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(2021年7月17日更新) [ 日本語 | English ]

日本 (Japan)






有珠山 / サロベツ泥炭採掘跡
1986年, 2006年の有珠山火口原. ワタスゲ・エゾカンゾウ

索引
齢構成
戦前: 発展型
1950-70年代: 安定型

→ 少子化につれ急速に衰退型

65歳以上高齢者(%, 万人)

2013_2017_2020
25.9__27.7_ 28.7
3296_3515_3617

[歴史, 北海道, 世界] [ 日本の気候 ]

登山関連
  • : 移動性高気圧 + 低気圧が日本海に入ると南よりの風が吹き気温高くなる(最初の南風 = "春一番")

    気温↑ → 雪山では雪崩、増水注意

    寒い大陸性高気圧と暖かい大平洋高気圧共存(高山は真冬も共存) = 寒暖差大 → GW遭難
  • : 梅雨前線: 6月半ばになると日本付近停滞
    梅雨末期: 特に西日本は大雨、関東は雷発生。梅雨前線が太平洋高気圧で北に押し上げられ梅雨明け

    "梅雨明け10日"(諺): 梅雨明け後10日は優勢な太平洋高気圧のため最も安定した晴天となる

    この時期を過ぎると山は雷や台風に会いやすい
  • : 秋雨(秋雨前線) + 台風 → 過ぎると大陸性高気圧が寒気を吹き込み好天になるものの気温低下 – 紅葉
    春同様、寒暖差激しく2000 m以上では氷雨・雪も有りえ十分注意 + 日長短く行動時間もあまり取れない
  • : 冬山に関する知識と経験がなければ行動できない

[ バイオーム | 植生垂直分布 | 生物地理区 ]

植生 (vegetation)


一般性 (気候 climate)

降水量 precipitation
雨量が十分(> 1500 mm/year)で制限要因(limiting factor)とならず、森林限界以上の高所を除くと森林がどこでも成立可能 (北海道)
湿度 moisture
温度 temperature
温量指数

特殊性

気候的 (climatic)
日本海側 vs 太平洋側
日本の植生の背腹構造 (dorso-ventral structure)

直立型 ⇔ 匍匐型: 雪圧に対する植物の適応 → 同一種で分化

雪に埋もれた植物は雪に保護され低温障害弱 → 匍匐型植物発達

太平洋側____________日本海側
ヨシノスギ(オモテスギ)__アシウスギ(ウラスギ) → 伏條更新
ヤブツバキ__________ ユキツバキ
イヌガヤ____________ ハイイヌガヤ
直立型 (straight form)__匍匐型 (dwarf form)

地形的 topographic (≈ 土壌的 edaphic)
一般的土壌: 落葉広葉樹林 = pH中性化 ↔ 針葉樹林 = 酸性化
                                 降雨
Japan
白山-雨乞岳 (鈴木 1972)
白山 = オニグルミ林 ↔ 雨乞岳 = ススキ草原

→ 広く分布

オニグルミ林 = 水蓄積する所に成立
日本: 一時的に多量の雨が流入 inflow

→ assimilation = 水が表層に浸出

→ 水が山頂から途中での様々な土壌成分を持ち込む
= 山麓森林では土壌成分(K2O, NaO, NO3-等)移動顕著(CaO, MgO, NH4+等の移動も認められる)
→ 土壌アルカリに傾く
火山植生 volcanic vegetation
火山国日本の特色
日本列島: 地質時代から火山活動影響 → 火山影響少ない欧米植生研究では説きがたい面(飯泉 1986)

温量指数 (warmth index)


日本: 南北に長く位置し、標高も幅が広いため多様な植生が発達 (鈴木 1972)
温量指数分布(WI)と日本の植物分布帯
WI: 植生帯(気候帯) → 優占種(代表)
85 >: 照葉樹林(暖温帯) → ツバキ、クスノキ

100-140 → アコウ、ナギ、イヌマキ
85-100 → シイ、イチイガシ、アラカシ、タブ、モチノキ
≈ 85 → アカガシ、ヤブツバキ、ツクバネガシ、シラカシ、ウラジロガシ

45-85: 温帯落葉広葉樹林(ブナ林帯・冷温帯) → ブナ、イタヤ、ウラジロモミ

WI: 85-45, CI > -15: 本州の植物分布に合うが北海道の針葉樹林に合わない

15-45: 常緑針葉樹林(亜寒帯・亜高山帯) → シラベ、オオシラビソ、トドマツ、エゾマツ、トウヒ
15 <: 高山帯

Vegetation 日本の植生 (Vegetation in Japan) (山中 1990)
高山植生
亜高山 (冷帯針葉樹林
北方林 (針広混交林)
落葉広葉樹林
常緑広葉樹林
モミ・ツガ林

[ 垂直分布 | 日本の草原 ]

日本森林 (forests in Japan)


常緑針葉樹林 needle-leaved forest

積雪と樹形・分布: 多雪地帯は一般に幼時に下枝枯れ上がらず、やや下向きに枝を張るが、少雪分布型の樹種は普通に直立する形であり、積雪に対する生育型の違いがある

偽高山体

本州亜高山帯針葉樹林 ≈ アオモリトドマツ林: アオモリトドマツ、トウヒ、シラベ
北方針葉樹林: 比較的単純 → 平地まで降りる針葉樹林は道東部に限定

エゾマツ/トドマツ: もっとも大きな差は土壌水分条件
南西斜面 = 乾燥 – トドマツ、エゾマツ、ミズナラ、アサダ、ハリギリ
北東斜面 = 湿潤 – シナノキ、オヒョウ、イタヤカエデ

(汎)針広混交林
常緑針葉樹林と別な群集とみなす場合
倒木更新 the tree regeneration on fallen logs: 倒木上に選択的に再生する過程 - アカエゾ、エゾは倒木更新地にしか見られない (春木 1985)

蘚類型: 乾燥 ↔ シャクナゲ型: やや乾燥 ↔

ササ型: 湿潤 ↔ シダ型: 相当湿潤

Cf. 縞枯山 – 帯状更新

北半球に針葉樹林が発達した理由 (Eyre 1975)
  1. 葉は針葉で、その構造は乾燥に耐えうる。クチクラ層が発達し、気孔が多面にあるため蒸散を制限
  2. 常緑針葉 → 光合成は早くから可能
  3. 南半球 → 大陸塊がない

