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齢構成戦前: 発展型1950-70年代: 安定型 → 少子化につれ急速に衰退型 65歳以上高齢者(%, 万人)
2013_2017_2020 |
登山関連
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[植生垂直分布]
一般性 (気候 climate)降水量 precipitation雨量が十分(> 1500 mm/year)で制限要因(limiting factor)とならず、森林限界以上の高所を除くと森林がどこでも成立可能 (北海道)湿度 moisture 温度 temperature温量指数特殊性気候的 (climatic)日本海側 vs 太平洋側日本の植生の背腹構造 (dorso-ventral structure)直立型 ⇔ 匍匐型: 雪圧に対する植物の適応 → 同一種で分化 雪に埋もれた植物は雪に保護され低温障害弱 → 匍匐型植物発達
太平洋側____________日本海側 |
地形的 (topographic)≈ 土壌的 edaphic一般的な土壌: 落葉広葉樹林 = pH中性化 ↔ 針葉樹林 = 酸性化 ![]() 白山-雨乞岳 (鈴木 1972) 白山 = オニグルミ林 ↔ 雨乞岳 = ススキ草原 → 広く分布 オニグルミ林 = 水蓄積する所に成立日本: 一時的に多量の雨が流入 inflow → assimilation = 水が表層に浸出 → 水が山頂から途中での様々な土壌成分を持ち込む= 山麓森林では土壌成分(K2O, NaO, NO3-等)移動顕著(CaO, MgO, NH4+等の移動も認められる) → 土壌アルカリに傾く 火山植生 volcanic vegetation火山国日本の特色日本列島: 地質時代から火山活動影響 → 火山影響少ない欧米植生研究では説きがたい面(飯泉 1986) |
日本: 南北に長く位置し、標高も幅が広いため多様な植生が発達 (鈴木 1972)
温量指数分布(WI)と日本の植物分布帯WI: 植生帯(気候帯) → 優占種(代表)85 >: 照葉樹林(暖温帯) → ツバキ、クスノキ
100-140 → アコウ、ナギ、イヌマキ
45-85: 温帯落葉広葉樹林(ブナ林帯・冷温帯) → ブナ、イタヤ、ウラジロモミ WI: 85-45, CI > -15: 本州の植物分布に合うが北海道の針葉樹林に合わない 15-45: 常緑針葉樹林(亜寒帯・亜高山帯) → シラベ、オオシラビソ、トドマツ、エゾマツ、トウヒ15 <: 高山帯 |
(山中 1990) |
植物種数に富み維管束植物約5000種が46°Nの亜寒帯近くから南は26°Nの琉球列島および小笠原列島に集中 Rhododendron, Primula, Hydrangea等が固有的種として多 北帯植物界: 支那-日本区系域 Sina-Japanese region: 北日本及び南樺太区系区(南部除く北海道), 朝鮮及び南日本区系区(北海道南部、本州、四国、九州) 旧熱帯植物界: 東南アジア大陸区系域: 台湾および琉球列島区系区(琉球列島および小笠原諸島) 1949 前川地史的条件考慮し、古第三紀に日本列島は大陸沿海州から迫り出した半島(マキネシア)の東縁を形成し、大陸と共通のフロラを有したのが、大陸から独立したため現在のフロラを構成するようになった → フォッサマグナの重要性蝦夷・陸奥地域、関東地域、フォッサマグナ地域、日本海地域、襲速(ソハヤ)地域 1959 原北海道区: エゾマツ、トドマツ、ハルニレ、アサダ等の針広混交林北陸区: ブナ、ミズナラ、ヒノキアスナロ、キタゴヨウが広範見られ、ヒメモチ、エゾユズリハ、ユキツバキ、ハイイヌガヤ、チャボガヤが特徴となる種 関東区: 南部 = シイ、タブノキ、アラカシ等常緑広葉樹、平野地 = クヌギ、クリ、コナラ、ケヤキ、イヌシデ等落葉広葉樹、山地 = ブナ、イヌブナ、ミズナラ等落葉広葉樹とシラベ、オオシラビソ、コメツガ等針葉樹 中部山岳区: ミズナラ、ブナ、シナノキ等落葉広葉樹、シラベ、オオシラビソ、コメツガ等針葉樹多く関東区と同じだが、ヒノキ、サワラ多く、チョウセンゴヨウ、ヤエガワカンバ、ケショウヤナギ等アジア大陸要素隔離分布 |
