザクラ・エゾノウワミズザクラ・アズキナシ・ナナカマド、イヌエンジュ、ハウチワカエデ・ヤマモミジ・エゾイタヤ・ベニイタヤ・オガラパナ、シナノキ・オオバボダイジュ・モイワボダイジュ、ハリギリ、ミズキ、アオダモ・ヤチダモ
春の花. ヒトリシズカ、ニリンソウ・アヅマイチゲ・キクザキイチゲ・ヒメイチゲ・フクジュソウ・エゾノリュウキンカ・シラネアオイ、サンカヨウ、エゾエンゴサク・エゾキケマン・クサノオウ、モイワナズナ・ヒロバコンロンソウ、ネコノメソウ、キジムシロ・ツルキジムシロ・ミツバツチグリ、タチツボスミレ、オドリコソウ、クルマバソウ、コウライテンナンショウ、ホウチャクソウ・チゴユリ・エンレイソウ・オオバナエンレイソウ・ユキザサ・キバナノアマナ・マイヅルソウ・ツクバネソウ・クルマパツクバネソウ・オオアマドコロ・カタクリ、ギンラン・コケイラン、ナニワズ、フッキソウ

札幌および近郊の公園 (parks in Sapporo and its suburbs)


道庁

大通公園: 中央公園/道路公園
丸山公園、中島公園: 近隣公園
美香保公園、月寒公園、農試公園: 近隣公園/小公園
真駒内公園: 運動公園
野幌森林公園: 市外公園
北大植物園: 動物園、植物園 + 北大キャンパス、道庁等も公園機能を果たす
特徴: 札幌の1人あたり公園面積は、他大都市と比べ比較的広いが、市域面積広く対面積率小さく、都心に公園少ない。1人あたり並木本数でも札幌市は他都市と比べてかなり多いが、小径木多く貧弱。しかし、冬期間の積雪除雪問題があり一概に大きい方が良いと言えない。札幌市は1人あたり公園面積を欧米大都市並みにする計画あったが、問題は都心部分における公園設置

美香保公園
1942年に札幌初の都市計画に定める公園とし計画された公園となる。計画決定当時は野球場やグラウンドを積極的に配置する運動公園的機能に加え、空襲時に避難地となる防空緑地機能が期待された。戦後、グラウンド整備が始まり、1972年の第11回冬季五輪札幌大会ではフィギアスケート競技(規定)会場として使用された。1973年からは「子供達と動物との触れ合いの場を」とペットコーナーを開設、1990年には牡丹園が寄贈される等、緑豊かな憩いの場として親しまれる。語源は公園用地購入時の出資者・協力者である、宮村朔三・柏野忠八・大塚藤四郎の3人の頭文字からとった「みかお」が、語感から「みかほ」になり「美香保」が当てられた。

一級河川石狩川水系

精進川

平岸の河岸段丘は、西の集落岩層により形成された。「中の島」地区は、昔は豊平川中洲で、精進川は豊平川川道の名残。そこを、アイヌ語で"オソ(ショ)ウシ"(川尻に滝がある)と呼び、"お精進川"→精進川という説と、豊平川段丘崖に滝があるため鮭が遡上できなかった川で"魚の住まない川"、即ち、精進川になったという説等がある。
豊中公園横 (ふるさとの川づくり)
河畔林保全区域: 柵とコンクリートの護岸を外し、緩斜面とした。人工植栽せず在来植生侵入を待った。(北海道土木現業所事業課)

elm
樹齢300年以上のハルニレ2本の夫婦神
木に「地の神」が宿り、触れると足腰疲労、
肩凝り、健康回復、頭脳明晰、夫婦円満、
縁結、不老長寿等に良いと言う。

中の島神社
祭神:
大国主命おおくにぬしのみこと 土地の幸せを護る神
稲倉魂命いなくらたまのみこと 食物と商売繁昌の神
水波能売命みずはのめのみこと 水の神
弁天宮命べんてんぐうのみこと 水の神(戦後孵化場から合祀)
隣: 中の島かわら公園
相馬神社
  1. 馬頭観音碑 明治38年9月、平岸、澄川の農家の人々が、開拓に重要な役割を果たした農耕馬の魂を慰めるため長専寺に奉納したもの。平岸通の拡張延長工事のため、昭和42年、この地に移された。
  2. 相馬神社御神木
  3. 平岸開村五拾年記念碑 リンゴ園を中心に栄えた平岸村の開村50年を記念して、大正9年5月、地元の有志によって建てられた。
  4. 相馬神社創立記念碑 相馬神社は、明治41年11月に神社として許可を受けた。碑は、10年目にあたる大正6年、静寂を保つ天神山の頂上に建てられた。