落葉広葉樹林(夏緑樹林) broad-leaved fores

水分少ない時期には落葉し蒸散抑える。は鱗片で保護される
(冷)温帯・山地帯極相として成立 WI = 85-45(or 55)
ブナ林・ミズナラ林(代表群落)
林床: 開葉後急激に相対照度数%まで落ちる (☛ 春植物多)

湿地林

ブナ林 beech forest
ブナ分布: 月平均気温10°C以上が4-6ヶ月続く

= 北海道南西部(黒松内低地帯以南西)-東北-九州 (☛ ブナ: 極相種)

ブナ林分布: 九州、四国にもブナは存在するがブナ林南限は関東

八甲田山ブナ林: 多雪で残雪が5月下旬まで残る
葉展開: 高木層の方が他層よりも10-20日程度早い
紅葉: 階層間に時期的な違いはない

  1. ブナ科植物とクスノキ科植物が混交
    ブナ的: ブナ、ミズナラ ↔ クスノキ的: ヤブニッケイ、タブ、シロダモ
  2. 積雪に助けられササ類優占
    タケ: 大型、熱帯原産 → ササ – 積雪に対する適応
  3. ブナ林の高木(低木)層にカエデが混じる
日本海側: ブナの葉面積大 - オオバブナ

ブナ-チシマザサ群集(ハウチワカエデ、ミネカエデ、ハイイヌガヤ、チシマザサ、ヒメアオキ、エゾユズリハ、ヒメモチ、タムシバ)

太平洋側: ブナの葉面積小 - コバブナ

ブナ-スズタケ群集(ナツツバキ、ウラジロモミ、ヒメシャラ、コハウチワカエデ、オオイタヤメイゲツ、コミネカエデ、タンナサワフタギ)

渡島半島: ブナ欠くブナ群落(ブナ林構成種)は、更に北へ分布域伸びる

ブナ、マルバマンサク、ヒメモチ、オオバクロモジ、トチノキ、サワグルミ(本州で極相)、ミズナラ・エゾイタヤ・シナノキ林: チシマザサ、クマイザサ、ハウチワカエデ、エゾイタヤ、オオカメノキ、シシガシラ、サワシバ、コシアブラ、ハリギリ、ミズナラ、シナノキ、ジュウモンジシダ、シラネワラビ

サワグルミ・トチノキ林: (日本海側)冷温帯渓谷沿 ⇔
シオジ・サワグルミ林: (太平洋側)

花粉分析
7-13万年前(チバニアン): 日本はヒメブナ Fagus microcarpa Miki優占

中期更新世以降 ブナと入れ替わる

12万年前: 幕別町忠類以北北限 (間氷期 → 氷期)
2万年前: 新潟県北限 (ベルム氷期)

1.2-00.9万年前: 再北上し本州北端に達する
6千年前: 函館でブナ花粉確認 → 3.4千年前: 八雲 → 1千年前 黒松内

Deciduous forest
ブナ北限(欠如)原因: カラマツ消滅とも関連?
  1. 山火事説 (本多 1900): 石狩低地帯まで定着したブナが山野火で消滅
    自然植生のブナ(萌芽再生能力弱, 時に0) → ミズナラ・コナラ人為植生
  2. 種子散布制限説 (田中 1900, 南部 1927)
    ベルム氷期以降の移動速度では、現在の北限までしか達っせない
  3. 噴火説(古畑 1932): 羊蹄山噴火 → ブナ移動阻害
    火山活動(火山灰効果、火山灰土壌) → 貧栄養土壌

    + → 萌芽性強い植物有利: ミズナラ、カシワ、コナラ、エゾイタヤ
    + → 貧栄養土壌に強い植物有利: 針葉樹

    Cf. カラマツ属消滅: 化石からはLarix gmelniiが出てくるが近世急に消滅
  4. 気候特性説 吉良 1976): ブナ欠如型群落は日本固有
  5. 降水量制限説(塚田 1982): ブナ = 相対的に高い降水必要 → ブナ成育期間に降水の少ないは黒松内で分布拡大が停滞
  6. ニッチ説(渡辺 1985): 競合により黒松内以北でブナ → ミズナラ
  7. 高温説(大森・柳町 1988): 夏高温により北進できない
  8. 北進途上説(南部 1927, 五十嵐 1994, 紀藤 2003): 最有力
    黒松内 - 花粉割合増加中 ⇒ 現在は黒松内で北進の途中
  9. 晩霜害説(林 1996): 霜害に弱 → 霜害地域(岩内・倶知安)進出不可

    開芽説(梶・北畠 1999): ブナ開芽時期早 → 霜遅地域 × 定着

  10. 群集構造説(北畠 2002): エゾヤチネズミ捕食圧高 × 更新低・分布停滞
  11. 複合環境説(八木橋 2003): 上記仮説を組み合あせて説明する試み
温帯針葉樹林 temperate coniferous forest: ブナ林に混じる

Ex. 本州・四国・九州: モミ・ツガ林
Ex. 東北: スギ林、ヒバ林

有用樹種 - 古くから伐採・植林が行われる

ミヤマナラ低木林: 冷温帯多雪地傾斜地

ヒメヤシャブシ・タニウツギ伴うこと多 (高い応力 = 折れにくい)

中間温帯林
落葉広葉樹林が常緑広葉樹林に推移するあたり - モミ・ツガを主体とする森林

≈ モミ林帯、モミ-ツガ林帯
宮城県・福島県および周辺にもこの推移帯があると言う人もいる

弥山原始林: 大正2年Englerが宮島訪れ弥山登山し、ヤマグルマ・マツブサ等、植物系統学上貴重な植物を見て大いに感激した。「できるならば一生ここに住んでここで死にたい」とまで弥山の植物を激賞したと伝わる。彼の強い薦めで、三好が天然記念物指定進言し、昭和4年国指定、昭和32年特別保護区となる。面積158.7 haに及び弥山北斜面を占める。ツガ林アカガシ・ウラジロガシ・ツクバネガシ等を伴うアカマツ林から構成され西南日本の暖帯-中間帯を代表する森林で、瀬戸内海の島に残る極相林とし貴重な存在である。(2014-03-16)