西日本区: 東海地方・近畿地方以西本州、四国、九州本島、種子島、屋久島: スダジイ、コジイ、マテバシイ、イチイガシ、アラカシ、クスノキ、イスノキ等の常緑広葉樹。特に南部の襲速紀にはコウヤマキ、トガサワラ、キレンゲショウマ、イワザクラ、クサヤツデ、テバコモミジガサ等、中部支那との近縁種に富む 琉球区: リュウキュウマツ、アダン、ノヤシ、オキナワウラジロガシ、ヤエヤマノボタン、オヒルギ、ヤエヤマヒルギ、ヒルギダマシなどインド-マレイ系の亜熱帯ないし熱帯性植物に富む 小笠原区: タコノキ、オガサワラビロウ、ムニンヒメツバキ、アデク、テリハコブガシ、オガサワラグワなどインド-マレイ系熱帯性植物に富む。さらにオオハマキキョウ、ワダンノキ、シロテツ等ミクロネシア系植物も存在する 生物相 (biota)
ブラキストン線 Blakiston line: 本州・四国・九州 /[津軽海峡]/ 北海道 → 哺乳類
約10000年前 10000年よりも古い 瀬戸線: 屋久島 [トカラ海峡] 石垣島・西表島
トカラ海峡 = 水深1000 m → 大きく分断され動物相乏しい |
[ 日本で見られる草原 ]
常緑針葉樹林 needle-leaved forest積雪と樹形・分布: 多雪地帯は一般に幼時に下枝枯れ上がらず、やや下向きに枝を張るが、少雪分布型の樹種は普通に直立する形であり、積雪に対する生育型の違いがある北海道: 針葉樹林は比較的単純 → 平地まで降りている亜寒帯針葉樹林は北海道東部に限られる エゾマツ/トドマツ: もっとも大きな差は土壌水分条件
南西斜面 = 乾燥 – トドマツ、エゾマツ、ミズナラ、アサダ、ハリギリ 蘚類型: 乾燥 ↔ シャクナゲ型: やや乾燥 ↔ ササ型: 湿潤 ↔ シダ型: 相当湿潤 Cf. 縞枯山 – 帯状更新 北半球に針葉樹林が発達した理由 (Eyre 1975)
落葉広葉樹林(夏緑樹林) broad-leaved fores水分少ない時期には落葉し蒸散抑える。芽は鱗片で保護される(冷)温帯・山地帯極相として成立 WI = 85-45(or 55) ブナ林・ミズナラ林(代表群落) 林床: 開葉後急激に相対照度が数%まで落ちる → その前の期間で栄養・生殖活動を済ませる種が多い (春植物) ブナ林 beech forestブナ (Fagus crenata) Fr: 極相種ブナ分布: 月平均気温10°C以上が4-6ヶ月続く = 北海道(南西部: 黒松内低地帯以南西)、東北地方-九州 ブナ林分布: 九州、四国にもブナは存在するがブナ林南限は関東
ブナ-チシマザサ群集(ハウチワカエデ、ミネカエデ、ハイイヌガヤ、チシマザサ、ヒメアオキ、エゾユズリハ、ヒメモチ、タムシバ)
ブナ-スズタケ群集(ナツツバキ、ウラジロモミ、ヒメシャラ、コハウチワカエデ、オオイタヤメイゲツ、コミネカエデ、タンナサワフタギ) ブナ、マルバマンサク、ヒメモチ、オオバクロモジ、トチノキ、サワグルミ(本州は極相に出現)、ミズナラ・エゾイタヤ・シナノキ林: チシマザサ、クマイザサ、ハウチワカエデ、エゾイタヤ、オオカメノキ、シシガシラ、サワシバ、コシアブラ、ハリギリ、ミズナラ、シナノキ、ジュウモンジシダ、シラネワラビ → 代表的ブナ林メンバーはブナが無くても北へ分布域伸びる (ブナはないがその群落は北にもある) |
![]() ブナ欠如原因: カラマツ消滅とも関連?
照葉樹林帯 laurel forest= 常緑広葉樹林帯 (日本の照葉樹林帯は二次遷移林がほとんど)温帯林: 暖温帯の雨量の多い地方に成立 → 標高下からシイ帯-カシ帯(モミ帯)-ツガ帯
ブナ科: シイ類 (スダジイ・コジイ), カシ類 (アラカシ・シラカシ・ツクバネガシ・アカガシ・ウラジロガシ) シイ林 evergreen oak forest, or Shii forest琉球-太平洋側福島県南部/日本海側佐渡島海岸沿い尾根部や南向きの斜面等に成立 → タブ林より乾いた環境に多
分布: 九州以北 ↑↓ 鹿児島県大隅海峡 ↑↓
分布: 屋久島、種子島、琉球列島 タブ(タブノキ)林 evergreen oak forest, or Tabu forest太平洋側岩手県中部/日本海側青森県-琉球列島
海岸沿い低地や谷間など土壌が深く、やや湿る場所に多(川沿いでは内陸部までみられることもある) 亜熱帯降雨林 subtropical rain forestビロウ、ヘゴ、アコウ、ソテツ: 葉は大形で薄いものが多い。芽の保護は少ない |