平岸地区とよひら"ふるさと再発見"委員会・札幌市豊平区

氷池ひいけ 天然氷を切り出すための氷池を、地域住民要望により再現したもの。
大正11年頃から昭和12年頃まで、精進川と豊平川南22条橋の両側に幅25 mの池を造り天然氷を採取した。氷を厚くするため、一冬に2回しか切り出せなかった。氷は馬車で札幌に運び、冬のリンゴ農家の貴重な収入源であった。

前田森林公園 Maeda Forest Park

Szekely セカリー広場: Szekely 彫刻「幻想の鳥」はフランス彫刻家ピエールセカリー(Pierre Szekely)氏が日仏友好のために制作し、これを記念しセカリー広場とした。セカリー氏は、1923年ハンガリーのブタペスト生まれ1946年にパリに移り、石彫作家として、現在世界各地で活躍。(1988年6月 札幌市)

富丘西公園

スズラン群生地
市内で最大規模の群生地。5月下旬から6月上旬が開花時期
札幌市 手稲区土木部維持管理課

真駒内 保健保安林

地下鉄南北線真駒内駅東側   天然林 遊歩道延長 4 km

厚別神社 保存樹林

樹種 ミズナラ、コナラ、ホオノキ、イタヤカエデ等
樹齢(推定) 100-150年(代表的なもの)
指定面積 約4200 m2
この樹林地は、大正6年に当神社が建立される以前からあるもので、現在まで大事に維持管理されている (平成5年7月5日指定 第15号 札幌市)

白旗山都市環境林

コースの概要 > 造林したカラマツの整理と広葉樹の稚樹により、針広混交林化を進めている。林内には、自然歩道 西岡-真栄・有明ルートが整備されており、真栄や有明方面の他に山部川を経由して西岡公園へ行くことができる。
野幌森林公園 Nopporo Forest Park (道立自然公園, 野幌自然休養林)
都市近郊林: 2000 ha、昭和の森 林野庁北海道森林管理局 石狩森林管理署

歩くスキーコース (4·6·8 キロ): 連絡 北海道博物館

道立自然公園 野幌森林公園遊歩道マップ
Hokkaido Prefectural Natural ParkNopporo Forest Park Map
Nopporo
桂コース (大沢コース分岐-大沢園地: 1.7 km)
カツラの大木が沢沿いに、秋には紅葉。四季を通し多くの野鳥
大沢コース (大沢口-大沢園地: 1.9 km)
トドマツ人工林の他、ハイイヌガヤ等、カツラ、ハルニレの大木に原始の面影

[看板] 人口造林地 35林班ろ小班. 樹種 トドマツ. 面積 0.23 ha. 数量 ___千本. 実行年月 T14年5月. 石狩森林管理署

渓畔広葉樹林: 大沢付近は、野幌の森林の中で最も幅広い谷合で渓畔林が発達する。代表樹種は、カツラ、ハルニレ、ヤチダモ、ケヤマハンノキ等があり、所々にトドマツを交える。他に、ミズナラ、オヒョウ、キタコブシ、ホオノキ、シウリザクラ、Acer amoenum、ベニイタヤ、シナノキ、オオバボダイジュ、ハリギリ、ミズキ等、多様な広葉樹
エゾユズリハコース (大沢コース分岐-志文別線分岐: 1.2 km, Daphniphyllum macropodum Path)
「北海道名木百選」選定カツラの大木やヤチダモ、大沢の池等で水鳥
四季美コース (志文別線分岐-大沢園地: 1.9 km)
天然林・人工林がある平坦なコース。春はミズバショウやキタコブシ等、大沢の池等では水鳥も
志文別線 (大沢コース分岐-登満別園地: 3.7 km)
トウヒやカラマツ等の人工林の他、ドロノキ、ヤチダモ等の沢沿い天然林や、オニグルミ等様々な樹木。国有林の「学びの森」とし、モミジ・カラマツ・エゾマツコースの3観察コースを整備

モミジ(3.7 km): 多様な樹種が生育し変化に富む天然林で、紅葉お勧め
カラマツ(1.6 km): 明治時代植林の針葉樹大木や、原の池を巡る
エゾマツ(2.2 km): 緩やかな起伏のある沢沿いコースで、天然林と大正時代植林ヒノキ・ヒバ林、広葉樹人工林等