照葉樹林帯 laurel forest

= 常緑広葉樹林帯 (日本の照葉樹林帯は二次遷移林が殆ど)
温帯林: 暖温帯多雨地方 → 標高下からシイ帯-カシ帯(モミ帯)-ツガ帯

ブナ科: シイ類 (スダジイ・コジイ), カシ類 (アラカシ・シラカシ・ツクバネガシ・アカガシ・ウラジロガシ)
クスノキ科: クスノキ・タブ(沿岸)・ヤブニッケイ
ツバキ科: ヤブツバキ
マンサク科: イスノキ
クチクラ層発達し、強光に耐える。芽は鱗片で保護される

シイ林 evergreen oak forest, or Shii forest
琉球-太平洋側福島県南部/日本海側佐渡島
海岸沿い尾根部や南向きの斜面等に成立 → タブ林より乾いた環境に多

分布: 九州以北
暖温帯性シイ林
混生種: ヤブコウジ、テイカカズラ、ベニシダ、アラカシ、キヅタ等

↑↓ 鹿児島県大隅海峡 ↑↓

分布: 屋久島、種子島、琉球列島
亜熱帯性シイ林
混生種: リュウキュウアオキ、シシアクチ、オオシイバモチ、アデク等

タブ(タブノキ)林 evergreen oak forest, or Tabu forest
太平洋側岩手県中部/日本海側青森県-琉球列島
海岸沿い低地や谷間等は土壌深く、やや湿る場所に多(川沿いでは内陸部までみられることもある)

イノデ-タブノキ群集(代表群集): イノデ、ヤブソテツ、マルバグミ、ケヤキ等により特徴づけられる

カシ林: シイと混生(シイより分布域広い) → シイ欠落 = カシ林成立

斗蔵山(宮城南部): ウラジロガシ林北限地域勢 = ウラジロガシ・落葉広葉樹混交林

ウバメガシ林: 急斜面や風衝地

亜熱帯降雨林 subtropical rain forest

ビロウ、ヘゴ、アコウ、ソテツ: 葉は大形で薄いものが多い。芽の保護は少ない

公園 (park)


[自然公園法, 景観計画, 日本史]

自然公園 (natural park)


水源涵養保安林 (2013/06/25)

雌阿寒オンネトー自然休養林

この自然休養林は、日本でも稀にみる自然美に恵まれる。雌阿寒岳(活火山・標高1499 m)・阿寒富士(休火山・標高1476 m)の雄姿、その山麓に広がるアカエゾマツを主体とする森林、秘境といわれるオンネトー(周囲4 km)の佇まい。この調和のとれた自然美を心行くまで寛いで欲しい。(林野庁)

2013/10/21

ようこそ 高尾山国有林へ

高尾山自然休養林

林野庁関東森林管理局は高尾山国有林(452 ha)を自然休養林に指定し保健休養の場として利用 (林野庁 関東森林管理局)
高尾山の動植物 (環境庁)
ホタルブクロ: 山野に生え、主に地下茎繁殖。初夏に茎先端から咲き始め、赤紫色の釣鐘形の花をつける。花中に蛍を入れる遊びから名がついたという。
ムラサキシキブ: 初夏に淡紫色の花を多数つける。果実は紫色に熟し、紫式部に譬え和名つく。
カシワ: ドングリは細長い鱗片つく殻斗に包まれる。材はウイスキー樽に、葉は餅を包みかしわ餅とする。冬に葉が枯れてもなかなか落ちず木に残る。
ヤマユリ: 夏に香りの強い大きな花が咲く。花は白色地に斑点と黄色い線がある。山野の傾斜地や草叢に自生する。鱗茎は百合根と呼び古くから食用。
オオバギボウシ: 山地等のやや湿った草地に生える大型草本。古くから観賞用に植えられ園芸品種も多い。若い葉柄や葉身はウルイと呼び食用にする。
マユミ: 熟した淡紅色の実が、晩秋に割れ橙赤色の仮種皮に包まれた種子をつりさげる。材は緻密で将棋の駒やこけしにする。
イロハモミジ: 葉が5-7に裂け「いろはにほへと」と数えらえることから名づく。紅葉の名所である京都高雄山の名をとり、タカオカエデの別名もある。

[ 昆虫 | 鳥類 | 哺乳類 ]


2015-01-15

井の頭公園

Inokashira Park
2015年1月14日 御殿山

お茶ノ水 Ocha-no-mizu: 由来: 徳川家康が井の頭池西端のこの湧水をくみ関東随一の名水と誉め茶を入れた(現在は地下水をポンプ汲上げ)
御殿山 Gotenyama: 由来: 徳川家光が鷹狩で宿所設け休憩。シデ、コナラ、クヌギ等の雑木林
井の頭池 Inokashira Pond: 神田川の水源 → 江戸時代は神田上水とし江戸の人々の飲水。かつて湧水口7箇所あり七井の池とも呼ぶ。池中央の七井橋はこれに由来
サクラ Cherry blossoms: 園内にソメイヨシノ・ヤマザクラ等約500本の桜。池周囲に約250本のソメイヨシノ → 池の水に映える満開のサクラや花吹雪

大井埠頭 干潟保全地区

  • 干潟保全地区: 運河に面した所にあり、ゴカイ・貝・カニ・魚・藻類がみられ、これを餌とする水鳥の姿を観察小屋から真近にみられる。
  • 野帳観察小屋の利用
    平日: 団体のみ (事前に公園管理事務所に申込)
    日・祝日: 一般のみ 4-9月 9:00-17:00. 10-3月 9:00-16:30 (天候等で閉園あり)
  • 12月29日から1月3日までは休園
干潟保全地区で見られる動植物