2013/06/25 (水源涵養保安林)雌阿寒オンネトー自然休養林この自然休養林は、日本でも稀にみる自然美に恵まれる。雌阿寒岳(活火山・標高1,499 m)・阿寒富士(休火山・標高1,476 m)の雄姿、その山麓に広がるアカエゾマツを主体とする森林、さらに秘境といわれるオンネトー(老いた沼の意味・周囲4 km)の佇まい。この調和のとれた すばらしい自然美を心行くまで寛いで欲しい。(林野庁)2013/10/21 ようこそ 高尾山国有林へ高尾山自然休養林林野庁関東森林管理局は高尾山国有林(452 ha)を自然休養林に指定し保健休養の場として利用 (林野庁 関東森林管理局)高尾山の動植物 (環境庁)ホタルブクロ: 山野に生え、主に地下茎で繁殖する。初夏に茎先端から咲き始め、赤紫色の可憐な釣鐘形の花をつける。花中に蛍を入れる遊びから、この名がついたといわれる。ムラサキシキブ: 初夏に淡紫色の花を多数つける。果実は紫色に熟し、美しさを紫式部に譬えて和名ついた。 カシワ: ドングリは細長い鱗片つく殻斗に包まれる。材はウイスキー樽に、葉は餅を包みかしわ餅とする。冬に葉が枯れてもなかなか落ちず木に残る。 ヤマユリ: 夏にむせるほど香りの強い大きな花が咲く。花は白色地に斑点と黄色い線がある。山野の傾斜地や草むらに自生する。鱗茎は百合根と呼ばれて古くから食用にされる。 オオバギボウシ: 山地等のやや湿った草地に生える大型草本。古くから観賞用に植えられ園芸品種も多い。若い葉柄や葉身はウルイと呼び食用にする。 マユミ: 熟した淡紅色の実が、晩秋に割れ橙赤色の仮種皮に包まれた種子をつりさげる。材は緻密で将棋の駒やこけしに用いられる。 イロハモミジ: 葉が5-7に裂け「いろはにほへと」と数えらえることから名づいた。紅葉の名所である京都高雄山の名をとり、タカオカエデの別名もある。 井の頭公園
お茶ノ水 Ocha-no-mizu由来: 徳川家康が井の頭池の西端のこの湧水をくみ関東随一の名水と誉め茶を入れた (現在は地下水をポンプで汲み上げ)御殿山 Gotenyama由来: 徳川家光が鷹狩で宿所設け休憩シデ、コナラ、クヌギ等の雑木林 井の頭池 Inokashira Pond→ 神田川の水源 → 江戸時代は神田上水とし江戸の人々の飲水かつて湧水口が7箇所あり七井の池とも呼ぶ 池の中央の七井橋はこれに由来 サクラ Cherry blossoms園内にソメイヨシノとヤマザクラ等の約500本のサクラ池周囲に約250本のソメイヨシノ → 池の水に映える満開のサクラや花吹雪 2015-01-15 大井埠頭 干潟保全地区
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干潟保全地区で見られる動植物
ユリカモメ カワウ カルガモ コサギ せせらぎの森で見られる虫と花キタテハ (タテハチョウ科)成虫越冬なので、一年中見られる。幼虫はカナムグラの葉を食べ、成虫はこの森ではセイタカアワダチソウの花によく集まる。_体長 約60 mm トノサマバッタ (バッタ科) 6-10月に見られる。飛翔力強く、大発生し農作物に被害を与えることもある。この森では、緑色系より褐色系が多い。_体長 48-65 mm アオモンイトトンボ (イトトンボ科) 海に近い池沼に住み、この森には多い。長時間オスとメスが連結するが、卵は草の組織内に単独で産み付ける。__体長 約32 mm ツバメシジミ (シジミチョウ科) この森では最も数が多いシジミチョウの仲間で、3-10月に見られる。幼虫はマメ科草類の蕾や花、新芽等を食べる。__体調 約25 mm ギョリュウ (ギョリュウ科) 中国原産で、この森には東海埋め立て地のものを移植した。5月頃と9月頃の2回花が咲くが、5月の花は実を結ばない。__樹高 3-5 m お願い: 1. 火気使用不可。2. 昆虫・植物をとらない。 2015/03/20 城山自然遊歩道照国神社横の探勝園と、岩崎谷の薩摩義士碑の2ヵ所の入口から遊歩道に入り、自然観賞しつつ展望台に至る約2 kmのコース。城山は、昭和6年、国文化財とし史跡・天然記念物指定され、樹齢約400年になるクス大木をはじめ、常緑広葉樹やシダ類が繁茂し、亜熱帯植物など600種程度あり、市街地にあって南九州特有の林相を保ち、数多くの野鳥や昆虫が生息する自然の宝庫。