ふれあいコース (自然ふれあい交流館-百年記念塔: 1.5 km)
沢沿い渓畔林では、エンレイソウやニリンソウ等、開拓跡地草原からは百年記念塔が望める

[看板] 野幌森林づくり塾による植栽箇所
[看板] 森はトラック協会が環境保全のため、地域ボランティアの協力を得ながら育てている。(公社)北海道トラック協会

記念塔連絡線 (文教通-ふあいコース分岐: 1.6 km)
開拓跡地草原やカラマツ防風林、沢沿の天然林が見られ、ススキ群落やナナカマド並木の紅葉が楽しめる
開拓の沢線 (北海道博物館前駐車場-開拓の村 0.5 km)
沢沿いの天然林の中を縫う小道で、オオウバユリやエゾゴマナ等の花や、沢野付近では様々なシダが見られる
瑞穂連絡線 (中央分岐-瑞穂の池園地: 1.6 km. 百年記念塔-瑞穂の池園地: 1.9 km)
若い人工林や広葉樹二次林、鬱蒼とした針広混交林、豊富な林床の草花と多様な森の姿が見られ、瑞穂の池では水鳥等の観察を楽しめる
基線 (瑞穂口-登満別園地: 3.6 km)
トドマツ等の人工林が両側に続く平坦な道
瑞穂線 (瑞穂口-開拓の村: 1.7 km)
開拓の村付近から瑞穂の池園地にかけては天然林となり、野鳥に出会う確率も高く、瑞穂の池では水鳥もみられる
中央線 (大沢口-トド山口: 5.1 km)
西側開拓跡地には、昔の天然林の姿を再生するよう植樹が行われる。東側にトドマツやトウヒ等の人工林が見られる
下野幌線 (瑞穂口-中央線分岐: 3.6 km)
トドマツ・カラマツ人工林、広葉樹林、針広混交林と多様な森林が見られる
登満別線 (登満別園地-中央線分岐: 3.8 km)
トドマツ・広葉樹天然林に、小沢や沼が点在し、多様な草花や昆虫も見られる
公園利用時は、ルールを守り自然を楽しむ! ※季節を問わず一年通して守る
•動物や植物(山菜やキノコ)をとらない •生き物を捨てない、持ち込まない •ゴミは持ち帰る •遊歩道から外れない •車で乗り入れない •野性生物に近づかない •火気に注意する
周辺
〇共〇生〇の〇森〇 [看板 2020.05.05]
[広島幼稚園 森育の場] やかまし [看板 2020.05.05]
ここは学園所有の森です。関係者以外の方の出入りはご遠慮ください。 学校法人 北広島龍谷学園
cycling
「水辺の広場」と「エルフィンロード」
「水辺の広場」(73.5 m2)のうち、57.1 m2は穴田輝行さんから「エルフィンロード」関連施設とし市民が自然と親しめる憩いの場となるよう寄附して頂いた。

札幌恵庭自転車道線の一部(北広島市の部分)

「水辺のデッキ」
--- メモ --- 「市道北進通線 地質調査委託」看板が至る所に。深度15.00 mまで [施工者 越前屋試錐工業(株)]
野幌のササ類 (舘脇・五十嵐 1973): オクヤマザサ、チシマザサ、ナガバネマガリダケ、チトセザサ、エゾミヤコザサ、ソウウンザサ、クマイザサ

アイヌ (Ainu)


北海道を知る上で、触れないのは変。

アイヌ語地名

ベッ pet (川) - 別, 津
道南西部: 川 / 道北東部: 山中の支流
ナイ nay (川) - 内
道南西部: 小さい川 / 道北東部: 川

札幌: サッポロベツ = サッ•ポロ•ベッ(乾燥する・大きい・川)、サリ•ポロ•ベッ(芦原•広大な•川)、他諸説
札内: サッ・ナイ (乾燥する•川)
石狩: エ•シカリ•ペッ(頭・回流・川) 他諸説
空知川: ソー•ラプチ•ペツ(滝が幾重にもかかる川) ↔ 滝川 - 意訳
シュンベツ川: Shum-un-pet「西•の•川とMenash-pet「東•川」

ト to (湖) - 戸, 洞, 遠, 涛, 十, 統

オンネトー onne-to 古い(老いた)沼

ヌプリ nupuri、シ: 高い山、目立つ山

幌尻
タンネ・ウェン・シリ: 長い・悪い・山 (= 手稲: 和語)
カヤベ(カヤウンベシュ)・ヌプリ: 帆のある崖山 (= 渡島駒ケ岳: 和語)

イワ iwa: 神聖な山 Ex. 藻岩、恵庭
tapkop: たんこぶ山
ピラ pira: 崖

平取・平賀・赤平・小平・古平

ペシ pesi: 水際の崖 チャシ casi: 柵、囲い、垣根、城、砦
チセ : 家、母屋、クマ冬眠穴、ハチ等の巣
ケ (毛)
増毛(益毛・増気・像計) (マシュキニ/マシュケ)
送毛 (オクリケ/ウクルキナ - 食用植物名)
大楽毛 (オタ・ノシケ)
琴似川 ケネウシべッ Kene-ush-pet (ハンノキ・多くある・川)