ユリカモメ カワウ カルガモ コサギ / タマキビガイ / タテジマフジツボ コメツキガニ / マハゼ ボラ

禁止事項: つり禁止 採集をしない事 ペットを連れて入らない事
せせらぎの森で見られる虫と花

キタテハ: 成虫越冬 = 一年中見られる。幼虫はカナムグラの葉を食べ、成虫はこの森ではセイタカアワダチソウの花によく集まる。体長約60 mm

トノサマバッタ: 6-10月。飛翔力強く、大発生し農作物に被害を与えることもある。この森では、緑色系より褐色系が多。体長48-65 mm

アオモンイトトンボ: 海に近い池沼に住み、この森には多い。長時間♂♀連結するが、卵は草の組織内に単独で産み付ける。体長約32 mm

ツバメシジミ (シジミチョウ科): この森では最も数が多いシジミチョウの仲間で、3-10月。幼虫はマメ科草類の蕾や花、新芽等を食べる。体調約25 mm

ギョリュウ (ギョリュウ科): 中国原産で、この森には東海埋立地のものを移植した。5月頃と9月頃の2回花が咲くが、5月の花は実結ばない。樹高 3-5 m

お願い: 1. 火気使用不可。2. 昆虫・植物をとらない。


秋葉原練塀公園 公園名の由来
平成27年に新設した台東区50番目の公園であり、過去と現在を繋ぐ意味を込め、現町名の「秋葉原」と旧町名の「練塀町」を合わせた名称とした。
練塀: 土と瓦で築き、上を瓦で覆った塀のことで、江戸時代、練塀で囲まれた屋敷があり、このあたりを練塀小路と呼ばれていた事に因む
秋葉原: 明治始め、大火が発生し、この辺り一帯の土地を火除地とした後、その中心に「鎮火社」を創建したところ、人々が日除けの神様である秋葉権現を祀る秋葉神社と呼び、この鎮火神社がある界隈が「秋葉の原」「秋葉が原」「秋葉っ原」等と呼ばれたことに因む説がある。昭和39(1964)年に住居表示制度で台東区練塀町全域が松永町と共に現町名の秋葉原となった

2015/03/20

城山自然遊歩道

照国神社横の探勝園と、岩崎谷の薩摩義士碑の2ヵ所の入口から遊歩道に入り、自然観賞しつつ展望台に至る約2 kmのコース。城山は、昭和6年、国文化財とし史跡・天然記念物指定され、樹齢約400年のクス大木をはじめ、常緑広葉樹やシダ類が繁茂し、亜熱帯植物等600種程度あり、市街地にあって南九州特有の林相保ち、多くの野鳥や昆虫が生息する自然の宝庫

所在地: 城山町  コース全長: 約2 km  開設年月日: 昭和47年12月16日
所用時間: 約30分

♣ 見所等: 鶴丸城跡・西郷隆盛銅像・照国神社・探勝園・薩摩藩士碑・夏陰城跡・西郷隆盛洞窟・西郷隆盛終焉の地・私学校跡・市街地展望
♠ 難易度レベル ♠♠♤♤♤
自然遊歩道を利用する皆さんへ

•歩行中禁煙。 • 動植物を傷つけない。 •史跡、歩道施設、標識等を大切に。 •歩道以外の土地に入らない。 •紙屑、空缶等は必ず持ち帰る

城山
鹿児島市街地にせり出した高さ107 mの丘。姶良カルデラ外輪山の一部とされ、殆どがシラスからなる。桜島を真正面に、晴れた日は南に開聞岳、北に霧島連山が聳え、鹿児島市街地、錦江湾を一望する雄大な眺めは、鹿児島第一の展望と称えられる。城山といえば西郷さん -と言われるほど西南戦争激戦地の印象強い。明治維新の英雄・西郷隆盛をはじめ桐野利秋、別府晋介ら多くの薩軍将兵が壮烈な最後を遂げた1877(明治10)年の出来事は、歴史の一齣として語りつがれる。歴史を辿ると、中世南北朝時代に上山氏がこの山に城を築き、島津氏治世となっても城山とし守備にあたったことが、ドン広場の土塁や空壕跡から伺える。城山のもう一つの魅力は、全山を覆う珍しい植物群がある。この展望台に至る遊歩道は、照国神社と岩崎谷の2つの入口から、国天然記念物に指定された自然の森へ分け入る。樹齢400年にもなる巨大な楠の群落、シロヤマシダ、シロヤマゼンマイと城山の名を冠した暖地性シダや亜熱帯植物等約500種もの植物が生い茂り、多くのの野鳥や珍しい昆虫も生息する。
自然遊歩道 遊歩道に沿い照葉樹林の姿と、珍しい植物や昆虫と出会える。城山で最初に発見された暖地性シダ = シロヤマシダや生きた化石 = キムラグモ。約500種もの植物が繁茂する自然の宝庫である。
西郷隆盛終焉の地 史跡では南北朝時代に上山氏築城の山城跡や水を漏らさない城山層を利用した藩政時代の水道遺跡の他、西郷隆盛洞窟、西郷隆盛終焉の地碑がある。

庭園 (gardens)


特別名勝・特別史跡 東京都立 離宮恩賜庭園

Hama アシ生い繁る将軍家鷹狩の場だが、承応年間(1950年代)に甲府宰相松平綱重別邸となり庭園とし造成され、甲府殿浜屋敷又は海手屋敷と呼ばれた。後、綱重の子綱豊(= 家宣)が名を浜御殿とし大改修を行い景観を整えた。園内に茶屋・鴨場を設ける等し将軍家の行楽や接待の場とし、江戸城出城の役目をもった。明治維新後宮内省所管となり、浜離宮と改め、迎賓・謁見の場とし利用され、皇室観桜会もしばしば催された。昭和20年に東京都に下賜され翌年より一般公開する。本園は、池泉に海水を導き、潮の干満により庭趣に変化をもたせた潮入りの回遊式築山泉水庭で、関東大震災や太平洋戦争により建物や樹木を焼失したが、お伝い橋のかかる潮入りの池や鴨場等に往時の面影を残し、江戸時代に発達した大名庭園を代表する文化財である。

開園 昭和21年4月1日  面積 250,165 m²
○ 休園日 年末年始 (12月29日から翌年1月1日) ○ 注意 入場料払戻・入場券再発行は原則行わない。  浜離宮恩賜庭園 ☎ 03 (3541) 0200
[ クネンボ(九年母) ]