所在地: 城山町_コース全長: 約2 km_開設年月日: 昭和47年12月16日 ♠ 難易度レベル ♠♠♤♤♤ 自然遊歩道を利用する皆さんへ •歩行中禁煙。 • 動植物を傷つけない。 •史跡、歩道施設、標識等を大切に。 •歩道以外の土地に入らない。 •紙屑、空缶等は必ず持ち帰る 城山鹿児島県市街地にせり出した高さ107 mの丘。姶良カルデラの外輪山の一部とされ、その殆どがシラスからなる。桜島を真正面に、晴れた日は南に開聞岳、北に霧島連山が聳え、鹿児島市街地、錦江湾を一望する雄大な眺めは、鹿児島第一の展望と称えられる。城山といえば西郷さん -と言われるほど西南戦争激戦地の印象強い。明治維新の英雄・西郷隆盛をはじめ桐野利秋、別府晋介ら多くの薩軍将兵が壮烈な最後を遂げた1877(明治10)年の出来事は、歴史の一齣として語りつがれる。 歴史を辿ると、中世南北朝時代に上山氏がこの山に城を築き、島津氏治世となっても城山とし守備にあたったことが、ドン広場の土塁や空壕跡から伺える。 城山のもう一つの魅力は、全山を覆う珍しい植物群がある。この展望台に至る遊歩道は、照国神社と岩崎谷の2つの入口から、国天然記念物に指定された自然の森へ分け入る。樹齢400年にもなる巨大な楠の群落、シロヤマシダ、シロヤマゼンマイと城山の名を冠した暖地性シダや亜熱帯植物など約500種もの植物が生い茂り、たくさんの野鳥や珍しい昆虫も生息している。 自然遊歩道遊歩道に沿って照葉樹林の森の姿と、珍しい植物や昆虫と出会える。城山で最初に発見された暖地性シダ = シロヤマシダや生きた化石 = キムラグモ。約500種もの植物が繁茂する自然の宝庫である。西郷隆盛終焉の地史跡では南北朝時代に上山氏築城の山城跡や水を漏らさない城山層を利用した藩政時代の水道遺跡の他、西郷隆盛洞窟、西郷隆盛終焉の地碑がある。 |
特別名勝・特別史跡 東京都立 浜離宮恩賜庭園![]()
開園 昭和21年4月1日__面積 250,165 m² [ クネンボ(九年母) ] 浜離宮恩賜庭園 ☎ 03 (3541) 0200特別名勝及び特別史跡「旧浜離宮庭園」と汐留第二ポンプ所一 特別名勝及び特別史跡「旧浜離宮庭園」附近は江戸時代初めまでヨシが生い茂る海辺であった。汐留第二ポンプ所に汐留川を挟んで隣接する都立浜離宮恩賜庭園の地区は江戸時代初めに埋立てられ、寛文九年(1669)、甲府宰相松平綱重の浜屋敷庭園とし完成した。綱重の子綱豊(6代将軍家宣)の代になると、庭園は将軍家別邸となり幕末まで続く。明治時代に庭園は皇室離宮となり、昭和20年11月東京都に下賜された。庭園は、江戸時代大名庭園の特徴である、広々とした「池泉廻遊式」庭園であり、また、立地を利用し海水を引入れ、その干満差による景観変化を楽しめる「汐入り庭園」である。今では、「汐入り庭園」としては、東京に唯一残る。石垣で築かれた外周部、周囲を取り囲む水面で構成された景観を後世に末永く保存するため、昭和23年12月、「旧浜離宮庭園」として国の名勝及び史跡に指定され、同27年11月には国の特別名勝及び特別史跡に指定された。指定区域は庭園本体と周囲の水面からなり、その範囲は周囲の石垣の法尻から、海上に向かって五十間(約90 m余)、その他の三面については、同じく石垣の法尻から、河川に向かって10間(約18 m余)が定められている。 二 汐留第二ポンプ所 ポンプ所は、都市化進展に伴う下水量増大対処に、昭和57年7月から平成12年3月まで18年を費やし建設された。本ポンプ所の機能は、港・中央・千代田・新宿4区の一部地域から集められた下水を「芝浦水処理場」に送るとともに、降雨時には、従来、旧浜離宮庭園に隣接する汐留川に排水されていた雨水を東京湾に排水することである。このポンプ所完成により、庭園周囲の水面浄化に貢献している。ポンプ所建設では、隣接する旧浜離宮庭園(文化財庭園)の保存意義を尊重し、指定区域を避けた汐留川の埋立てによる用地確保や、外観意匠などに配慮した建物としたほか、施工時は、庭園への影響が生じないよう、低騒音、低振動工法を採用する等の配慮を行った。 平成12年3月 東京都下水道局 東京都建設局公園緑地部 旧芝離宮恩賜庭園The imperial gardens in the former lawn (Shiba) detached palace![]() 石柱この石柱は、小田原北条家に仕えた戦国武将の旧邸から運ばれた門柱である。ここが小田原藩(大久保家)の上屋敷であった当初、茶室に使われたといわれる。![]() 海水取入口跡「潮入りの池」に海水を取り入れるために、設けられた水路である。水路の石垣や鋼鉄製の水門の遺構が見られが、現在は海とのつながりを絶たれ、淡水の池になっている。![]() 中島この島の石組みは、蓬莱山を表している。蓬莱山は、仙人が住み不老不死の地といわれる中国思想上の霊山のことである。![]() 西湖の堤中国の浙江省杭州市に西湖という風光明媚な湖があり、この湖に北宋時代の詩人蘇東坡が築いた長堤を西湖堤と言う。