コトニ kot-ne-i (窪地に・なっている・もの)

動物

エヌノヤ enumnoya/ヌノヤチ numnoya-cip (ヤマガラ)
エチキキッポ e-cikiki-p-po (シジュウカラ): そこで•チキキと鳴く•者(•指小辞)
コペッチャ kopetca (マガモ)
エソソキ e-soksoki (アカゲラ): 頭を・トントン打ちつける
ムルルンチカ mururun-cikap (アオジ): ハマニンニクのやぶ・にいる・鳥
哺乳類
ユク yuk (シカ, 古語では食料となる動物)

Ex. 横津岳 yuk-ot-nupuri (鹿・群在する・山)、勇駒別 yuk-oman-pet (鹿・山の方へ行く・川)、幾寅 yuk-turasi-pet (鹿・登る・川)

[ 認識人類学 ]

アイヌ植物命名法 (Ainu plant nomenclature)


主に幌別地方 (山田 1994)

1) 語彙素に分解できない = 基本名

ランコ ranko (カツラ)
マニ rarmani (イチイ)
ノヤ noya (オオヨモギ)
ハッ hat (ヤマブドウの果実)
日本語語源: ササンキ(ササゲ), アントキ (アズキ), ポフ (ハマボウフウ), クンク (シオクグ), チヤルペ (チャペ, エノコログサ東北方言)等
トマ toma (エゾエンゴサク)

2) 語彙素に分解 - 基本名を含まない

ni (木)
チキサニ ci-kisa-ni (ハルニレ): 我ら・こする・木
シケ sikerpe-ni (キハダ): シケペ(キハダの実)•木
ケネ ke-ni/kem-ni (ハンノキ): 血(の)・木

皮煎じると赤い液 - 血と考えた → 補血に服用

ピンニ pin-ni (ヤチダモ): 傷・木
ケニ/オッケニ opke-ni (キタコブシ): 放屁する・木
トゥレニ turep-ni: トゥレのなる木
マニ tesma-ni (ヤマグワ): カンジキtesmaにする木
オンネチクニ onne-cikuni (エゾニワトコ): 老大な・木
トベニ tope-ni (エゾイタヤ): 乳汁(< to 乳房 + pe 水)・木
ニ•ハル ni-haru (ヤドリギ): 木•弁当
キキンニ kiki-ne-ni (ナナカマド・ウワミズザクラ): 魔神追払う(棒幣)・になる・木
タッニ tat-ni カンバ類(Betula): 樺皮・木

レタッタッニ retat-tat-ni (B. platyphylla): 白い樺皮とれる木
カムイタッニ kamuy-tat-ni (B. ermanii): 神の樺皮とれる木
シタッニ si-tat-ni (B. maximowicziana): 本当の樺皮とれる木

クト kutu (筒/円棒 ≈ 茎)
イコクトゥ ik-o-kutu (オオイタドリ):節•多い•茎 (方言多)
キナ kina (草)
パラキナ para-kina (ミズバショウ): 幅広い•草
•キナ siw-kina (エゾニウ): 苦い•草
キナ•エマウリ kina-emawri (オオバナノエンレイソウ): 草•いちご
has (枝)
sum-nu-has (クロモジ): 油•持つ•枝条
カプ has-ka(o)-p (クロミノウグイスカグラ): 枝条•の上•にたくさんなる•もの
ト•カ•オマ• to-ka-oma-p (沼•の上•にある•もの, ドクゼリ)
ペカンペ pe-ka-m(un)-pe (水•の上•にある•もの, ヒシ)
エト•オ•ラキ• etor-o-ratki-p (鈴•そこに•ぶら下がっている•もの, オオアマドコロ)
シク•シク sikup-sikup (バイケイソウ): 成長する•成長する
トゥレ tu-re-p (オオウバユリ): とける(<ru)•させる•もの
イピシシ i-pisisi-p (エゾイラクサ): 我々を•痛がゆくする•もの
イケマ i-kema (イケマ): それ•の足
プンカ punkar (蔓)
カムイ•プンカ kamuy-punkar (ツルマサキ): 神•蔓
ハイ•プンカ hay-punkar (ツルウメモドキ): hay イラクサ

3) 語彙素に分解 - 基本名を含む

ピタ•カ•ウン•ノヤ pitar-ka-un-noya (カワラヨモギ): 河原の上にあるノヤ
イワ•トペ•ニ (ヤマモミジ): 山地トペニ(エゾイタヤ)
セタココニ seta-korkoni (ゴボウ): 犬•フキ
チカットマ, チカトマ, トカトマ cikap-toma (キバナノアマナ): 鳥•エゾエンゴサク塊茎
フッター