特別名勝及び特別史跡「旧浜離宮庭園」と汐留第二ポンプ所
一 特別名勝及び特別史跡「旧浜離宮庭園」
附近は江戸時代初めまでヨシ茂る海辺であった。汐留第二ポンプ所に汐留川を挟み隣接する都立浜離宮恩賜庭園地区は江戸時代初めに埋立てられ、寛文九(1669)年、甲府宰相松平綱重の浜屋敷庭園とし完成した。綱豊(=家宣)の代になると、庭園は将軍家別邸となり幕末まで続く。明治時代に庭園は皇室離宮となり、昭和20年11月東京都に下賜された。庭園は、江戸時代大名庭園の特徴である広々とした「池泉廻遊式」庭園であり、また、立地を利用し海水を引入れ、その干満差による景観変化を楽しめる「汐入り庭園」である。東京に唯一残る「汐入り庭園」となる。石垣で築く外周部、周囲を取り囲む水面で構成された景観を後世に保存するため、昭和23年12月、「旧浜離宮庭園」とし国の名勝及び史跡に指定され、同27年11月に国の特別名勝及び特別史跡に指定された。指定区域は庭園本体と周囲水面からなり、その範囲は周囲の石垣の法尻から、海上に向かって五十間(約90 m余)、その他の三面は、同じく石垣の法尻から河川に向かって10間(約18 m余)が定められる。
二 汐留第二ポンプ所
ポンプ所は、都市化進展に伴う下水量増大対処に、昭和57年7月から平成12年3月まで18年を費やし建設された。本ポンプ所の機能は、港・中央・千代田・新宿4区の一部地域から集められた下水を「芝浦水処理場」に送るとともに、降雨時には、従来、旧浜離宮庭園に隣接する汐留川に排水されていた雨水を東京湾に排水することである。このポンプ所完成により、庭園周囲の水面浄化に貢献している。ポンプ所建設では、隣接する旧浜離宮庭園(文化財庭園)の保存意義を尊重し、指定区域を避けた汐留川の埋立てによる用地確保や、外観意匠等に配慮した建物としたほか、施工時は、庭園への影響が生じないよう、低騒音、低振動工法を採用する等の配慮を行った。

平成12年3月 東京都下水道局 東京都建設局公園緑地部


旧芝離宮恩賜庭園

The imperial gardens in the former lawn (Shiba) detached palace
pillar 石柱: この石柱は、小田原北条家に仕えた戦国武将旧邸から運ばれた門柱である。ここが小田原藩(大久保家)上屋敷であった当初、茶室に使われたという。
pillar 海水取入口跡 「潮入りの池」に海水を取り入れるため設けた水路である。水路石垣や鋼鉄製水門の遺構が見られが、現在は海とのつながりを絶たれ淡水池となる。
pillar 中島 この島の石組みは、仙人が住み不老不死の地といわれる中国思想上の霊山である蓬莱山を表す。
shiba 西湖の堤 中国の浙江省杭州市に西湖という風光明媚な湖があり、この湖に北宋時代の詩人蘇東坡が築いた長堤を西湖堤と言う。この堤は西湖堤を模して造られた。当園のほか、小石川後楽園、広島の縮景園等にも見られる。(2015年5月29日)

史跡 湯島聖堂 YUSHIMA SEIDO

孔子廟、神農廟と昌平坂学問所

Shrine of confucius, shrine of Shinno and the site of Shoheizaka College
• 所在地 東京都文京区湯島1丁目4番25号 (敷地面積 13,915 m²)
• 国史跡指定 大正11(1922)年3月8日
• 所管 国有財産 文化庁・東京都教育委員会・文京区教育委員会
• 管理者 公益財団法人 斯文会しぶんかい
■ 湯島聖堂と孔子 孔子は、2500年前、中国魯の昌平郷(現山東省濟市曲阜)生まれ、「儒教」は東洋の人々に影響を与えた。儒学に傾倒した徳川5代将軍綱吉は、元禄3(1690)年に「湯島聖堂」創建、孔子祀る「大成殿」や学舎を建て、自ら『論語』講釈を行う等、学問を奨励した。
■ 昌平坂学問所跡 寛政9年(1797)幕府は学舎敷地を拡げ、建物改築し、孔子出生地名をとり「昌平坂学問所」(昌坂黌とも)を開いた。学問所は、明治維新(1868年)に至るまで70年間、官立大学とし文教センターの役割を果たした。学問所教官には、柴野栗山、岡田寒泉、尾藤二洲、古賀精里、佐藤一齋、安積艮齋、鹽谷宕陰、安井息軒、芳野金陵らがおり、佐藤一齋、安積艮齋らはこの地が終焉の地となる。
■ 近代教育発祥の地 明治維新に聖堂は新政府所管となり、明治4(1871)年に文部省が置かれ、国立博物館(現東京国立博物館・国立科学博物館)、師範学校(筑波大学)、女子師範学校(お茶の水女子大学)、初の図書館「書籍館しょじゃくかん」(現国立国会図書館)等も置かれた。
■ 現在の湯島聖堂 聖堂は、4回江戸大火に遭い、その都度再建するが、大正12年(1923)関東大震災で焼失した。その後「假聖堂」営み、昭和10年(1935)鉄筋コンクリート造で寛政の旧に依って再建され今日に至る。入徳門は宝永元年(1704)建築物がそのまま残る。

Yushima トイレ 東京医科
歯科大学

昌平坂
学問所跡
丸の内線
御茶ノ水
西門 聖橋門 聖橋 JR千代田線
御茶ノ水
文京区
御茶ノ水公園
神農廟 明神門 トイレ 昌平坂 西廡
(西回廊)
大成殿 前庭 東廡
(東回廊)
水屋 入徳門 楷樹 休憩所 孔子銅像 講堂 斯文会館 事務局
売店
玄関 仲高門

正門・聖橋門・西門は毎日開門 (公開時間 午前9時30分-午後5時(冬は短縮)。大成殿の内部公開は、土・日・祝日
湯島聖堂

説 明 (元は旧字, 漢数字)

寛永9年(1632)、尾張藩主徳川義直林道春(羅山)をして、上野忍ヶ丘に先聖殿を造営せしめに始まる。その回祿(火災)の災に罹るや、元禄3年(1690)、将軍綱吉之を今の地に移して、大成殿と稱せり。後、寛政11年(1799)大成殿及び杏壇・入徳・仰高諸門を再建し、明治維新の際、大學を此地に置くに及び、一旦孔子以下の諸像を撤去せしも、後、舊に復せり。
建造物は暫らく東京博物館の一部に充てたりしが、大正12年(1923)9月1日、関東大震災の為、入徳門・水屋等を除くの外、悉く焼亡せしを昭和10年(1935)4月4日鐵筋混凝立構造に依りて原型に復せり。(昭和11年3月 文部省)