この堤は西湖堤を模して造られた。当園のほか、小石川後楽園、広島の縮景園等にも見られる。(2015年5月29日)史跡 湯島聖堂 YUSHIMA SEIDO孔子廟、神農廟と昌平坂学問所Shrine of confucius, shrine of Shinno and the site of Shoheizaka College• 所在地 東京都文京区湯島1丁目4番25号 (敷地面積 13,915 m²) • 国史跡指定 大正11(1922)年3月8日 • 所管 国有財産 文化庁・東京都教育委員会・文京区教育委員会 • 管理者 公益財団法人 斯文会 ■ 湯島聖堂と孔子 孔子は、2500年前、中国の魯の昌平郷(現山東省濟市曲阜)生まれ、「儒教」は東洋の人々に影響を与えた。儒学に傾倒した徳川5代将軍綱吉は、元禄3年(1690)に「湯島聖堂」創建、孔子祀る「大成殿」や学舎を建て、自ら『論語』講釈を行うなど学問を奨励した。 ■ 昌平坂学問所跡 寛政9年(1797)幕府は学舎敷地を拡げ、建物改築し、孔子出生地名をとり「昌平坂学問所」(昌坂黌とも)を開いた。学問所は、明治維新(1868年)に至るまで70年間、官立大学とし文教センターの役割を果たした。学問所教官には、柴野栗山、岡田寒泉、尾藤二洲、古賀精里、佐藤一齋、安積艮齋、鹽谷宕陰、安井息軒、芳野金陵らがおり、佐藤一齋、安積艮齋らはこの地が終焉の地となる。 ■ 近代教育発祥の地 明治維新に聖堂は新政府所管となり、明治4年(1871)に文部省が置かれ、国立博物館(現東京国立博物館・国立科学博物館)、師範学校(筑波大学)、女子師範学校(お茶の水女子大学)、初の図書館「書籍館」(現国立国会図書館)等も置かれた。 ■ 現在の湯島聖堂 聖堂は、4回江戸大火に遭い、その都度再建するが、大正12年(1923)関東大震災で焼失した。その後「假聖堂」営み、昭和10年(1935)鉄筋コンクリート造で寛政の旧に依って再建され今日に至る。入徳門は宝永元年(1704)建築物がそのまま残る。
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湯島聖堂説 明 (元は旧字, 漢数字) 寛永9年(1632)、尾張藩主徳川義直林道春(羅山)をして、上野忍ヶ丘に先聖殿を造営せしめに始まる。その回祿(火災)の災に罹るや、元禄3年(1690)、将軍綱吉之を今の地に移して、大成殿と稱せり。後、寛政11年(1799)大成殿及び杏壇・入徳・仰高諸門を再建し、明治維新の際、大學を此地に置くに及び、一旦孔子以下の諸像を撤去せしも、後、舊に復せり。建造物は暫らく東京博物館の一部に充てたりしが、大正12年(1923)9月1日、関東大震災の為、入徳門・水屋等を除くの外、悉く焼亡せしを昭和10年(1935)4月4日鐵筋混凝立構造に依りて原型に復せり。(昭和11年3月 文部省) 特別史跡 特別名勝 小石川後楽園Koishikawa Korakuen Gardens ![]()
• 水戸光圀ゆかりの得仁堂と木造「伯夷叔齊」 小石川後楽園を造営した徳川光圀は、得仁堂を創設し、泰伯・伯夷・叔齊像を安置した。光圀が堂を造り三像を祀ったことには、その徳を慕い、手本としていた強い思いが示される 三像のうち、伯夷・叔齊像は現存 「伯夷・叔齊」とは、中国古代・殷代の小国の王子兄弟の名前。二人は、跡継ぎを互いに譲り合い、国を去ったといわれる。国民は、「聖の清なるもの」と誉め称えた。兄弟は善政を行っていると評判の文王を慕い周へ行くが、時の王は亡くなり、子の武王が継いでいた。武王が父の葬儀も済まないうちに殷の君主を征伐しようとすることを知り、父子の道、君臣の道に背くと諌めたが聞き入れられなかった。二人は、「周に仕え俸禄を受けるのは恥」とし山に籠り、ワラビで命をつなぐが餓死したといわれる。
• 得仁堂: 二代光圀が建てた園内で最古の建物で、光圀が感銘を受けた「伯夷叔斉」の木造を安置した。堂の名は論語の「仁を求めて仁を得たり」による • 八卦堂跡: 光圀七歳の時、将軍家光に謁見し「文昌星」像を頂戴した。後に光圀は文学を好み、文昌星を思い起こし八卦堂を造りその像を安置したという。堂は大正関東大震災で焼失した • 小町塚: 塚石産地が常陸小野で、光圀が戯れて小町塚と呼んだといわれる • 藤田東湖先生遺跡 • 木曽山: もとは古木が空を覆って昼なお暗く、渓流に沿った様子が木曽路を偲ばせる。