特別史跡 特別名勝

小石川後楽園

Koishikawa Korakuen Gardens

Korakuen

Pine
一つ松 (2016.11.18)

一つ松 近江琵琶湖を模した大泉水に対し、琵琶湖唐崎の一つ松に因む
水戸光圀所縁の得仁堂と木造「伯夷叔齊」 小石川後楽園造営した徳川光圀は、得仁堂創設し、泰伯・伯夷・叔齊像を安置した。光圀が堂を造り三像祀るには、その徳を慕い、手本とした思いが示される。三像のうち、伯夷・叔齊像は現存する。「伯夷・叔齊」は、中国古代・殷代の小国の王子兄弟の名前。二人は、跡継ぎを譲り合い、共に国を去ったという。国民は、「聖の清なるもの」と誉め称えた。兄弟は善政を行っていると評判の文王を慕い周へ行くが、時の王は亡くなり、子の武王が継いでいた。武王が父葬儀も済まぬうちに殷君主征伐を計画することを知り、父子道、君臣道に背くと諌めたが聞き入れられなかった。二人は、「周に仕え俸禄を受けるのは恥」と山に籠り、蕨で命をつなぐが餓死したという。

Mito
得仁堂 (2016.11.18)

光圀は、6歳の時に兄をさしおき世継と定められ、苦しみ続けた自らの身の上と重ね、18歳で「伯夷・叔齊」物語を読み感銘を受けた。光圀は「仁を行い得た人たち」を祀る得仁堂を建立し、伯夷・叔齊の木造を納め参詣したと言う。
得仁堂: 光圀が建てた園内最古の建物で、光圀が感銘を受けた「伯夷叔斉」の木造を安置した。堂名は論語の「仁を求めて仁を得たり」から
八卦堂跡: 光圀七歳の時、将軍家光に謁見し「文昌星」像を頂戴した。後に光圀は文学を好み、文昌星を思い起こし八卦堂を造りその像を安置したという。堂は大正関東大震災で焼失した
小町塚: 塚石産地が常陸小野で、光圀が戯れて小町塚と呼んだといわれる
藤田東湖先生遺跡
木曽山: もとは古木が空を覆って昼なお暗く、渓流に沿った様子が木曽路を偲ばせる。またシュロが多くあったことから棕櫚山ともいう

(2016年11月18日)


大阪城公園 (Osaka Castle Park)

市正いちのかみ曲輪くるわ Ichi-no-kami-kuruwa Bailey
現大阪城梅林には、豊臣秀頼後見人の片桐東市正且元ひがしいちのかみかつもとの屋敷があったと伝えられ「市正曲輪」と呼ぶ。江戸時代には、大阪城守衛の役職のうち、青屋口加番・中小屋加番・雁木坂加番の小屋(公舎)が北から順に置かれた。
大阪砲兵工廠跡(御蔵曲輪跡) Remains of the Osaka Army Arsenal
大阪砲兵工廠跡は大砲生産を中心とした近代日本最大級の軍事工場で、明治3(1870)年、この付近に設置された造兵司を発祥とする。民需品も手がけ大阪における近代工業化推進役を担い、敷地はここを中心に現在の大阪ビジネスパーク一帯、森ノ宮方面、さらに大阪環状線の東まで広がった。昭和20(1945)年の空襲で壊滅し、残った元本館建物は大阪市により昭和56年に撤去され、跡地に大阪城ホールが建てられた。江戸時代、付近一帯は「御蔵曲輪」と呼ばれ、年貢米等を備蓄する幕府の蔵が立ち並んでいた。
石山本願寺と大阪(大坂)
明応5(1496)年、本願寺第8代宗主蓮如は摂津国東成郡生玉庄内の大坂に坊舎を築いた。地名「大坂」が初めて現れるのは、明応7(1948)年11月21日付の蓮如の『御文(御文章)』とされる。この坊舎を中心に周囲に土居と堀を巡らせた「六町の構」と言われた寺内町が形成された。天文元(1532)年に山科本願寺が炎上すると、本願寺はこの地に移され、本願寺教団の中心となった。
大坂(石山)本願寺の寺内村では、御影堂・阿弥陀堂を中心に、6町2000軒におよぶ町屋が立ち並んでいた。多くの職人や商人が生活しており、当時の堺と並ぶ豊かな都市生活が繰り広げられていた。やがて本願寺は織田信長と対立し、元亀元(1570)年から11年間に及ぶいわゆる石山合戦の後、大坂を退去し、鷺森、貝塚、天満を経て、天正19(1591)年に京都へ移転した。
一方、秀吉は大坂(石山)本願寺と寺内町の跡に大坂城を建設した。この大坂城は大坂夏の陣で炎上したが、江戸幕府によって再建される。大坂(石山)本願寺遺構は未確認である。しかし、大坂城公園の辺りがその遺跡と推定され、現在の商業都市大阪の礎となったといわれる。(大阪市教育委員会)

地理 (Geography)


代表的区分であり、これが絶対ではない

地域

北海道 Hokkaido
東北
北東北 (青森・岩手・秋田)
南東北 (宮城・山形・福島)
関東
北関東 (茨城・栃木・群馬) 南関東 (埼玉・千葉・東京・神奈川)

(かなりな不統一)

中部
甲信越 (山梨・長野・新潟)
北陸 (富山・石川・福井)
東海 (静岡・愛知・岐阜・三重)
近畿
滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山
中国
山陰 (鳥取・島根)
山陽 (岡山・広島・山口)
四国
北四国 (香川・愛媛 南四国 (徳島・高知)
九州
北九州 (福岡・佐賀・長崎・熊本・大分)
南九州 (宮崎・鹿児島)
琉球 (沖縄)
フォッサマグナ (L. 大きな裂け目): 日本列島二分する大地溝帯
Ranges