またシュロが多くあったことから棕櫚山ともいう (2016年11月18日) 大阪城公園 (Osaka Castle Park)市正曲輪 Ichi-no-kami-kuruwa Bailey現大阪城梅林には、豊臣秀頼後見人の片桐東市正且元の屋敷があったと伝えられ「市正曲輪」と呼ぶ。江戸時代には、大阪城守衛の役職のうち、青屋口加番・中小屋加番・雁木坂加番の小屋(公舎)が北から順に置かれた。大阪砲兵工廠跡(御蔵曲輪跡) Remains of the Osaka Army Arsenal大阪砲兵工廠跡は大砲生産を中心とした近代日本最大級の軍事工場で、明治3(1870)年、この付近に設置された造兵司を発祥とする。民需品も手がけ大阪における近代工業化推進役を担い、敷地はここを中心に現在の大阪ビジネスパーク一帯、森ノ宮方面、さらに大阪環状線の東まで広がった。昭和20(1945)年の空襲で壊滅し、残った元本館建物は大阪市により昭和56年に撤去され、跡地に大阪城ホールが建てられた。江戸時代、付近一帯は「御蔵曲輪」と呼ばれ、年貢米等を備蓄する幕府の蔵が立ち並んでいた。石山本願寺と大阪(大坂)明応5(1496)年、本願寺第8代宗主蓮如は摂津国東成郡生玉庄内の大坂に坊舎を築いた。「大坂」という地名が歴史上初めて現れるのは、明応7(1948)年11月21日付の蓮如の『御文(御文章)』とされている。この坊舎を中心に周囲に土居と堀を巡らせた「六町の構」と言われた寺内町が形成された。天文元(1532)年に山科本願寺が炎上すると、本願寺はこの地に移され、本願寺教団の中心となった。大坂(石山)本願寺の寺内村では、御影堂・阿弥陀堂を中心に、6町2000軒におよぶ町屋が立ち並んでいた。多くの職人や商人が生活しており、当時の堺と並ぶ豊かな都市生活が繰り広げられていた。やがて本願寺は織田信長と対立し、元亀元(1570)年から11年間に及ぶいわゆる石山合戦の後、大坂を退去し、鷺森、貝塚、天満を経て、天正19(1591)年に京都へ移転した。 一方、秀吉は大坂(石山)本願寺と寺内町の跡に大坂城を建設した。この大坂城は大坂夏の陣で炎上したが、江戸幕府によって再建される。 大坂(石山)本願寺の遺構は未だ確認されていない。しかし、大坂城公園の辺りがその遺跡と推定され、現在の商業都市大阪の礎となったといわれる。 大阪市教育委員会 |
代表的区分であり、これが絶対ではない 地域北海道道北 (宗谷・留萌・上川)道東 (北見・根室・釧路・十勝) 道央 (空知・石狩・後志・胆振・日高) 道南 (渡島・檜山) 東北北東北 (青森・岩手・秋田)南東北 (宮城・山形・福島) 関東北関東 (茨城・栃木・群馬) 南関東 (埼玉・千葉・東京・神奈川)(かなりな不統一) 中部甲信越 (山梨・長野・新潟)北陸 (富山・石川・福井) 東海 (静岡・愛知・岐阜・三重) 近畿滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山中国山陰 (鳥取・島根)山陽 (岡山・広島・山口) 四国北四国 (香川・愛媛 南四国 (徳島・高知)九州北九州 (福岡・佐賀・長崎・熊本・大分)南九州 (宮崎・鹿児島) 琉球 (沖縄) フォッサマグナ (L. 大きな裂け目): 日本列島二分する大地溝帯 |
![]() 山地奥羽山脈: 延長500 km + 火山帯 + 平野・盆地日本アルプス = 飛騨山脈 + 木曾山脈 + 明石山脈
飛騨山脈(北アルプス): 剣岳・穂高岳・乗鞍岳 > 3000 m 西日本: 東西に山脈が連なるが、東日本ほど険しくない 中国山地: 牧畜 四国山地・九州山地: 林業 九州山地: 活発な火山活動 |
平野北海道根釧台地: 火山灰・泥炭 + 夏霧 → 農業不適1955 パイロットファーム(失敗) 東北八郎潟: 干拓前は221.7 km²の湖1967 入植開始 → 減反(転作・休耕) 海岸総延長 > 3万 kmリアス海岸: 陸地が海に沈降し形成された,入組んだ海岸 Ex. 陸海岸南部、若狭湾沿岸 砂浜海岸: 海流・季節風等で砂が運搬され形成された発達した海岸 - 一般に海岸線単調Ex. 九十九里浜、鳥取砂丘 サンゴ礁海岸: サンゴ礁で囲まれた海岸 - 熱帯・亜熱帯に形成琉球諸島、小笠原諸島 |
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関東 |