山地

奥羽山脈: 延長500 km + 火山帯 + 平野・盆地
日本アルプス = 飛騨山脈 + 木曾山脈 + 明石山脈

飛騨山脈(北アルプス): 剣岳・穂高岳・乗鞍岳 > 3000 m
木曾山脈(中央アルプス): 駒ヶ岳
明石山脈(南アルプス): 北岳・明石岳・塩見岳

紀伊山地: 最高峰 = 八剣山(1915 m)。太平洋岸式気候 → 林業(私有地化)
西日本: 東西に山脈が連なるが、東日本ほど険しくない
中国山地: 牧畜

四国山地・九州山地: 林業

九州山地: 活発な火山活動

平野

北海道
根釧台地: 火山灰・泥炭 + 夏霧 → 農業不適

1955 パイロットファーム(失敗)

東北
八郎潟: 干拓前は221.7 km²の湖

1967 入植開始 → 減反(転作・休耕)

海岸

総延長 > 3万 km
リアス海岸: 陸地が海に沈降し形成された,入組んだ海岸

Ex. 陸海岸南部、若狭湾沿岸

砂浜海岸: 海流・季節風等で砂が運搬され形成された発達した海岸 - 一般に海岸線単調

Ex. 九十九里浜、鳥取砂丘

サンゴ礁海岸: サンゴ礁で囲まれた海岸 - 熱帯・亜熱帯に形成

琉球諸島、小笠原諸島

Ranges

関東


Kanto
池袋の地名由来 元池袋史跡公園
昔、多く池があり、池袋の地名は、その池から起こったとも伝えられる。池は清らかな水が湧き、溢れ川となった。この流れは何時の頃から弦巻川と呼ばれ、雑司が谷村の用水とし利用された。池は次第に埋まり、水も涸れ今はその形を留めていない。ここは、昔を偲ぶ縁として池を復元した。東京都豊島区教育委員会 石碑寄贈 東京池袋ライオンズクラブ
恒久の平和を願って - 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑 -
Ikebukuro 昭和20年4月13日深夜から翌14日未明に東京西北部一帯を襲った空襲は、豊島区の大半を焦土と化し、甚大な被害と深い悲しみをもたらした。死者778人、負傷者2,523人、焼失家屋34,000戸にのぼる被害により罹災者の数は161,661人と、当時の人口の約7割に及んだ。この空襲による多くの犠牲者が当時「根津山」と呼ばれた、南池袋公園一角に埋葬された。先の戦争を通じ空襲の犠牲者となった豊島区民の冥福を祈るとともに、悲惨な事実を後世に伝え、二度と戦争による悲劇を繰り返さぬよう、碑は建立された。(平成7年8月 豊島区)
根津山の防空壕 1945年4月13日の空襲で、南池袋公園に隣接する、当時根津山と云った林中に造られた巨大な防空壕に避難者が殺到した。

清水谷

紀尾井町を南北に貫く公園前の通り、中でも、公園を出て右に曲がった交差点辺りは江戸時代から「清水谷」と呼ばれた。尾張屋板切絵図にも「シミズタニ」と記される。それは、周囲から清水が湧き出し、通行人に喜ばれたためという。清水谷公園改修に際し、公園名にちなみ湧水を復元した。平成十四年三月 建替

千代田区教育委員会 (2017年11月24日)

地盤沈下と地下水位を調査中

•地面の下には地下水がある •汲みすぎると地盤沈下が起こる
観測の仕組み

観測井戸____水位計 - うき - 沈下計____表層 - 粘土層 - 地下水位

地盤沈下は多量の地下水を汲み上げるため起こる。今は地下水汲み上げ制限を行い、地盤沈下少ない。今後、地盤沈下起こらぬよう見張る予定
東京都土木技術支援・人材育成センター 東京都江東区新砂1-9-15 TEL 03-5683-1530

(2017年11月24日、清水谷公園にて)


草分稲荷神社大神由来

社は元、板倉主計頭邸内に祭られたが、明治維新後、武家屋敷が取りはらわれ町家と変り祠のみ残った。廃れゆく稲荷を惜しむ町内有志が蓄財出し合い保存と祭社の策を講じ昭和36年、佐久間公園東北隅に遷座された。現在も佐久間町3丁目町会を中心に連合町内会で祭りを行う。(御祭神 宇迦之御魂命)
江戸開府400年 千代田区町名由来版 神田佐久間町三丁目
江戸時代、この界隈には町人地と武家の屋敷地とが混在していた。「佐久間町」の由来は、佐久間平八という材木商が住んでいたことに由来するとされる。江戸は火事の多い町として知られ、特に享保年間(1716-1736)には、幾度となく大火に見舞われた。その度に町の一部に火除地や代地が設けられ南北に分断され、住民は移転を余儀なくされた。大正12年(1923)の関東大震災では、住民が一致団結して火事と闘った。30時間にも及ぶ命がけの消火活動のかいあり、佐久間町から和泉町にかけての一帯は奇跡的に延焼を免れた。
この由来板が立つ佐久間公園は、ラジオ体操会発祥の地としても知られる。「国民保険体操のラジオ放送(後のラジオ体操)」開始間もなく、昭和5年(1930)に万世橋警察署巡査が地域住民を集め、全国に先がけこの公園で早起きラジオ体操会を始めた。これを記念し同公園に由来を記した碑が建立された。
神田佐久間町は、江戸時代から続く由緒ある町名である。長い歴史に培われた強い連帯感で結ばれた住民達は、力をあわせ町を守り抜いてきた。

佐久間町三丁目会 (2017年12月16日)


well

の井

Yanagi (Willow Tree) Well
東京都指定旧跡 1955(昭和30)年3月28日指定
桜田濠土手下にある井戸は傍らの柳の木にちなみ柳の井と名付けられた。江戸時代には旱魃時も枯れない名水とし知られ、多くの通行人が利用したと言われる。
道を挟む国会前庭(かつての加藤清正邸・井伊掃部頭邸)には、やはり名水として知られた桜の井がある。