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![]() 元池袋史跡公園 池袋の地名の由来昔、多く池があり、池袋の地名は、その池から起こったとも伝えられる。池は清らかな水が湧き、溢れ川となった。この流れは何時の頃から弦巻川と呼ばれ、雑司が谷村の用水とし利用された。池は次第に埋まり、水も涸れ今はその形を留めていない。ここは、昔を偲ぶ縁として池を復元した。東京都豊島区教育委員会 石碑寄贈 東京池袋ライオンズクラブ 恒久の平和を願って- 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑 - ![]() 根津山の防空壕 昭和20年4月13日の空襲では、南池袋公園に隣接する、当時根津山と云った林の中に造られた巨大な防空壕に避難者が殺到した。 |
清水谷紀尾井町を南北に貫く公園前の通り、中でも、公園を出て右に曲がった交差点辺りは江戸時代から「清水谷」と呼ばれた。尾張屋板切絵図にも「シミズタニ」と記される。それは、周囲から清水が湧き出し、通行人に喜ばれたためという。清水谷公園改修に際し、公園名にちなみ湧水を復元した。平成十四年三月 建替千代田区教育委員会 (2017年11月24日) 地盤沈下と地下水位を調査中•地面の下には地下水がある •汲みすぎると地盤沈下が起こる観測の仕組み観測井戸____水位計 - うき - 沈下計____表層 - 粘土層 - 地下水位 地盤沈下は多量の地下水を汲み上げるため起こる。今は地下水汲み上げ制限を行い、地盤沈下少ない。今後、地盤沈下起こらぬよう見張る予定東京都土木技術支援・人材育成センター 東京都江東区新砂1-9-15 TEL 03-5683-1530 (2017年11月24日、清水谷公園にて) 草分稲荷神社大神由来社は元、板倉主計頭邸内に祭られたが、明治維新後、武家屋敷が取りはらわれ町家と変り祠のみ残った。廃れゆく稲荷を惜しむ町内有志が蓄財出し合い保存と祭社の策を講じ昭和36年、佐久間公園東北隅に遷座された。現在も佐久間町3丁目町会を中心に連合町内会で祭りを行う。(御祭神 宇迦之御魂命)江戸開府400年 千代田区町名由来版 神田佐久間町三丁目江戸時代、この界隈には町人地と武家の屋敷地とが混在していた。「佐久間町」の由来は、佐久間平八という材木商が住んでいたことに由来するとされる。江戸は火事の多い町として知られ、特に享保年間(1716-1736)には、幾度となく大火に見舞われた。その度に町の一部に火除地や代地が設けられ南北に分断され、住民は移転を余儀なくされた。大正12年(1923)の関東大震災では、住民が一致団結して火事と闘った。30時間にも及ぶ命がけの消火活動のかいあり、佐久間町から和泉町にかけての一帯は奇跡的に延焼を免れた。この由来板が立つ佐久間公園は、ラジオ体操会発祥の地としても知られる。「国民保険体操のラジオ放送(後のラジオ体操)」開始間もなく、昭和5年(1930)に万世橋警察署巡査が地域住民を集め、全国に先がけこの公園で早起きラジオ体操会を始めた。これを記念し同公園に由来を記した碑が建立された。 神田佐久間町は、江戸時代から続く由緒ある町名である。長い歴史に培われた強い連帯感で結ばれた住民達は、力をあわせ町を守り抜いてきた。 佐久間町三丁目会 (2017年12月16日) ![]() 柳の井Yanagi (Willow Tree) Well東京都指定旧跡 1955(昭和30)年3月28日指定 桜田濠土手下にある井戸は傍らの柳の木にちなみ柳の井と名付けられた。江戸時代には旱魃時も枯れない名水とし知られ、多くの通行人が利用したと言われる。 道を挟む国会前庭(かつての加藤清正邸・井伊掃部頭邸)には、やはり名水として知られた桜の井がある。 |
新潟 |
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→ スキー場集中 湯沢地域南魚沼郡湯沢町-清津川上流の,北西-南東方向の地域に分布する新第三系は、津川地域ににて酸性火山岩を多く含む。茅原ほか(1981)は下位から松川・白坂・清津・上野層に区分した。全て整合に重なる。松川・白坂・清津層は城内層群に対比される(柳沢ほか 1985)。また、万太郎山-平標山の山稜にも、流紋岩・デイサイト質の火砕岩が石英閃緑岩中のルーフペンダントとして分布する(赤松ほか 1967)。松川層 変質した玄武岩からなり,黒色で硬質の泥岩・流紋岩質の凝灰岩を挟む。層厚450 m。 白坂層 下部が黒色で硬質の泥岩、上部が枕状溶岩を含む変質した玄武岩の溶岩からなる。層厚600 m以上。 清津層 デイサイト流紋岩質の凝灰岩・硬質の泥岩・砂岩と泥岩の互層からなる。泥岩中からニシン科・カサゴ科の魚化石が報告されている(堀川 1965)。層厚1,000 m以上。 上野層 下部が硬質の泥岩、上部がデイサイト質の軽石凝灰岩からなる。層厚960m。石英閃緑ひん岩によって貫入されている。 (吉村尚久・津川グリーンタフ団研究グループ) 北部フォッサマグナ地域新潟油田地域・頚城-小谷地域・水内地域・北部フォッサマグナ西縁部・河東山地・内村-諏訪地域に区分し述べる新潟油田地域 柏崎-銚子構造線と、新発田-小出構造線に挟まれる日本海側の地域。便宜上、新発田-小出構造線の西側の櫛形山脈・村上周v辺地域も含め述べる。主に泥質岩からなる中部 中新統が分布し、油田・ガス田多 頸城-小谷地域 姫川流域・小谷一笹ヶ峰地域・西頸城山地・関田山地・東頸城丘陵で、いわゆる難波山相と呼ぶ砂岩と泥岩のフリッシュ型互層からなる中部中新統が分布 水内地域 一部に鮮新統火山岩みられるが、主に中部中新-鮮新統礁岩・砂岩・泥岩が分布 北部フォッサマグナ西縁部 糸魚川-静岡構造線に沿った幅数 kmの地域で、大峰帯(小坂 1980)とその北方地域をあわせた地域。東側は小谷-中山断層で切られる。磯岩と安山岩-流紋岩質の火砕岩からなる鮮新-下部更新統が分布 河東山地・内村-諏訪地域 水内地域の南東側で、主に緑色に変質した安山岩・玄武岩質の火山岩類からなる下-中部中新統と、それを貫く第三紀花崗岩岩が分布 |
![]() 図3.4 新潟油田地域の地質図 (小林 原図) |
関西 | |
六甲山六甲山地: 断層多 生田川の自然ガイド六甲山をつくっている二つの花こう岩六甲山は、この2つの花崗岩でできている。全体に黒い鉱物の多い花崗岩は、布引花崗岩。白っぽい長石、ガラス様な石英、剥がれやすい黒雲母と鉛筆の芯のような黒い柱状の角閃石からなる。六甲花崗岩は角閃石が少なく、石英や長石、黒雲母の他にピンク色のカリ長石が多い。どちらも地下でマグマがゆっくり冷やされできた深成岩である。 (神戸市 中央森林公園)![]() ![]() 布引花崗閃緑岩_______________布引花崗岩 |
五本松かくれ滝 今日は流れていますか?
布引貯水池周辺の自然環境により親しめるため、布引五本松堰堤(ダム)が完成した当時にダムの放水路としてできた滝の愛称を募集し、平成19年6月に「五本松かくれ滝」を愛称に決定した。 滝周辺は、昔から「五本松」と呼ばれ、ダムがオーバーフローした時だけ流れる滝であることからのネーミングとなる。この滝は「放水路新道」、「浅見の滝(建設に携わった技師の名前)」と呼ばれることもある。 神戸市水道局 |
[氷河・周氷河地形]
分布の地域的特徴現成・完新世 → 大部分が山地森林限界以上 → 最終氷期 + それ以前 → 北海道-東北地方平地山地に欠ける理由
北海道現成・完新世周氷河現象、永久凍土は大雪山に集中(アイスウェッジポリゴン除く) ↔ 大雪山以外からの構造土報告少十勝平野・根釧原野の現成・完新世構造土 = 大部分アースハンモック、河川沿沖積地・低位段丘に分布(一部のみ表現) 十勝三股周辺・北見山地山中1000 m以下 = 地中氷(永久凍土の1種) 道東・道北 = 最終氷期とそれ以前の周氷河現象(大部分は凍結撹乱構造で、化石アイスウェッジは道東のみ, 宗谷岬以外はソイルウェッジ?)。ソイルウェッジは多所で発見。化石大規模多角形構造土?は十勝平野や根釧原野の空中写真判読で認められるが現地未確認 十勝平野: 大規模クリオターベーション ? ピンゴ化石(可能性) 道南: 凍結撹乱構造余り分布せず、羊蹄山周辺で多く発見 |
東北現成・完新世、最終氷期、より以前の周氷河現象は北上山地周辺集中人為的荒廃地に発生した条線土や、牧草地のアースハンモック 低地火山灰層中の凍結撹乱構造は報告少 奥羽山脈、月山、朝日・飯豊等の森林限界をぬく山頂部 → 現成・完新世構造土(断片的・小面積) → 新たな化石周氷河現象発見可能性高 関東・中部中部山岳森林限界以上は現在も完全な周氷河地域で現成・完新世構造土が広分布関東平野周辺山地から最終氷期形成?岩塊流発見 → 山地でさらに岩塊流発見可能性 → 全てが周氷河作用と関連するかは疑問 近畿以西現成・完新世構造土が紀伊山地から報告。大分県久住山・大船山に階状土とアースハンモックが化石構造土(階状土と岩塊斜面)が中国山地山頂部から報告され、さらに発見される可能性高いが、斜面岩塊が周氷河起源かは検討必要。中国山地東部や九州の標高1000 m前後の場所から、礫オリエンテーションから周氷河性と判断される堆積物が報告されるが、周氷河作用強度未詳 |