新潟


スキー場集中

湯沢地域

南魚沼郡湯沢町-清津川上流の,北西-南東方向の地域に分布する新第三系は、津川地域ににて酸性火山岩を多く含む。茅原ほか(1981)は下位から松川・白坂・清津・上野層に区分した。全て整合に重なる。松川・白坂・清津層は城内層群に対比される(柳沢ほか 1985)。また、万太郎山-平標山の山稜にも、流紋岩・デイサイト質の火砕岩が石英閃緑岩中のルーフペンダントとして分布する(赤松ほか 1967)。
松川層 変質した玄武岩からなり,黒色で硬質の泥岩・流紋岩質の凝灰岩を挟む。層厚450 m。
白坂層 下部が黒色で硬質の泥岩、上部が枕状溶岩を含む変質した玄武岩の溶岩からなる。層厚600 m以上。
清津層 デイサイト流紋岩質の凝灰岩・硬質の泥岩・砂岩と泥岩の互層からなる。泥岩中からニシン科・カサゴ科の魚化石が報告されている(堀川 1965)。層厚1,000 m以上。
上野層 下部が硬質の泥岩、上部がデイサイト質の軽石凝灰岩からなる。層厚960m。石英閃緑ひん岩によって貫入されている。

(吉村尚久・津川グリーンタフ団研究グループ)

北部フォッサマグナ地域

新潟油田地域・頚城-小谷地域・水内地域・北部フォッサマグナ西縁部・河東山地・内村-諏訪地域に区分し述べる
新潟油田地域 柏崎-銚子構造線と、新発田-小出構造線に挟まれる日本海側の地域。便宜上、新発田-小出構造線の西側の櫛形山脈・村上周v辺地域も含め述べる。主に泥質岩からなる中部 中新統が分布し、油田・ガス田多
頸城-小谷地域 姫川流域・小谷一笹ヶ峰地域・西頸城山地・関田山地・東頸城丘陵で、いわゆる難波山相と呼ぶ砂岩と泥岩のフリッシュ型互層からなる中部中新統が分布
水内地域 主に中部中新-鮮新統礁岩・砂岩・泥岩分布、一部鮮新統火山岩
北部フォッサマグナ西縁部 糸魚川-静岡構造線に沿った幅数 kmの地域で、大峰帯(小坂 1980)とその北方地域をあわせた地域。東側は小谷-中山断層で切られる。磯岩と安山岩-流紋岩質の火砕岩からなる鮮新-下部更新統が分布
河東山地・内村-諏訪地域 水内地域南東側で、主に緑色変質した安山岩・玄武岩質火山岩類からなる下-中部中新統と、それを貫く第三紀花崗岩岩分布
geology
図3.4 新潟油田地域の地質図 (小林 原図)

関西

六甲山地: 断層多 生田川の自然ガイド

六甲山

六甲山をつくっている二つの花崗岩
六甲山は、この2つの花崗岩でできている。全体に黒い鉱物の多い花崗岩は、布引花崗岩。白っぽい長石、ガラス様な石英、剥がれやすい黒雲母と鉛筆の芯のような黒い柱状の角閃石からなる。六甲花崗岩は角閃石が少なく、石英や長石、黒雲母の他にピンク色のカリ長石が多い。どちらも地下でマグマがゆっくり冷やされできた深成岩である。 (神戸市 中央森林公園)
granite granite
布引花崗閃緑岩_______________布引花崗岩
五本松かくれ滝 今日は流れていますか?


2019年3月16日

平成18年7月5日に、布引水源地の水道施設が国の重要文化財の指定を受けた。
布引貯水池周辺の自然環境により親しめるため、布引五本松堰堤(ダム)が完成した当時にダムの放水路としてできた滝の愛称を募集し、平成19年6月に「五本松かくれ滝」を愛称に決定した。
滝周辺は、昔から「五本松」と呼ばれ、ダムがオーバーフローした時だけ流れる滝であることからのネーミングとなる。この滝は「放水路新道」、「浅見の滝(建設に携わった技師の名前)」と呼ばれることもある。

神戸市水道局

[氷河・周氷河地形]

日本の氷河・周氷河地形


分布の地域的特徴

現成・完新世 → 大部分が山地森林限界以上 → 最終氷期 + それ以前 → 北海道-東北地方平地
山地に欠ける理由
  1. 氷河・急傾斜で形成しない
  2. 後侵食で消失
  3. 森林被覆・露頭なく未発見
北海道
現成・完新世周氷河現象、永久凍土は大雪山に集中(アイスウェッジポリゴン除く) ↔ 大雪山以外からの構造土報告少
十勝平野・根釧原野の現成・完新世構造土 = 大部分アースハンモック、河川沿沖積地・低位段丘に分布(一部のみ表現)
十勝三股周辺・北見山地山中1000 m以下 = 地中氷(永久凍土の1種)
道東・道北 = 最終氷期とそれ以前の周氷河現象(大部分は凍結撹乱構造で、化石アイスウェッジは道東のみ, 宗谷岬以外はソイルウェッジ?)。ソイルウェッジは多所で発見。化石大規模多角形構造土?は十勝平野や根釧原野の空中写真判読で認められるが現地未確認
十勝平野: 大規模クリオターベーション ? ピンゴ化石(可能性)
道南: 凍結撹乱構造余り分布せず、羊蹄山周辺で多く発見
東北
現成・完新世、最終氷期、より以前の周氷河現象は北上山地周辺集中
人為的荒廃地に発生した条線土や、牧草地のアースハンモック
低地火山灰層中の凍結撹乱構造は報告少
奥羽山脈、月山、朝日・飯豊等の森林限界をぬく山頂部 → 現成・完新世構造土(断片的・小面積)
→ 新たな化石周氷河現象発見可能性高
関東・中部
中部山岳森林限界以上は現在も完全な周氷河地域で現成・完新世構造土が広分布
関東平野周辺山地から最終氷期形成?岩塊流発見 → 山地でさらに岩塊流発見可能性 → 全てが周氷河作用と関連かは疑問
近畿以西
現世・完新世構造土が紀伊山地から報告。大分県久住山・大船山に階状土とアースハンモックが化石
構造土(階状土と岩塊斜面)が中国山地山頂部から報告され、さらに発見される可能性高いが、斜面岩塊が周氷河起源かは検討必要。中国山地東部や九州の標高1000 m前後の場所から、礫オリエンテーションから周氷河性と判断される堆積物が報告されるが、周氷河作用強度未詳

圏谷

圏谷 Kar
1905 山崎: 立山連峰雄山直下-西斜面2700 m (幅 400m, 長さ600 m)

圏谷下方でモレーン確認 - 命名山崎カール(1942 石井)
70以上の圏谷が知られる

更新世後期-完新世: 比較的小規模
2012 福井・飯田: 飛騨山脈, 立山・剱山 - 氷河現存
フッター